第34話 妹は可愛くない自分を許せない

 あまりにも深い眠りだった。

 夢も見ず、眠りが浅くなった一瞬に自分は死んでいたのではと思ったほどだった。

 そんな錯覚もまた一瞬で、再び眠りに落ち――


「う……んん……」

 春太は、いつもと違う感触のベッドに戸惑いを感じて。

 そうか、雪季ふゆのベッドを使わせてもらったんだと思い出す。


「…………?」

 隣にいたはずの、雪季の姿がない。


 いや、雪季との再会が幻だったのではと思ってしまった。

 それくらい、妹と再会できたのはあまりにも突然で、夢のように実感がない。

 だが、抱きしめて重ねた唇も、風呂やリビングで見た白い肌はまぎれもない現実だ。


「あ……お兄ちゃん、起きたんですね。ちょうどよかったです」

「雪季……」

 ベッドの横に、雪季のすらりと長い脚があった。


 カメラを振るようにして視線を上にズラすと――

 フロントにリボンがついた白いパンツ。

 真っ白なお腹にへそ、レースで縁取られたブラジャー。

 芸術的なまでの谷間がぐいっと盛り上がっている。

 華奢な肩に、細い首筋。

 大きな瞳に、わずかに微笑んだ唇。

 ストレートの長い茶色の髪――


「……って、ちょっと待て!」

「お兄ちゃん、寝起きいいですね」

「熟睡できたから――って、だからそうじゃなくて! 雪季、その髪どうした!?」

 寝る前は黒髪だったのに、起きたら茶髪になっている。


「染めました」

「染めましたって……」

「はい」

 雪季は戸惑う春太ににっこり笑いかけて、白ブラウスを着る。


「3時間くらい寝てましたね。もっと眠ってもよかったですけど。髪を染めるのは1時間もあれば余裕です。慣れてますしね」

「いや……こっちの学校、髪染め禁止なんだろ?」

「学校は関係ありません。お兄ちゃんがいるんですから、可愛くない黒髪でいるわけにはいかないんです」

 冷泉も言っていたように、雪季は黒髪でも清楚で可愛い。

 だが本人はお気に召さないようだ。


「んー……あれ、このスカート、ちょっとゆるいです。少し痩せたんでしょうか」

「うん?」

 春太には、見慣れたチェックのミニスカートだった。

 雪季は軽く屈んでミニスカートからパンチラさせつつ、ニーソックスをはいている。


「それ、前の中学の制服かよ。持ってきてたのか」

「はい、当然です」

 雪季は、ニーソックスの位置を調整しながら振り向いた。


「毎日、お兄ちゃんに見せてた制服ですからね。茶髪に、この制服でいたいんです」

「うん……」

 春太はベッドから起き上がり、雪季の前に立つ。


「ネクタイ、締めようか」

「お願いします、お兄ちゃん」

 雪季の言葉に頷き、春太は受け取ったネクタイをきゅっと結んでやった。


「……やっぱ、ちょっと歪んでるな」

「これがいいんです」

 雪季は頬をわずかに染めて、ネクタイの結び目を愛しそうに撫でた。


「つーか、雪季は俺のやることならなんでも受け入れすぎじゃないか?」

「お兄ちゃんが、私が受け入れることしかしない、という説もあります」

「……俺たち、実の兄妹として育ったのに、ろくにケンカもしたことなかったな」

「実の兄妹じゃなくても……ケンカはしたくないです」

 雪季が、そっと背伸びしてキスしてくる。


「そうだな、俺たちがケンカしてる場合じゃない。問題は山積みだからな……」

「あの、こんなの役に立ちますか?」

「ん?」

 雪季は、ベッドの枕元に放置していたスマホを手に取った。

 なにやら操作を始めて――


『あんたが教室にいると、ギスギスすんの。わかるでしょ?』

『いっつもつまんなそうな顔してさ。こっちだって、あんたの顔見てるとイライラすんの』

『転校生なんてただでさえ目立つのに、そんなヤツがずっとふて腐れてると、周りが迷惑なのよ』


「……あれ? それって、今日の……?」

 春太も、セーラー女子たちの台詞を全部覚えているわけではない。

 ただ、そのあたりは録音していないはずだった。


「どうも、あの人たちは私に反撃されることを考えてなかったみたいで。スマホも取り上げないし、チェックもしてなかったんですよね。お兄ちゃんなんて、真っ先にスマホを標的にしたのに」

「雪季も録音してたのか……」

「ええ、今日の分だけじゃなくて他にもいろいろと……」

 雪季は、机の上にあるノートPCをちらりと見た。

 きちんとデータのバックアップも抜かりなく済ませているらしい。


「その音声、使っていいのか? 雪季が人に聞かれたくない会話もあるだろ?」

「お兄ちゃんが使いたいなら、かまいません」

「そうか……」

 春太は、こくりと頷く。


 雪季がただ黙ってやられるだけでなく、春太の助けを待つだけでなく、自力で事態を解決するために動いていたのだ。

 雪季の成長が、春太には嬉しかった。

 手口が自分に似ているのは、少し気になるところではあるが。


「他にも……こういうのもあります。役には立たないと思いますけど。お兄ちゃんに送ろうか迷って、送らなかった写真です」

「……なるほどな」

 雪季のスマホに表示されているのは、とあるものを写した写真だった。

 夏休みに行われた、全国模試の結果――

 決して上位ではないが、以前の雪季からは想像もできない得点と順位だ。

 相当に勉強を頑張ったのだろう。


「いや、充分だ。これも役に立つよ」

 さっきの音声データと、模試の結果。

 これらがあれば、春太が企んでいた以上の選択肢が浮かんでくる。


「髪とか制服とかじゃなくて、こんなことを企んじゃうのが一番可愛くないですよね……」

「そんなことない……なあ、雪季」

「お兄ちゃん? きゃっ」

 春太は、首を傾げた雪季を――妹を優しく抱き寄せて。

 すっと一度だけ軽く口づけする。


「雪季、おまえを今すぐ連れて行く。どうする、ケンカするか?」

「……私は、お兄ちゃんのやることならなんでも受け入れるんですよ」

 雪季はにっこり笑って、彼女のほうからもキスしてきた。


 春太は妹の唇を味わい、制服姿の彼女を抱きしめて――

 その柔らかくてあたたかくて――可愛い妹を、ここから連れ出そうと決めた。

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