第35話 妹はもう離れない

 カーテンの隙間からこぼれてくる朝陽に、目が覚めた。

 春太は布団の中で身震いする。


 11月に入ったばかりなのに、ずいぶんと冷え込む朝だった。

 枕元のスマホを確認すると、まだ七時前だった。


 春太が通う悠凛館高校では、毎年11月のアタマに文化祭が開催される。

 ここしばらくは、その準備に忙殺されていた。

 春太のような、部活にも委員会にも入っていない生徒はクラスでこき使われる。


 クラスの出し物は、焼きそばの模擬店だった。

 特に美味くもない焼きそばを、女子高生の客引きで買わせるという手口だ。


 それに加え、春太には軽音楽部の手伝いもあった。

 今年の文化祭では、晶穂一人だけだったが、それでよかったのかもしれない。

 晶穂はギター一本だけ抱えて体育館のステージに上がり、三曲を熱唱した。

 メンバーが一人な分、晶穂に注目が集まり、ステージはずいぶんと盛り上がった。

 春太はステージ袖に控えて、途中での早着替えの手伝いをやらされた。


 学校で男子が女子の着替えを手伝うのもどうかと思ったが、晶穂が「他のヤツに触られたくない」というので、仕方なかった。

 ワンピースのドレススタイルでバラードを歌い、ステージ上でそれを脱ぎ捨てるというパフォーマンスで男どもを喜ばせ――

 キャミソールとミニのタイトスカートという露出度高めの衣装にチェンジした。


 一曲ごとに衣装を変えるという面倒くさいパフォーマンスを行ったわけだ。

 最後の曲を狭いステージを走り回りながらギターを弾き、歌う晶穂の姿には春太も感動してしまった。

 これだけ歌えて、なぜU Cubeの登録者数は800人程度なのか?


