宮廷の『スキル調律師(チューナー)』 我が国のスキルに調律は必要ないとお払い箱になったので、早期リタイアして旧友のいるエルフの里で暮らす。後になってスキルが暴走したので戻ってきてと言われても困るのだが

佐藤謙羊

第1話

01 スキル調律師の朝

 スキルフル帝国、宮廷スキル調律師チューナーであるシュタイマンの朝は早い。


 庭のニワトリが鳴きはじめる夜明け前から起きだし、朝露のような冷たい水を飲む。

 庭で軽く運動をして、花壇の手入れをする。


 ニワトリが鳴き始める頃にニワトリ小屋に入り、ニワトリたちの体調を確認。

 小屋を掃除しエサをやったあと、家に戻って自分の朝食を準備。


 朝食はいつもライ麦のクラッカーにゆで卵二つ、サラダとコーヒー。

 宮廷に仕えている者とは思えない、そのへんの小作人と変わらないようなメニューであった。


 そう、彼の暮らしは質素であった。

 宮廷魔術師などは多くの使用人を従える屋敷に住んでいるというのに、彼の住まいは小さな一軒家。


 そして使用人はおらず、同居人と呼べる者すらいない。

 身の回りのことは、すべて自分でやっていた。


 しかし、不満などない。


 食卓にある、白磁のエッグスタンドに乗せられたふたつの卵は、彼にとっては宝石であった。

 卵をそれぞれ半熟とハードボイルドにし、毎日食せるというだけで、彼にとってはじゅうぶんに幸せであったのだ。


 朝食を終えると姿見の前に立ち、身だしなみを整える。

 まずは灰色の髪を、ワックスで丁寧にオールバックに撫でつけた。


 そして彼がいちばん時間をかける口ヒゲの手入れに入る。

 中年をすぎ、初老を迎えかけたような彫りの深い顔、その上唇には左右に伸びた立派な口ヒゲがあった。


 それを飛行機の羽根のように、寸分狂わぬ左右対象になるように整える。

 満足できる形になったら、いつものタキシードに着替えて家を出た。


 彼の家は田園地帯にあったので、通勤路は実にのどかである。

 今は土づくりの時期なので、朝日をバックに多くの農夫たちが茶色い地面にクワを振るっていた。


 農夫たちはみなシュタイマンに気付くと手を休めて帽子を取り、頭を下げる。

 シュタイマンもひとりひとりに礼を返していた。


 その途中、ひとりの農夫の異変に気付き、手招きして呼び寄せた。


「おはようノーフ君。キミはいま、右肩がかなり凝っているのではないかね?」


 朝からの体調不良を見抜かれ、農夫のノーフは素朴な顔を唖然とさせた。


「お……おっしゃるとおりですだ、シュタイマン様、なぜわかっただか?」


「キミのクワの振り方が、わずかではあるがぎこちなかった。

 『耕運こううん』スキルに少し歪みが出ていて、それが身体に表れているのであろう。

 わたくしの結界があるから、おそらく明後日には自然と治るだろうが、今すぐ治してしんぜよう」


 シュタイマンはノーフの返事を待たず、懐から音叉を取り出す。


 この音叉は、スキル調律師チューナーであるシュタイマンにとっての商売道具。

 中には振り子が入っているので、振るだけで共鳴を起こすことができるシロモノだ。


 シュタイマンが右手に持った音叉を振ると、


 ……ポーン。


 澄んだ鉄琴の音色と、あたたかい木琴の音色を合わせたような、心地良い音が鳴り響いた。


 左手はノーフの右肩を揉むような位置に置かれていたが、触れてはいない。

 しかしノーフは顔は極上のマッサージを受けているかのように、すっかりとろけていた。


「これでいい、もう肩は痛くないはずだ」


 声をかけられハッと我に返ったノーフは、右腕をグルグル回してその効果のほどを実感する。


「ホントだ! もうちっとも痛くないですだ!

 さっきまではクワを振るたびに痛くてしょうがなかったのに、これでいつものように畑仕事ができますだ!

 オラたちはいつも、シュタイマン様にはお世話になりっぱなしで……。

 そういえば、そろそろ野菜が切れる頃ではねえですか?

 お礼といってはなんですが、あとでシュタイマン様のところにお届けしますだ!」


「いや、いつも言っているが礼など不要だ。これがわたくしの仕事なのだから」


 シュタイマンはいつも断っているのだが、仕事を終えて家に戻ると、玄関には必ずといっていいほど何らかの『お礼』が置かれていた。

 彼が朝食に食べているサラダは、すべて貰い物である。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 シュタイマンの住まいはスキルフル帝国の西のはずれにあったので、帝国の中央にある王都への出勤には、軍の駐屯地にある『転送陣』を使っていた。

 転送陣というのは魔術によって描かれた魔法陣のことで、遠距離へ一瞬にして移動できるというもの。


 しかし誰でも使えるというわけではなく、普段は許可制となっている。

 シュタイマンは宮廷に仕える身であったのと、仕事柄、帝国じゅうを飛び回る必要があったのでフリーパスであった。


 軍の駐屯地から一気に王城の内へとテレポートしたシュタイマン。

 ここからの彼は、『宮廷スキル調律師チューナー』の顔となる。


 まずは城内にいる者たちのスキルに異常はないかと、城の中をひととおり歩き回っていると……。

 通りがかった訓練場から、雷が落ちたような怒鳴り声が聞こえてきた。


「『兜割り』といえば、我がスキルフル帝国軍兵士の必修スキル!

