3章

第60話 妹は旅立ちの準備を進めてる

 雪が降っている。

 まだ12月に入ったばかりだというのに、ずいぶんと早い雪だ。


「さ、寒いです……お兄ちゃん、私もうダメかもしれません」

「ダメになるの早すぎるな、雪季ふゆは」


 桜羽さくらば春太はるたの隣に立っているのは、冬野とうの雪季ふゆ

 二人は――世間的には兄妹だ。


 いや、兄妹だと思っているのは以前からの知り合いだけ。

 今は苗字も違うため、初対面なら誰も春太たちを兄妹だとは思わないだろう。


「冬野雪季なんて、雪女みたいな名前なのにな」

「お兄ちゃんと結婚したら、また桜羽に戻れますね♡」


「……あえて俺が婿入りして冬野春太になるルートもあるな」

「なんのために!? 冬野春太なんて、季節感がこんがらがります! ダメです!」

「季節感の問題なのか?」


 全国の冬野春太さんに失礼な妹だった。


 遅ればせながら、春太と雪季がどこにいるかというと――

 二人で並んで雪の降る道を歩いているところだ。


 放課後に駅前で待ち合わせをして、ついさっき合流したばかりだ。


 春太は制服ブレザーの上に濃紺のスクールコート。


 雪季も制服にミニスカートの上に、白のダッフルコート姿だ。

 現在、雪季は学校には通っていないが、昼間の外出では以前の中学の制服を着ることにしている。


 コートだけは私物で、可愛さを追求する妹は学校指定の野暮ったいコートは着たがらない。


「あ、ここです、ここです、お兄ちゃん」

「へぇ……あんまり雰囲気よくないな。やっぱりやめとこうか、雪季」

「お兄ちゃん、気に入らないからって初見で却下しないでください!」


 二人の前にあるのは、アパートだった。

 三階建ての茶色い建物で、築年数は多少経っていそうだが、小綺麗で見た目は悪くない。

 女子ウケもよさそうだが――


 春太はそれを認めたくない。


「“雪風荘ゆきかぜそう”ね……こりゃまた古めかしい名前だな」

「変な横文字より覚えやすいですよ。私の名前から一字取ってますし」

「明らかに雪季より年上だろ、この建物」


 アパート前に貼られたプレートを睨みつつ、春太は答える。


 このアパートは、春太の母――育ての母の知り合いが経営しているらしい。


 雪季は高校受験を控える身で、無事に合格すると家を出る可能性がある。

 その場合、住む予定になっているのがこの雪風荘なのだ。


「あっ!」


 そのアパートの出入り口から、一人の少女が現われた。

 シャレたベージュのセーラー服に、薄いブラウンのミニスカート。


 同じブラウン系のベレー帽をかぶり、髪型は明るい茶色のセミロング。

 メイクもバッチリ決めて、いかにも陽キャな女子高生だった。


「そこの茶髪さん、もしかして冬野さんかな?」

「は、はい」


 雪季はコミュ障を発揮して、ささっと春太の後ろに隠れる。

 髪もメイクもバッチリの妹は陽キャに見えるが、実はかなりの人見知りだ。


 春太が、「おまえも茶髪だろ」のツッコミをこらえていると。


「ようこそ、いらっしゃい。いやー、こんな寒い日にご苦労さんー」

「い、いえ。その……」


「ごめん、ごめん。今日はさぁ、大家が案内する予定だったんだけど、急用ができちゃって。アタシが代わることになったんだよね」


 セーラーJKはニコニコ笑いながら、春太たちの前まで来た。

 なぜ、女子高生が案内役なのか、いまいち話がつかめないが――


 ここは兄が代わりに対応すべきだろう。


「えーと……こっちが見学の冬野雪季で、俺は兄の桜羽春太です。苗字が違いますけど――」

「さらっと聞いてるよ。ま、どこの家庭にもご事情ってもんがあるよね。ここの住人、みんなワケありだから気にしない、気にしない!」


 セーラーJKは、なぜか春太のほうの肩をバンバンと叩いてきた。

 初対面でのボディタッチに、背後の妹が殺気を放つのがわかった。


「そ、それで、あんたは――じゃない、あなたは?」

「“あなた”て。あ、名前言ってなかったっけ。冬野つららです。親が面白がったような名前でごめんね」


「え、冬野……?」

「ウチの母と、雪季ちゃんのお母様が同じトコの出身なんだよね。あの辺、“冬野”の宝庫らしいから」

「ああ、そんな話だったなあ」


 霜月透子も、あの街は冬野だらけだと言っていた。

 雪季の母、白音が生まれ育った街と霜月が住んでいる街は別だが、どちらもルーツは同じで冬野姓が多いらしい。


 目の前の冬野つららは、母の故郷のほうがルーツのようだ。


 よく見ると、つららは目がぱっちりしていて胸も大きく、なかなか可愛い。

 実は雪季の母親も、若作りでかなりの美人だ。

 母の故郷は美人が多いのだろうか。


「苗字だとややこしいんで、つららでいいよ」

「母の友人がこのアパートのオーナーだって聞いたんだが……」


「そう、要するにアタシはオーナーの娘ってわけ」

「つららさんは、オーナーの家から追い出されてここに住んでるのか?」

「お、お兄ちゃん! 本当にそうだったらどうするんですか?」


「なかなか兄妹揃って無礼千万だね」


