第44話 妹は反抗期を認めない

「あらためてこんばんは、春太くん」

 すぐさま春太はお暇しようとしたのだが、当然ながらそうはいかなかった。


 晶穂あきほの母に、あらためてリビングで歓迎された。

 さすがに母親のほうは常識をわきまえていて、娘が1ミリも出そうとしなかったお茶まで出てきた。


 お茶を出されては、春太も逃げられない。

 晶穂の母とリビングのテーブルを挟んで座らされている。


「ねえねえ、君、なかなか可愛いじゃない」

「赤ん坊の頃しか言われたことないでしょうね、それ。小さい頃からうすらデカかったんで、俺」


「小さい子が多少大きくても可愛いものよ。それに、今の君もなかなかじゃない。どう、人妻と人生踏み外してみる?」

「初対面でなかなかですね」


 じっ、と春太は晶穂のほうを見る。

 晶穂は我関せずといった感じで、リビングの隅でなぜか立っている。

 母親への抗議は受け付けないつもりのようだ。


「それに、初対面ではないでしょう? 前に、アパートの近くでコソコソ私の様子を見ていたじゃない?」

「えっ!? き、気づいてたんですか!?」


「私もびっくり」

 晶穂母は、にっこりと笑う。


「だいぶ前、晶穂が誰かとコソコソ隠れてたのは気づいてたけど、アレって春太くんだったのね」

「……どんなカマかけですか」


 以前、夜に晶穂を自宅まで送った際に、ちょうどこの母親が帰宅してきた。

 春太と晶穂は、こっそり晶穂母を物陰から観察していたのだ。


「というか、あの頃から付き合ってたのね?」

「そ、そうです。ただ……」


「別に、私は子供のやることに干渉はしないわよ」

「…………」


 春太と晶穂の場合は、干渉しないほうがまずいだろうと思う。

 この母親は、本当に状況を把握しているのだろうか。

 春太は晶穂母の真意がまったく掴めない。


「晶穂だってもう子供じゃ――まあ、身体はちっこいけど、これでも高校生だものね」

「お母さんが無駄にデカすぎんだよ」

「仕事のときは、長身の美人って目立つし覚えてもらわれやすいし得なのよ」

「男はだいたいロリコンだから、小さいほうが得だよ」

「…………」


 いろいろな意味で、春太には口を挟みにくい会話だった。

 ただ、この親子は仲良くはないが、悪くもないようだ、ということは察しはつく。


「ご覧のとおり、すっかり反抗期で困ってるわ。春太くん、今身長どれくらい?」

「179くらいです。父親ほどではないですね」


 どうにも、春太はこの魔女を相手にどう話せばいいかわからない。

 だが、仮にも人の家に上がり込んで、質問に無視を決め込めるほど図太くもなかった。


「君のお父さんもお母さんも、高校のときにずっと伸び続けたって言ってたわ。たぶん、春太くんもまだまだ伸びるんじゃない?」

「……もう充分ですよ」


 スポーツをやってるわけでも、やる気もないので、あまり高身長でもメリットは薄い。


 しかし、晶穂母から父や母のことを話されると、これが一番どう反応していいか困る。

 よく知りもしない人なので、敵意を向けるのも難しい。


「真太郎さんも長身よね。それに……翠璃みどり先輩も大きかった。すらっとしてて、モデルみたいだったわ、あの人」

「あの」


 さっきから訊くべきか訊かざるべきか、迷っていたが――

 春太は意を決して、まず一つ尋ねることにした。

 このままでは生殺しだ。


「あなたは……俺の生みの母も知ってるんですか」

「ええ、知ってるわ」

 当たり前のように、晶穂母は頷いた。


「ふーん……君、よく見ると似てるわ。翠璃先輩に」

「そう言われても。生みの母は、名前を知ったのもつい最近ですから」


「そう……翠璃先輩のこと、真太郎さんは教えなかったのね」

「あの、えーと、あなたは……」


「ああ、月夜見つくよみ秋葉あきはよ。晶穂ちゃんと響きが似すぎてて、我ながらもうちょっと考えて名前をつけるべきだったと思ってるわ」

「深く考えずに名前をつけたと言われてる件について」


 部屋の隅で、ぼそりと晶穂がツッコミを入れてくる。

 どうでもいいことなら、会話に割り込んでくるらしい。


「字ヅラ的にも音的にも可愛い名前だからいいでしょう。ねえ、春太くん?」

「え、ええ」


「ハルでも親の前で子供の名前をディスるほど無神経じゃないよ。そこで同意を求めるのは、ヒキョーじゃない?」

「ほら、言ったとおり反抗期でしょ? 家では音楽聴きたくないっつってるのに、ギター始めるとか、どんなイヤガラセよ?」


「お母さんも聴いてるじゃん、そこのTVで」

「仕事を家に持ち帰らされた上に、娘にも音楽聴かされるとか、拷問だって言ってるのよ」


「娘の趣味を拷問呼ばわりとは、たいした母親だよね」

「ああ、昔はもっと可愛かったのに。どうしてこんなひねくれちゃったのかしら?」


 家庭環境に問題があったのでは。

 春太も、さすがにツッコミは入れられない。


