第43話 妹は真実をあまり気にしていない

「一応、話を整理していこう。まず一番のポイントだ」

「理屈っぽいなあ、ハルは……」


「いいから、聞いてくれ。俺と晶穂は、血が繋がった兄妹だ。それは間違いないな?」

「間違いない。DNA検査でもしとく?」

「それはちょっと考えてる。検査代は安くねぇけど、バイト代をつぎ込めばできなくはなさそうだ」


 ネットで検索した程度だが、難しくはなさそうだった。

 しかも精度もかなり高いようで、血縁があればほぼ確実にわかるらしい。


 もちろん、検査をするなら信頼の置ける研究機関などに依頼するべきで、費用が高いのは仕方ない。


「ちゃんと調べてあるわけだ。優等生だね、桜羽くんは」

「だから茶化すなって。俺たちは血が繋がってる――けど、


 春太は精一杯、冷静に話をしている。

 どちらかといえば自分は感情的なほうだと思っていた。


 なにしろ、なんの確証もないのに妹が危機に陥っていると気づいた途端、夜中にバイクで走り出すような男だ。


 を聞かされて、冷静でいられるはずもないと思ったら――意外に晶穂を前にしても落ち着いている。


 血の繋がりを言葉で説明されただけで、なにも実感がないせいだろうか。


「腹違い、か」

 晶穂は、ぽつりとつぶやく。


「ねえ? “腹違い”なんて、普通は一生ドラマか映画でしか聞かない単語だよね」

「俺より先に、晶穂はその単語を聞いてたわけだな」


「いくつん時だったかなあ。小学校に上がる前だから、4、5歳くらいだと思う」

「……思ってたよりずっと早ぇ」


 春太は、ぎょっとしてしまう。

 晶穂が母親から出生の秘密を聞いたのは、せいぜい中学生以降かと思っていた。


「そんな小さい子供に話すようなことか?」

「魔女は――ウチの母は普通じゃないからね」


 くすくすと晶穂は笑っている。

 魔女だのなんだの言っているが、晶穂は母親を嫌っていない。

 なんとなくだが、春太にはそう感じられる。


「なんか、公園で男子どもにイジめられてたよ」

「は? 晶穂が?」


「そうじゃない。女の子がイジめられてると思ったら、いきなり男の子が一人現れてさ。もう、イジめてる奴らをボッコボコ。まだ小学校行ってないくらいの小さい子だったのに、四人くらいの同い年の子供らをマジで叩きのめしてたよ。んで、泣いてる女の子をよしよしって撫でてあげてた」