 ハハハ、とつららは軽く笑っている。

 軽いジャブを放ってみたが、つららは少なくとも怒ってはいないようだ。


「実家は学校まで遠いから、ここに住ませてもらってるの。というかこのアパートの住人、ほとんどウチの学校の生徒だよ」

「寮みたいな感じか」


「そうそう、ちなみにアタシはお兄さんとタメで高一。水流川みながわ女子の生徒だよ」

「へぇ……」


 水流川女子、略してミナジョ。

 雪季が受験予定の女子高だ。


 もっとも、雪季はもちろん春太も気づいていた。

 珍しいベージュのセーラー服は、このあたりではミナジョでしか見かけない。


「それで、アパートの見学なんだが」

「うん、ホントは雪風荘は男子禁制なんだけどね。たとえ血を分けた一族といえども、男性器がついてる方にはご遠慮願ってる」

「だ、だんせ……」


「言わなくていいから。あのな、つららさん。妹に変な単語を吹き込まないように」

「女子高って全然上品じゃないよ?」

「だとしても、俺の目の黒いうちは妹には上品な世界で生きてもらう」


「厳しいお兄さんだね、雪季さん」

「え、ええ。でもそこがいいというか……」


 ブラコン丸出しの発言をする雪季だった。


「あ、なんだっけ。そうそう、男子禁制。見学と引っ越しの手伝いのときだけ男子の出入りを許可してるんだよ」

「まあ、引っ越しは男手がほしいし、母親とか姉妹が付き添えない場合もあるもんな」

「そのとおり、ただ……」


 春太は、いつまでアパートので入り口で立ち話をしてるんだろうと思いつつ。


「今、全部屋埋まってて。部屋に空きが出るのは三月になるんだよね。だから、空き部屋を見学してもらうわけにもいかなくて」


「それもそうか……でも、事前に内見もせずに引っ越しはできないだろ。そうだなあ、雪季、あきらめるか?」

「お兄ちゃん、これ以上ないほど引っ越しに消極的ですね」


 じっ、と雪季に睨まれてしまう。


 もちろん春太は雪季の引っ越しには大反対だ。

 今のところ、確定ではないのが唯一の救いだが――


 数日前、雪季は春太に選択肢をつきつけてきた。

 雪季を妹のままにするか、あるいは一人の女の子として付き合うか。


 だが、どちらを選んでも今のままではいられない。


 引っ越しが取りやめになるには、二つのパターンがある。


 1.雪季が受験に不合格になる。

 ミナジョに通えない以上、このアパートに住む理由もなくなる。

 ただ、雪季の中学浪人と同義なのでこのパターンは絶対に却下だ。


 2.春太が雪季をあくまで妹として扱う。

 この場合は、春太と雪季は兄妹なので一つ屋根の下で暮らすだけなら問題もない。

 ただし、兄妹なのでせいぜいキスしたり風呂に入ったり、ベッドで多少身体をむさぼり合う程度で、結ばれることはできない。


 こちらの2も、大きな問題があり、春太としては「そうですか」と受け入れるわけにもいかない。


 春太が雪季をカノジョにするなら、妹は妹でなくなり、実家を出てこのアパートに引っ越すのだ。


 そのパターンも春太には受け入れがたい。


 電車で三時間かかる遠距離ではなくとも、雪季が別の家で暮らすというのは耐えられない。


 というより、すべての選択肢が大事なものを犠牲にすることになっている。

 簡単に選ぶことはできない。


 答えを出すのは、2月の受験後というのが救いだが――

 今はもう12月、残された時間は長くない。


「んん? お兄さん、なにを悩んでるの?」

「あ、ああ。なんでもない」


 選択肢はあまりにも悩ましいが、今ここで考えることでもない。


「部屋が見られないなら、見学できるのは外観と、あとは廊下とか共用設備とかだけか?」

「それは見せられるけど、やっぱ部屋も見ておきたいでしょ?」

「そりゃそうだが、人の部屋を勝手に見学できないだろう」


「大丈夫、安心して! アタシの部屋を特別大公開するから! あ、お兄さんのほう、クローゼットの中はお触り禁止だよ?」

「雪季、真面目な話、気に入らないところはちゃんと言うんだぞ。場合によっては三年も住むんだからな」

「あ、はい。わかってます」

「無視!」


 春太と雪季は、早くもつららの扱い方を理解している。


 泣き真似をしているつららはともかく――


 春太としては、雪季との別居が現実味を帯びてきたのは面白くない。


 最優先は雪季の受験と合格。


 その方針に揺らぎはなく、誰一人としてこれに反対する人間はいない。


 月夜見つくよみ晶穂あきほも「まずは雪季ちゃんのことでしょ。頭、そんなに良くないんだから」と、一言多いながらも認めている。


 実際、高校受験に失敗するとシャレにならない。

 リカバリーの方法もあるだろうが、それは本当に最後の手段だ。


 この冬は、雪季の合格のためにすべてを捨ててもいい。

 春太はそれくらいの覚悟だった。


 そのためには、これ以上なにも新しいトラブルが起きなければいい。

 そう願ってやまない、春太だった。

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