 それなのに貴様らの『兜割り』ときたら、兜にカスリ傷ひとつ付けられぬではないか!」


 訓練場を覗いてみると、新人兵士たちが勢揃い。

 剣術練習用の人形にフルプレートの全身鎧を着せ、『兜割り』スキルの訓練の真っ最中。


 しかし新人兵士のうち4名が『兜割り』ができず、しごかれているようだった。


 しかも叱っていたのは直属の上官などではない。

 軍部における最高位、『聖偉大将軍』である『ゴッドブレイド』であった。


「我らが帝国の傘下に入らず、世界平和を乱す小国は残りわずかである!

 しかし、まだまだ油断はならぬ! 全てを力によってねじ伏せるために我らはいるのだ!

 そして兵士にとっては兜こそが祖国の象徴であり、力の源でもある!

 戦場にて敵の兜を叩き割ってこそ敵は恐れをなし、我らが帝国の強大さを知り、ひれ伏すのだ!」


 4名の青年兵士たちは、何度も何度も繰り返し『兜割り』をやらされてすっかりへばっている。

 しかしゴッドブレイドは、彼らを労るどころか足蹴にしていた。


「貴様らが『兜割り』ができぬのは、帝国への忠誠心が足りぬからだ!

 100回程度の『兜割り』でへばるのは、根性が足りぬからだ!

 今日はこの兜をたたき割れるまで続けさせるぞ! さあ立て、立たぬか!」


「待つのです、ゴッドブレイド様」


 割り込んできた声に、ゴッドブレイドは鬼瓦のような形相を向ける。


「ああんっ!? なんだ、シュタイマンではないか!

 今は訓練の真っ最中であるぞ! 邪魔をするんじゃない!」


 シュタイマンはその制止を無視し、倒れていた兵士に近づいて助け起こす。


「この者たちが『兜割り』ができないのは忠誠心や根性の問題ではない。

 この者たちの『兜割り』スキルの構成がすこし特殊なのだ」


「なんだとぉ!? この聖偉大将軍である俺様の言うことが間違っているというのか!

 そこをどけ! 俺様が自ら気合いを入れ直してやる!

 こういう時は、顔の形が変わるまで殴ってやるのがいちばんいいんだ!」


 ゴッドブレイドは大柄で筋骨隆々、声も大きい。

 落雷のような怒声が頭上で炸裂すると、誰もがすくんで黙り込んでしまう。


 しかしシュタイマンは違った。

 避雷針のように兵士たちをかばうと、堂々とした口調で抗議する。


「『兜割り』スキルというのは通常、利き足で踏み込み、高く飛んでから発動する。

 しかしここの4名の『兜割り』スキルは、両足で踏み込まなければ威力が著しく減少するのだ。

 試しにそのやり方でやらせてみてほしい」


「がっはっはっはっはっ! 両足だとぉ!? そんなのは剣術ではなく、子供の遊びではないか!

 そんなので敵の兜が叩き割れるのであれば、苦労せんわ!

 よぉし、シュタイマンよ、そこまで言うならやらせてやろう!

 ただし貴様の言うとおりにしても兜が割れなかったら、みなが見ているなかで土下座してもらうぞ!

 万が一割れるようなことがあったら、俺様が土下座してやる!」


 騒ぎを聞きつけ、訓練場には多くのヤジ馬が集まっていた。

 何事かと、城の窓から顔を出している者もいる。


 シュタイマンは「かまわない」と頷き返すと、4人の兵士たちを集めてなにやら囁きかけていた。


 囁かれた兵士たちは半信半疑の様子であったが、彼らはシュタイマンの言われたとおりに足をピッタリと揃え、跳躍の練習をはじめた。

 両足を揃えて飛ぶその様は子供がホップスコッチで遊んでいるかのようで、周囲から失笑が起こる。


 そしていよいよ本番となり、兵士たちはターゲットである人形の前に整列した。

 剣を構え、掛け声とともに跳躍する。


 その真剣な表情に、さらなる嘲笑が起こっていたが、兵士たちの大上段から振り下ろされた剣は、


 ……ドグワッ! シャァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 鋼鉄を轢き潰すような音とともに、人形を分断していた。


 なんと兜だけでなく、それよりもずっと強固な鎧ごと、真っ二つ……!


 ガランガランと音を立てて地面に転がる兜と鎧の残骸。

 ゴッドブレイドはアゴの部分が砕かれた鬼瓦のように、あんぐりと大口を開けていた。

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