「ああ、私の呼び方だったわね。秋葉さんでも、アキさんでも、なんでもOKよ。“おばさん”以外ならね」

「はぁ……」

 正直、春太には目の前の相手をなんと呼んだものか決めかねる。


「えっと、秋葉さん。それで、俺の母親を知ってるっていうのは」

「先輩後輩よ」


 なんのだよ。

 春太は反射的にツッコミを入れそうになった。


「ねえ、春太くん」

「はい……?」


「…………」


 魔女は妖艶な笑みを浮かべていた。

 春太の背筋が、ぞくりと冷たくなるほどの。

 娘の晶穂が、“魔女”と呼ぶ理由の一端を見たような気がした。


「あっ、そうだわ。春太くん、泊まっていったら? 外、雨よ?」

「いえ、寿司が――じゃない、家族が心配するので帰ります」


「ああ、可愛い妹さんがいたものね」

「……知って……ご存じだったんですか」


「心配しないで、あちらとは関わりがないわ。真太郎さんの再婚相手は名前すら知らないし、ましてやその娘さんなんて」

「……今はもう、再婚相手ですらないですよ」


「へぇ、それは初耳。真太郎さんもつくづく女で失敗するタイプね。たぶん――」

「なんですか?」



 ちらりと、晶穂母は娘のほうを見た。

 その娘は、スマホをぽちぽち操作していて、今度は会話にまざる気はないらしい。


 確かに、春太は――女性関係が上手くいっているとは言えない。

 初めてできたカノジョの正体は、あまりにも意外すぎて。


 しかも、可愛い妹は血が繋がっていなくて、危うく一線を越えそうにもなった。

 少なくとも成功している、などとは口が裂けても言えないだろう。

 春太も、そんなことはわかっている。


「ハル、泊まっていきなよ。別に、あたしも――その魔女もあんたを襲ったりしないから」

「ふぅーん、晶穂のほうがマウント取ってるの? ま、今は女にリードされたい男も多いか」

「…………」


 なんなんだ、この母子は。

 春太は戸惑ってばかりで、まったくペースを掴めない。


 月夜見秋葉は、娘と春太が付き合っていると聞かされても眉一つ動かさなかった。

 他でもない、自分が生んだ娘が――腹違いの兄と付き合っているという事実をわかっていないのか。


 それとも――


「もう一つだけ、確認させてもらっていいですか、秋葉さん」

「なに?」


「俺は桜羽真太郎の息子です。晶穂の父親も――桜羽真太郎なんですか?」

「そうよ」

 秋葉は、一瞬も迷わずに答えた。


「なんなら、私がDNA検査の費用を出してあげる。私の義務……君と晶穂への誠意だと思うしね。覚悟ができたら言って」

「少し……時間をください」


「いつでもいいわ。こんな狭苦しいアパートに住んでても、お金がないわけじゃないから」

「……はい」


 秋葉のその言葉が、DNA検査など不要だと言っているようなものだった。

 少なくとも、秋葉は自分の娘が春太の父親と血が繋がっていると確信しているようだ。


 もしもこの世で、晶穂の父親が誰なのか、確信を持っている人間がいるとしたら、それは月夜見秋葉だけだろう。


 条件次第ではあるが、母親だけがDNA検査などしなくても自分の子が誰の血を継いでいるのかわかるのだ。


 少なくとも、春太には彼女の言葉をひっくり返す材料がない。


 月夜見晶穂は、桜羽春太の――二ヶ月遅れで生まれた妹。


 確証などなにもなかったのに、思いつきでこの家に来たばかりに真実味が増してしまった。

 春太は、自分の迂闊さをますます後悔するばかりだった。


「……やっぱり帰ります」

「え? でも、雨、けっこう強くなってるわよ?」


「いえ、明日は学校もありますし、失礼します」

 春太は立ち上がって、秋葉に一礼するとそのままリビングを出て行った。


「ふうん、逃げるんだ。君の父親を思い出すわね」

「…………」


 悪意、というものは特に感じなかった。

 春太は振り向きはしなかったが、秋葉はくすくすと笑っているようだった。


「ハル」

「晶穂……」


 玄関で靴を履いていると、晶穂がくいっと春太の袖を掴んできた。


「ごめん」

「……晶穂は悪くない。でも、ちょっと時間をくれ」


「うん……」

「あの人の言うとおりだ。今は逃げる」


「……ずいぶん、きっぱり言うね」

「でも、また来る。晶穂、おまえがカノジョなのか――妹なのか。答えは俺とおまえで出そう」


 春太は、それだけ言うと月夜見家の玄関を出た。

 秋葉の言うとおり、外の雨は本降りになっている。


 アパート前に駐めたレイゼン号も濡れてしまっていることだろう。

 ただ、雨で冷え込む夜も今は悪くないと思えた。


 一度に押し寄せてくる事実と――それに煽られた感情が、熱くなりすぎているから。

 そして、春太は――


 一刻も早く、雪季の顔を見たかった。

 理由は自分でもわからないが、そうしなければ頭が爆発してしまいそうだった。

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