「……待て、それって」


「お母さんがさ、教えてくれたんだよ。『あの子、晶穂ちゃんのお兄ちゃんだよ』ってね」

「おい…………」


 そのシーンには、覚えがある。

 いや、正確には春太は忘れていた。


 両親から離婚を告げられた日の夜、雪季と公園に行ったときに妹が思い出として語った話。


 公園で遊んでいた雪季が、数人の男の子にイジめられているところに春太が現れて、妹を助け出した――


 雪季は“春太が脅して追い払った”と言っていたが、どうやらもっと暴力的に解決していたらしい。


 あるいは、晶穂の話は雪季の思い出とは別物かもしれない。

 同じようなことが二度以上あったのか、あるいは晶穂と雪季の記憶に間違いがあるのか。


 そんなことはどうでもいいが――


「おまえ、そんな小さい頃から俺を知ってたのか……」

「詳しく知ってたわけじゃない。たぶん、公園でお母さんに教えてもらったときは、“お兄ちゃん”の名前も知らなかったと思う」


「……晶穂の母親は、なんでわざわざ俺のことを教えたんだ」

「さあ……詳しくは覚えてないんだよね。なんで公園に連れて行かれたのか、兄がいるって知って自分がどう思ったのか」

「まあ、小さかったんだしな……」


 やはり、春太は自分では覚えていない。

 春太には、ささやかすぎる出来事だったのだろう。


「あ、もう一個覚えてんだよね」

「ん?」


「そのときは、お母さんいなかったと思う。一人で迷いながら、“お兄ちゃん”がいる公園に行ったんだよね」

「この家から? けっこう距離あるぞ……」


 そのときの晶穂は、まだ小学校にも入ってないくらいの歳だろう。

 そんな年頃の子供が、この月夜見家から桜羽家の近所にある公園まで歩くのは、かなり大変だったはずだ。


「けっこうふらふらしてる子供だったんだよ。で、もう疲れ切って公園に着いてみたら」

「俺、いたのか?」


「いたいた。ブランコに乗って、一回転させようとしてるのかってくらい高く漕いで、最後には凄い勢いで飛び降りてたよ」

「……そんな馬鹿をやってるところを見られてたのかよ」


 一時期、春太はブランコからどれだけ遠くまで飛べるか、友人たちと競っていた。

 子供らしい、楽しくも危なっかしい遊びだ。


 それも、雪季が語っていた思い出だ。

 どういうわけか、妹とこの“妹”は同じ思い出を大事にしているらしい。

 春太には悪い冗談のように思える偶然だった。


「ホント、馬鹿やってるなーって思ってたよ。ちょっと楽しそうで羨ましかったけど」

「……マネはしてないだろうな?」


「あたし、これでも運動神経はかなりいいんだよ」

「…………まあ、今生きてるんだからいいんだけどな」

 どうやら、幼い晶穂は悪い見本をマネしたようだ。


 春太も運動能力にはそれなりに自信がある。

 一方、雪季は自他共に認める運動音痴だ。

 そして、晶穂も運動神経は抜群だという。


 血が繋がった妹と、繋がっていない妹。

 たかが運動神経のことだが、それでもその違いを感じずにはいられない。


「話を戻そうか。もちろん、ウチのお母さんがあたしを騙してる可能性はあるよ。ううん、あった……って言うべきかな?」

「ウチの親父がダメ押ししやがったからな」


 春太が話を聞いた限りでは、父は晶穂が娘だということは否定できないようだった。


 子供ができる覚えがあり、他にも父親と晶穂の母だけが知っている事実があるのかもしれない。


「実の父親だからって、音楽の趣味が合うとは思ってなかったよ」

「そういえば、晶穂……ウチの親父に会いたがってたよな?」


 晶穂は、桜羽家のプレイヤーとスピーカーで熱心に音楽を聴いていた。

 仮に桜羽家に上がり込むための方便――であったとしても、晶穂が音楽好きなのは事実だ。

 好きだからこそ、歌やギターがあれだけ上手いのだろう。


「パパと呼びたい、なんてキモいことは考えてないから安心して」

「当たり前だ、あんな親父でも“パパ”って呼べるのはこの世に一人だけだ」


「ま、会ってみたいって気持ちはあったよ。ハルは子供の頃に見てたけど、父親のほうはこの前のがファーストコンタクトだよ。顔を見るのは最初で最後にしてもいい」

「……いいのか?」


「音楽の趣味が合う人と、桜羽家のスピーカーは惜しいけど、父親にはそんなに興味ないかな。おじさん趣味じゃないし」

「そういう問題じゃねぇだろ……」


「でも、ハルのことは趣味に合った」

「…………」

「お兄ちゃんだっていうのを置いといても、ぶっちゃけあたしのタイプなんだよね」

「タイプ……?」


 春太はまったくモテないというほどでもない。

 近くに松風というモテ要素のかたまりのような男がいるので、どうしても存在感は薄いが。


「背が高くて、顔があんま濃くなくて、しっかりしてるようでちょっと抜けてる男。なんだろうね、これ。我ながら、変なのが好みみたい」

「…………」


 ウチの父親も同じタイプだ――と言いかけて、春太は口をつぐんだ。

 母と娘で好みも似ているらしい、というのは冗談としてもきわどい。


「ま、いろいろあるけど、仲良くやっていこうよ。ハルも、あたしみたいなの、タイプなんでしょ?」

「まとめんなよ。仲良くっていってもな……」


 あまりにも関係が普通ではなさすぎる。

 既に一線も越えている彼氏彼女で、しかも血が繋がった兄妹――

 むしろ仲良くするのを即刻やめなければならないのではないか。


 好みかどうかと言われると、否定しきれない。

 春太も、好みでもない女子と付き合うほど飢えてはいないからだ。


「あたしは倫理とか常識とかあんま気にしない。ハルが気にするのはわかってる」

「結局のところ、俺はどうすりゃいいんだろうな」

「それが訊きたくて、ウチに来たわけだ」

 晶穂は苦笑すると、春太のそばに密着して座った。


「んっ」

「お、おい……」


 それから、当たり前のようにキスしてくる。

 ちゅっ、と柔らかな感触が伝わってきて――

 まるで、ファーストキスのときのようでもあった。


「あたしが言うのもなんだけど、もう少しだけこのままで。別にヤれとは言わないから、もうちょっとカノジョとして付き合わせてよ」

「待て待て、本気で言ってんのか?」


 危険なのは、身体の問題だけではない。

 そもそも、春太と晶穂に接点があること自体が危険な気がしてならない。


 春太と晶穂の関係を知っているのは、今のところ本人たちと父親。

 それと、おそらく――


「ただいまー!」


「…………っ!」

 春太は、びくりと震えてしまう。


 玄関のほうから聞こえてきた女性の声が誰なのか、一瞬でわかった。

 わからないはずがない。


「ちょっと、晶穂ちゃーん。雨降って来ちゃった。タオル持ってきてー!」

「……待ってて、ハル。彼氏と二人でいるときに親が帰ってくる気まずさって最悪だね」

「俺、それどころじゃないんだが」


「だろーね。待ってて、今持ってくー!」

 晶穂は玄関のほうに叫ぶと、駆け出していった。


 ヤバい……ヤバすぎる。

 晶穂に春太のことを“兄”と教えたということは――

 言うまでもなく、は春太の存在を認識しているということで。

 混乱のあまり、春太はわかりきったことを確認してしまう。


「ごめんね、お友達来てるって。今日は帰ってこないはずだったんだけど、明日の仕事の都合で――」

「お、お邪魔しています」


 リビングに、細身で長身の女性が入ってきた。

 薄手のコートを手に持ち、娘と同じようなハイネックのセーターにスキニージーンズ。


 無造作に後ろで結んだ長い黒髪は、わずかに湿っているようだ。


「……君、真太郎さんの……翠璃先輩の……?」

「桜羽、春太です」

 春太は立ち上がり、ぺこりと一礼する。

 それから、絞り出すようにして、なんとか挨拶する。


「あたしの彼氏だよ、お母さん」


 驚いてフリーズした母親の後ろから現れた晶穂が、ダメ押しをしてくる。


 思いつきで、勢い任せで行動するもんじゃないな――

 春太は今夜、月夜見家を訪ねたことを本気で後悔し始めていた。

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