第20話 怪鳥

 マントを脱ぎ捨て小川に飛び込んだベルベットを横目に、周囲に動きがないか耳をそばだてる。

 どうやら最低限の羞恥心はあったようで、マント以外はそのままだ。といっても、マントの下は肌色過多ではあるけど。

 よくあんな格好で出歩いて恥ずかしくないものだ。

 ……そもそも、誰かと出会うこともなかったから問題はなかったのかもしれない。1000年の時とは人をこうも変えてしまうものなのか。

 人の儚さを感じしんみりしてしまうも、周囲に張り巡らせた意識はそのままに保つ。

 

 川のせせらぎ、そよ風になびく葉と草。ひらひらと舞う蝶が白い花にとまる。

 地獄のような光景が続いてきたせいか、緩やかな時の流れだというのにまるで落ち着かない。

 却って、違和感を覚えてソワソワしてくるほどだ。

 俺も相当、毒されているな。コズミックフォージの迷宮に。

 油断させるためなのか、自然を再現したかったのかは不明だが、こういうものは悪くない。

 すとんと川べりに腰を下ろし、ムラクモの刀を引き抜く。

 ミスリル製ってこんなに頑丈なのか。

 刀の刃はくもり一つついていない。手入れといえる手入れを行っていないってのに。

 刀を鞘に納めたところで、ハールーンが俺の隣にちょこんと座りこむ。

 

「感知系の術を使えれば、君に安心して休んでもらうこともできるんだけどね」

「トレースではどうしようもない部分なんだよな。俺も敵の気配をもっと感知できるようになりたい。日々修行さ」

「修行が好きなんだね」

「ハールーンほどじゃないさ」

「あはははは。面白いことを言う。僕は修行なんてしていないよ。ただなぞるだけ。できるまで延々とね」


 それを修行って言うんじゃあ。

 ひとしきり笑った後、ハールーンは急に顔を引き締め漆黒の瞳を真っ直ぐこちらに向ける。

 

「どうした? 改まって」

「失った力は魔法だけじゃないんだ。知識にも及ぶ」

「ええっと。スキル『コーデックス』だっけ。いろんな書物が見たい放題とかいう」

「うん。本にたとえるなら、多くの本棚が倒れていて本が閲覧できない状態なんだ。全部が全部というわけじゃない」

「いいじゃないか。それで。元より簡単に答えを得ることができるなんて思ってもないさ。謎を紐解き、コズミックフォージを殴り飛ばす。謎解きもまた冒険さ」

「君らしい。僕が答えを持っていれば、すぐにでも君を案内することができたのだけど、ね」

「そいつは楽ができる。だけど、たぶんそれじゃあ、俺たちは『勝てない』」

「相手が強力な魔物とは限らないさ。それも僕のコーデックスで……いや。詮無き事だね。迷宮で力をつけながら進む。これもまた必要なことというわけか」

「そんなところだ」


 トレーススキルを使って、剣を研ぎ澄まし、身体能力も鍛えた。

 落とし穴に落ちる前の俺と比べれば、今の実力は天と地ほどの差がある。

 それでも俺は、まだまだ基礎能力が不足していることを痛感しているのだ。

 スペシャルムーブのごり押しで勝てているに過ぎない。

 大聖堂で出会った侍だったか? 超敏捷を使ってきたあの男と純粋に刀で斬り合ったら、俺は敵わなかった。

 相手も超敏捷で押してきたけど、それはアンデッド化により思考力を奪われていたからだと思う。

 一流の武芸者相手に戦えば、スペシャルムーブで押す以外に今の俺じゃあ勝ち目はないかな。

 まだまだ修行が足りん。どこかで限界を感じれば、再び修行に向かう必要が出て来るかもしれない。

 幸い、最初の場所に戻れば、修行を行うこと自体は可能だ。生きて戻れれば、の話だけどさ。

 

 ベルベットのそろそろ満足したかな、と思い立ち上がったその時。

 クアアアアアアア!

 けたたましい鳥の鳴き声に鼓膜が揺すられ顔をしかめる。

 

 鮮やかな紺色の羽毛を持つ首が長い怪鳥が空を舞う。

 半円形になった純白の嘴も体に比べ大きい。全長は7メートルほどか。尾が短く細く長い首とアンバランスなほどに大きな嘴がちぐはぐで、危険な生物なのだろうけどコミカルさの方が前に出る感じだった。

 

 クアアアアアア!

 再びの鳴き声に耳を塞ぐ。

 音波で木が揺れ、千切れた葉がヒラヒラと地面に落ちた。

 

 ポタ。

 額に雨粒が当たる。

 思わず空を見上げたら、先ほどまで晴天だったというのに真っ黒の雲が覆い始め、みるみるうちに空の色が変わった。

 ザアアアアアア。

 激しい雨が降り注ぎ、ゴロゴロと雷の音まで聞こえ始める。

 一方で怪鳥であるが、俺たちに襲い掛かってくることもなくそのまま俺たちが目指す右手の方向に飛び去って行く。

 

「ベルベット! 早く上がって、いや、向こう岸に向かってもらえるかな」

「ハールーン。あいつは逃げて行ったけど、追うのか? さすがに空を飛ぶあいつに追いつくのは難しいんじゃ」

「そうじゃないよ。ウィレム。あの鳥の動きを見たかい? そして、魔力の流れを見るにあの鳥が雨雲を呼んだんだ」

「鳥の動きか」


 あの鳥は手記に記載されていたと思う。

 天候を操ることから、きっとストームバード……と断定できる。

 ランクは確かAだった。

 俺は自分で言ったよな「逃げて行った」と。

 雨は何のために? 少しでも相手の足止めをするためでは。

 怪鳥は「何かから逃げて」いたのだ。

 相手も空を飛んでいるのか? いや、違う。それなら、既に通り過ぎるか俺たちにターゲットを変えて襲い掛かってきているかしているはず。

 となれば、敵は地上を走るモンスターってこと。

 空を飛んでいるのなら、安全だと思うんだけど。本能で逃げてしまうほどの相手ってことだよな?

 

「俺たちも退避しなきゃだな」

「その方が無難だね。僕はヴァーミリオン・ミラージュを使う。君はベルベットを抱えて走るといい」

「分かった。ベルベット。すぐそっちに行く」


 この雨でベルベットにまで声が届いてないか。彼女は丁度小川を渡り切ってこちらに手を振っている。

 迫って来るだろう相手が何者なのかは分からん。

 大したことのない敵ってことはまずないよな……。とりあえず、様子見だ。

 

 バシャバシャと音を立て小川を渡り切り、ベルベットを背負う。

 

「きゃー」

「分かったから、先に魔法を」

「はいはいー。お任せあれー。走れー。ウィレム号」

「身を隠せる場所を探しながら走るぞ。落ちるなよ」

「あいあいさー」


 って言っても全力で駆けてはハールーンが追いつけないか。

 ベルベットを背負っている間に俺に追いついた彼女へ目を向ける。


「心配しなくていいさ。君の全力疾走の速度は分かっている。僕のことは心配しなくていい。君は君の目的だけを考えるように」

「分かった」

「えー。いいのお。愛しのハールーンちゃんを置いていって?」


 ベルベットが何やら囀っているが、ハールーンが良いと言ったのだ。だから、問題ない。

 俺は彼女の言う通り、自分のことだけを考える。

 それだけだ。

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