第56話
56 禁断の技
力の塔の1階にある闘技場は、2万人を超える全校生徒が集まっているとは思えないほどに、静まりかえっていた。
ゴクリ……!
と固唾を飲み、一斉に喉を鳴らす音だけが、夏の虫の音のように俺の耳に届く。
客席の視線を一身に集めているであろう、場内のど真ん中に俺はいた。
この塔の天井をすべて突き破ったドルスコイは、屋上から空に放り出されたあと、ブーメランのように戻ってきて、この0階の床に埋没した。
その衝撃はすさまじく、まるで隕石が落下したみたいに地面にクレーターを作る。
ドルスコイはうまいこと足から落ちたようで、今ではすり鉢状となった床に、下半身を埋没させて気絶していた。
しかし塔の高さから落ちて、気を失うだけだなんて……たいしたもんだな。
俺はそんなことを考えながら、クレーターに飛び込み、斜面を滑り降りる。
頭にひよこが飛んでいそうなヤツの元へと歩いていった。
身体の半分が埋まってるのに、まだ俺よりデカイ。
まるで小山のようだ。
ヤツの二の腕の外側に刻まれた、『ショウ様命』のタトゥーが看板のように、俺を迎えてくれる。
俺はぐるりと大回りして、山の正面に回り込んだ。
そして、クラクラと頭を泳がせている、ヤツの顔面めがけ……。
……スパァァァァァァァァァーーーーーーーーンッ!!
もはや
「わあっ!?」と観客が沸く。
水に濡れたブルドッグのように頭をブルブルと振って、ドルスコイは正気に戻る。
そして目の前に仁王立ちしている俺を目に映すなり、ギョロリと目を剥いた。
「せっ……セージっ!? な、なぜおんしが、
「さあな、お前の母ちゃんにでも聞いてみろ。それよりも勝負はついたんだ。俺は弱い者イジメの趣味はないから、さっさと降参しろ」
「だっ……誰がっ!?
「もう半分ほど、土に埋まってるんだがな……。そうかい、それじゃあ、さらにお前さんを降参させれば、相当な屈辱なんだろうなぁ」
もともと俺は、そのつもりだった。
まず、コイツが誇りにしている
そして全校生徒が見ている前で、罪を告白させたうえで、屈服させる……。
コイツはいわば、腐った根っこのひとつだ。
だから、再起不能なんて負け方をさせてしまえば、その腐った根っこを地面に残したまま、草だけ引っこ抜くようなものなんだ。
俺が狙っているのは、根っこごと……いいや、地面ごと掘り返して……。
まずは大穴をひとつ、空けてやることだったんだ……!
俺の考えを知ってか知らずか、ドルスコイは埋まったまま、ぐつぐつと笑った。
「グフッ……! グォグォグォグォ……! このグォイドンを降伏させようなど、不可能でグォワス! なぜならば
地面に埋まった情けない姿だというのに、首を捻って歌舞伎のような睨みを効かせるドルスコイ。
俺はヤツのドヤ顔を軽くあしらいながら、コートのポケットから、ふたつの豆粒と、長方形の塊を取り出す。
「そうかい。もう立派な負け犬だってのに、たいした心意気だな」
まず豆粒のほうは、この日のために作っておいた鼻栓。
俺の鼻に押し込むと、自然と声がくぐもった。
「こっちのほうは、何だかわかるか?」
長方形の塊のほうを、手で弄びながら尋ねる。
「それは……石鹸でグォワスか?」
「そうだ。俺がズングリムックにやった石鹸を、お前は奪ったんだろ?」
「それが、何だというのでグォワスかっ!? ズングリムックは
「石鹸を没収したのは、お前自身が使いたかったからだろう。お前のニオイでわかる」
「ちょっと気になったから、試しに使ってみただけでグォワス! それよりもあと少しで石鹸が無くなるから、その新しいのをグォイドンによこすでごわすっ!!」
ごあっ、と吠え掛かる虎のように、俺を威圧するデブの山。
そんな状態だってのに、よくカツアゲする気になれるな。
「コイツが欲しいのか? ならくれてやるよ」
俺は手にした石鹸で、ヤツの頬をするりと撫でた。
すると、
「うわっぷ!? 臭い!? 臭いでグォワスっ!?」
バラエティ番組の罰ゲームを受けたような、見事なリアクションで顔をそむけるドルスコイ。
「この石鹸はな、ズングリムックにやったのと同じ、俺の特別製だ。だが効果は真逆で、体臭を倍増させるんだ……!」