 不思議に思いつつ、ステージは無事に終わった。

 文化祭出し物の人気投票では、2位に食い込む快挙だった。


 そして、そんな文化祭も終わり、今日は振替休日――

「んー……」

 寒くて、布団の外に出る気がしない。

 さすがにもう見慣れたシングルベッド、一つだけの机、一人で全部使えるクローゼットのドア。

 ほんの数ヶ月前に、まるで別物に変わった目覚めの景色は、まだ違和感もある。


「おふぁようございまふー……」

「…………」

 ガチャリ、といきなりドアが開いて少女が入ってきた。

 ピンクのパジャマ姿で、明らかに寝ぼけまなこだ。


「ふぁ……眠……」

 入ってきた少女――もちろん、雪季ふゆだ。

 雪季はモタモタとパジャマを脱ぎ捨て、その下のタンクトップも脱ぎ捨てる。

 ぷるん、と弾むようにして中三らしくない大きな二つのふくらみが現れる。


「あふ……」

 まだ寝ぼけながら、雪季はピンクのブラジャーをつけ、丁寧に胸の形を整えながら、ぱちんと後ろのホックを留めた。

 白いブラウスを羽織ってボタンを留め、チェックのミニスカートをはく。

 春太のベッドのほうに背中を向け、軽く屈みながらニーソックスもはいていく。

 屈んだときに、ピンクのパンツが当然のようにちらりと見えた。


「んー……ネクタイは、お兄ちゃんが起きたらでいいですか……」

「……おはよう、雪季」

「あれ? お兄ちゃん、もう起きてたんですか? 今日はもっとゆっくりかなって。起こしちゃいましたか?」


「いや、雪季が入ってくる前に目が覚めてた」

「もうー、起きてるなら言ってくださいよ」

 雪季は、あははと苦笑してベッドに近づいてくる。


「おはようございます、お兄ちゃん♡」

 雪季は屈んで春太に顔を近づけ、ちゅっとキスした。

「起きてるなら、ちゃんと朝のご挨拶をしないと。んっ、もう一回♡」

 ちゅっ、ちゅっと一回と言いながら二回キスしてくる。


「きゃっ♡」

 春太は、たまらなくなって雪季の手を掴み、ベッドに引っ張り込む。

 妹の細い身体を抱きしめながら、何度も唇を重ねる。


「んっ、お兄ちゃ……んっ、んむっ……もっ、もっと……んっ、もっとちゅーしてくださいっ……んんっ、んん……!」

 お互いにむさぼるようにして唇を味わい、舌を絡め、強く抱き合いながら――

 たっぷりと五分以上もベッドの上を転がるようにしてキスして。


「はぁっ……お兄ちゃん……」

「雪季……」

 最後に一度、唇を合わせるだけのキスをしてから、身体を放す。


「……パパが出かける前に朝ご飯をつくらないと」

「そうだな。着替えたら、俺も下に行くよ」


「もう少し寝ていてもいいんですよ? お疲れでしょう?」

「せっかくの雪季のメシが冷めたら困るからな」

「お兄ちゃんの分だけあとでつくってもいいですけど……お待ちしてますね」

「ああ」

 雪季はベッドからひらりと下りて、立ち上がる。

 ドアのノブに手をかけ、出て行こうとして――


「えっ? お兄ちゃん?」

 春太もベッドから下りて、雪季の手首を軽く掴んだ。


「もう一回だけ、キスしたい」

「……ダメです」

 雪季は振り返り、顔を赤くしながら言った。

「無理です」

「む、無理なのか?」

「はい、たった一回じゃ足りません……♡」


 雪季は赤面したまま、ちゅっと可愛くキスしてくる。

 春太は苦笑して、雪季を抱きしめ、またその唇を味わい始めた――



 冬野雪季は、桜羽家に戻ってきた。

 もちろん、一度引っ越して転校しているからには簡単な話ではなかった。


 だが、雪季が録音していた、イジメのシーンの生々しい音声。

 春太が遭遇した雪季の同級生たちの様子の証言。

 その二つを聞かされた、桜羽の父と冬野の母は雪季をこのままにはしておけないと、納得してくれた。


 かといって、すぐに桜羽家に戻すという方向で話がまとまったわけではない。

 父と母は、雪季が家族や友人の前では明るいが、人見知りでコミュニケーション能力に欠けることも知っている。


 ならば、転校先の同級生たちとも打ち解けられるように努力すればいい。

 だが――今の学校では、もうそれは難しいこともわかっている。


 なにしろ、受験を間近に控えた中学三年生でもある。

 イジメの解決になど時間を使っている場合でもない。


 幸い、雪季は成績が急激に上がっている。

 出席日数、それに素行も特に問題はない。


 両親はそれらの状況と、春太からの熱心な説得を受けて――

 雪季を桜羽家に戻すことに同意した。

 春太は学校を休んで冬野家に滞在し、父親も来て、一週間に亘る話し合いの末の結論だった。


 ただし、いくつか条件があった。

 雪季は現在の中学に籍を置いたままにする。

 中三の十月に元の中学に戻るというのも、余計な騒ぎを起こしかねないからだ。

 これから登校しなくても、卒業は問題なくできる。


 雪季は、桜羽家で受験勉強に励む。

 調べたところ、雪季のような特殊な状況でも受験できる私立女子高があった。

 ランク的にはごく普通だが、入試の成績さえ良ければ合格できるらしい。

 その学校を目指して勉強することになる。


 雪季は塾などには通わず、自宅学習で受験勉強を進めることになった。

 当然、春太も雪季の勉強を見るわけだ。


 雪季は朝起きて、制服に着替えている。

 別に着替える必要はないが、“スイッチを入れるため”に制服を着ているらしい。


 それと、もう一つ。

 春太と雪季にとっては、こちらのほうが重要かもしれない。


 雪季が桜羽家に戻るとしても、実の兄妹でないことが明らかになった今、元通りというわけにはいかない。

 部屋は別々にする、ということで話が決まった。


 正直、春太は条件の話を持ち出されたとき、なにが来るかと身構えたが――

「え? それだけ?」と拍子抜けしたし、雪季も同じだっただろう。


 だが、両親の気持ちもわかる。

 突然の離婚に加えて、二人が実の兄妹ではないとずっと隠していた。


 さらに、強引に春太と雪季を引き離したら、引っ越し先で雪季がイジメに遭ってしまった。

 親たちからすれば、春太と雪季に後ろめたいのだろう。


 結局のところ、春太と雪季を引き離したいという願いも、世間体を気にした両親の都合でしかない。

 春太も、その気持ちは理解できる。できるが――


 雪季を手放したくない。

