第12話 亀田家

 亀田さんを訪ねたのは3日後の1月5日のことだった。年末年始の10連勤を乗り越えた後の連休二日目である。体力には自信がある方だが流石に全身がガタついていたため、連休初日である1月4日は丸一日ダウンしていた。

 


 亀田さんのお宅は平屋の戸建てだ。門前で世間話などはしても敷地内に入ったことはない。入り口のこぢんまりした鉄柵を開くと、あら、と小さな声があがって小柄な人影が機敏に立ち上がった。


「東堂くんじゃないの。いらっしゃい」


 カーキ色のエプロンとアームカバーを着けた年配の女性がにこやかに近寄ってくる。亀田さんの奥さんの亀田かめだ吉江よしえさんだ。そう言えば、吉江さんは庭いじりが趣味なために、デート先が頻繁に植木屋になってかなわないと惚気まじりの愚痴を聞かされたことがある。


「おはようございます。突然すみません。甲介さんいますか?」

「朝から散歩に行っちゃったのよ。曇っちゃったしそろそろ帰ってくると思うから、上がって待っててくれる?」


 そう言い終えるや、軍手を外してスマホで連絡を入れてくれた。


「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいます」


 客間に通され、ガーデニングの装備を外した吉江さんがお茶とお煎餅を持ってきてくれた。


「いつもあの人の相手してくれてありがとうね。あの人なつっこいのはいいけどしつこくしてない?」

「いえ、こちらこそいつも構ってもらってて。全然知らない土地に来ましたから、最初に声をかけられたときは驚きましたけど嬉しかったですよ」


 これは社交辞令ではなく本気だった。人間関係をほとんど切り捨てた身にはありがたい。


「ならよかった! ここら辺いくつかアパートあるでしょう? 中には挨拶でぎょっとしちゃう人もいるみたいだから」

「集合住宅住まいだと、地域の付き合いとか基本的に薄くなりがちですもんね。同じアパート内でも全然顔合わせないですし」


 奥さんと一対一で話すことはこれまでなかったが和やかに話が続く。亀田さんも話し上手だが吉江さんも同じようだ。似たもの夫婦という言葉が頭をよぎる。


「そうだ、先月だけど東堂くんのお店でご飯頂いたのよ。私はオムライス頼んだんだけどね、凄く美味しかった」

「それは嬉しいですね。オムライスなら俺が作ったかもしれませんよ」

「ほんと? 主人とね、どれが東堂くん作だろうね~なんて話しながら選んだのよ。お休みの日だったかも知れないけど、それじゃあ私のはね」

「うちは肉がメインと言うか主力なので、そっちはまだ任せてもらえないんですよね。だからご飯物は大体俺です」

「ああ、あそこのお肉美味しいって評判だものねえ。主人はハンバーグ頼んで、そっちもすごく美味しそうだったからまた行こうって話してるの」


 亀田さんはジャンガリアンハムスターの貫禄があるが、吉江さんはなんとなくハリネズミを彷彿とさせる。徐々に心の内側からほこほこと暖まってきた。


「でも年末年始もお仕事なのは大変でしょう。疲れてない?」

「さすがに連勤明けの昨日は倒れてました。ただ来年とかは休めると思いますよ。昨日から三連休もらえてますし」

「うちの孫も忙しそうにしてるのよねえ。東堂くん同い年くらいだから余計に重ねちゃうわ。体壊さないように大事にしてね」

「結構丈夫なもんですよ。揉まれて強くなってるんで」


 上腕二頭筋をアピールしてみるが、冬の厚着のせいでほとんど見えていない。

 そうこうしてる間に家主が帰宅した。


「東堂くんごめん、お待たせしちゃったみたいだね」


 庭に面した縁側から、のそのそと上がる赤い顔が見える。早歩きで帰ってきてくれたのか、そうでなければ外がそれだけ寒かったのだろう。雪が降るまではいかないだろうが、雲はさらに厚みを増し、今夜はかなり冷え込む予報だ。


「すみません亀田さん、急に押しかけちゃって」

「いいよいいよ。いらっしゃい。吉江さん僕にもお茶ください」

「熱いのにする?」

「ううん、ぬるいのでお願い」


 亀田さんはパタパタと着込んでいた上着やマフラーを自室に脱ぎに行き、吉江さんはお茶とお茶菓子を追加して庭仕事に戻っていった。客間に戻ってきた亀田さんは俺の対面に座り、俺は本題に入ることにする。


「それでどうしたの?」

「ちょっと聞きにくいんですけど、亀田さんならもしかして知ってるかなと……」


 亀田さんがうんうんと続きを促す。


「後條愛美って人のことなんですけど、知ってますか?」

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