俺は石鹸で、ヤツの頬をペチペチと嬲る。
するとヤツは、毒を飲んだかのように悶絶しはじめた。
「グォォォォォォォッ!? や、やめるでグォワス! やめるでグォワスゥゥゥゥゥゥゥーーーーーッ!?!?」
しかしいくらもがいたところで、腕ごと埋まっている以上、逃げられるはずもない。
俺は我ながらサディスティックな笑みを浮かべながら、石鹸がヤツの頭部全体に行き渡るように、背後にも回って擦り付け続けた。
そしてヤツの後頭部から、恐怖を煽るように囁きかける。
「これはな、超強力な激クサ石鹸なんだ。しかもその効き目は、お前が奪った石鹸の比じゃない。こうやって少し擦りつけるだけで、身体にニオイが染みついて、1年は取れなくなるんだぞ……!」
「ヒイッ!? ヒグォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」
すると、ヤツはそれがよほど怖ろしかったのか、ちょんまげが逆立つほどに身体をわななかせていた。
まぁそんな石鹸、あるわけないんだけどな。
この石鹸が臭いのはそうなんだが、付いたニオイは洗えば落ちる。
しかし、ヤツの体臭はますます酷くなるだろう。
そして、本当に染みついたままとなるだろう。
なぜならば、その仕掛けのタネは、錬金術……!
そう……。
俺はヤツの後頭部に回り込んだときに、『変質』のポーズを取って……。
ヤツの身体を『激クサ』に変質させたんだからな……!
人体への錬金術は『人体練成』といって、禁断の秘術のひとつらしい。
だか『賢者の石』を抱える俺にとっては、そんな禁忌ですら、ただのおまじないでしかないんだ……!
「ヒイッ!? ヒイッ!? ヒギイイイイッ!? ヒグォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーンッッ!?!?!?」
自分の身体が変えられていくのを悟ったのか、ついに狂ったように暴れはじめるドルスコイ。
ヤツの体臭はついに、遠く離れた場所にある観客席にまで届いたようだ。
「うっ……!? クサっ!?」
「なんか、すっげーくせぇぞ!?」
「ドルスコイだ! ドルスコイの身体が匂ってるんだ!?」
「うわっ、マジでくっせぇーーーーーーーーーっ!?!?」
「いやあっ!? ドルスコイ君って以前から臭かったけど、ここ数日はぜんぜん臭くなくて……と思ったらなにこのニオイっ!? 最低っ!! いやぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!?!?」
客席は阿鼻叫喚の渦に包まれる。
ドルスコイと同格である、
それどころか、ヤツを敬う立場であるはずの、
いや、ヤツにとってはゴミ同然であった、
まるで、突如としてバキュームカーが現れたかのように、鼻を押さえ……。
口汚く、罵りはじめたのだ……!
「うげぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーっ! くっせぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーっ!!!」
「ドルスコイ様、くせええぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーっ!!」
「今までは
「こんなに臭かったら、もう近寄るどころか、遠くから見ることもできねーよ!!」
「やだっ、やだぁーーー! あんなのが
「あれじゃ、そびえたつクソの山だっ!!」
「うわあっ、ホントだっ! クソだっ! クソクソぉーーーーーーーっ!!」
「誰か早く、なんとかしてぇ! クソがなんで、あんな所にあるのぉぉぉぉぉぉーーーっ!?!?」
毒ガスが撒かれたかのように、客席はパニックに陥っている。
まさかここまで、観客の扇動がうまくいくとは……。
これじゃ、蛇蝎以下の嫌われようだな。
いずれにせよ、この激クサ爆弾は暴発寸前だろう。
俺は最後の仕上げをするために、ヤツの前へと再び回り込んだ。
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