 自分の気持ちを、どうしても優先してしまう。

 なにより、兄妹で一緒にいる時間が大切だからだ。


「あれ、父さんは?」

「あ、今出たところです。今日は、朝から会議だとか」

 着替えてリビングに下りると、もう父親の姿はなかった。

 制服にエプロン姿の雪季が、食器を片付けているところだった。


「ずいぶん慌ただしいな。また忙しくなってきたのか」

「朝早く行って、帰りを早くしたいみたいですね」

「そんなに上手くいかんだろ。仕事なんて、ヨソの都合もあるだろうし」


「私のことで苦労させてしまいましたし、働きすぎは心配ですね……」

「雪季はお人好しだな……」

 春太は、ぼそりとつぶやく。


 自分が親に振り回されて被害を受けたのだから、少しは恨みに思ってもいいだろうに。

 父親のほうは、要するに血の繋がらない娘を育てることになったわけだ。

 だが、父は「雪季を実の娘だと思っている」と断言、自分責任で雪季を育てると決めてくれた。


「さっき、ママからも電話ありましたよ。出勤前だったみたいで、すぐ切っちゃいましたけど」

「母さんもマメだな」


 母親のほうは、とりあえず雪季の養育費を出すらしい。

 向こうで母は一人になってしまったわけで――雪季はそれも気にしているようだ。


 もっとも、母は月に一度は仕事でこちらに来ているらしい。

 雪季に悪いので、母は春太には会いに来なかったようだが、これからは兄妹と会うことになっている。


「雪季の心配性は、母さん譲りかもな」

「あー……実はママ、お兄ちゃんがバイト始めたって聞いてすっごくオロオロしてました。ちゃんと働けるのか、過労で倒れないかって」

「バイトが過労って、ブラックすぎんな」

 ルシータがブラックからほど遠いことを、母は知らなかったらしい。


「お小遣いが足りないなら仕送りしようかって言ってたのを、私が止めたんですよ。お兄ちゃんは自分で頑張ってるんだからって」

「それは、よくやった」

「へへへ」

 雪季が、嬉しそうに笑う。


 自力で雪季を迎えるための金を稼ぎたかったのだから、母に小遣いをもらっては意味がない。


「あ、朝ご飯食べますよね。すぐに食べられますよ」

 雪季が並べてくれた朝食を、二人で食べ始める。

 ご飯と味噌汁、鮭のバター焼き、玉子焼きに昨日の残りの野菜の煮物だ。


「うん、美味い……やっぱ、朝から雪季のメシが食えるのは最高だな」

「私も、朝からお兄ちゃんにご飯を食べてもらえるのは最高です」

「……なんか、雪季のほうが損してる気がするが」

「幸せは人それぞれなんですよ、お兄ちゃん」

 これこそ、負うた子に教えられてというやつか、と春太はしみじみする。


「朝から可愛い雪季の生着替えもまた見られるようになったしな」

「生って……お兄ちゃんのそばで朝の準備をしないと調子が出ないんですよね、私」

「すげぇクセがついたもんだな」


 部屋は別々になったが、雪季は毎朝着替えのために春太の部屋にやってくる。

 父親も察しているようだが、特に文句は言ってこない。

 毎朝、キスしたりベッドでイチャついていることまでは気づいていないようだが。


「じゃあ、朝飯食ったら、さっそく勉強を始めるか。今日は休みだから、一日みっちり見てやれるな」

「そ、そう来ると思ってました。でも、せっかくの振り替え休日なのに、いいんですか?」

「別に予定もねぇし。松風は今日も部活だしな」


 その松風は、雪季を吊るし上げていたセーラー女子たちを軽くシメたらしい。

 ポニーテール少女も夏までバスケ部だった上に、自宅にバスケットゴールがあるというので、そこで遊んでやったそうだ。


 松風は大柄なだけでなく、体力も並外れている。

 軽くというが、ポニーテール少女たちは松風の相手でボロボロに精根尽き果てたらしい。

 春太にしてみれば、お仕置きとしては軽すぎるが――雪季も戻ってきたので、もう忘れることにしている。


「えーと……晶穂さんは?」

「あいつは、今日は死んでるよ。昨日、ステージでハジけまくってたからな」


 昨夜は、春太が晶穂を家まで送ったが、その時点でもう半分寝ていた。

 晶穂のほうは小柄なだけあって、スタミナに欠けるようだ。


「昨日のステージは俺が動画撮ったんだよ。それ、ウチで編集することになってる」

「U Cubeに投稿するんですか?」

「まさか。顔を全部モザイクにしても誰だかバレるだろ。あいつは身バレはあまり気にしないっつーけど、さすがにな」


 ただ、編集した動画を四月の新入生の勧誘に使うらしい。

 部員一名の軽音楽部はこのままだと廃部の危機なので、いろいろやってみるらしい。

 晶穂の家のPCはスペックが低いので、桜羽家のPCで編集することになったのだ。


「いいから、雪季は勉強に集中しろ。おまえ、専願なんだし落ちたら高校浪人だぞ」

「あの、繊細な受験生に落ちるとか浪人とかはやめません?」

 雪季は苦笑している。

 春太が話を強引に変えたことに気づいているだろう。


 妹は、兄と晶穂の関係を気にしているのだ。

 一方で晶穂は――春太が雪季を連れて帰っても、これまでと特に様子が変わりがない。

 もちろん、晶穂のほうは春太と雪季の血が繋がっていないことを知らない。


「別に、妹とイチャついたっていいんじゃない。誰が困るもんでもないし」


 などと、春太と雪季が家でなにをしているのか、感づいているフシもある。

 強がっている風でもなく、本気でそう言っているらしい。


 だが、春太の行動は常軌を逸しているし、この兄妹の関係が普通ではないこともわかっているだろう。

 それでいて、春太と雪季の関係を気にしていないのは、どうあっても兄妹ということで安心しているのか、それとも……。


 雪季を連れ戻したとはいえ、問題が山積みなことに変わりはない。

 むしろ、問題が増えたとすら言える。


 まず重要なのは雪季の受験。

 人生にすら関わってくることなので、最優先なのは当然だ。


 だが、春太には晶穂との関係をどうしていくのか――

 雪季も晶穂も現状維持を選んだようだが、春太がそれに甘んじていいはずがない。


 誰も傷つかずに、この問題を解決することはかなわないだろう。

 答えを出すべきときは、先延ばしにはできない。

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