第28話
28 風の拳
『天地の塔』の『天地0階』は、エントランスやエレベーターホール、そしてクエストカウンターや休憩所などがある、いわば安全地帯だった。
しかし大きな階段を上がってからの『天空1階』からは、モンスターが出現する危険地帯となる。
迷路のようになっている通路はやけに広く、天井も高かった。
しかし壁以外には何もないので、やたらと殺風景。
壁は、塔の外観と同じく水晶のような、ツヤツヤでのっぺりした壁。
鏡面のようだった塔の外壁とは異なり、色は灰色でくすんでいる。
しかし間接照明のような不思議な光をぼんやりと放っているので、どこも明るかった。
足元はコンクリートじみた石造りで、多くの者に踏み荒らされたのか、ところどころボコボコ。
戦闘が行われたような場所ではクレーターのような跡があって、あたりにはモンスターの体液や、血痕のようなものがべっとりと貼り付いている。
そして俺は、今更ながらに自覚する。
いつ死んでもおかしくな場所に、足を踏み入れていることを……!
そう、そうなのだ。
まるで修学旅行の自由時間のような気軽さで送り出されたが、ここにはモンスターが出現するし、罠などもあるらしい。
例えるなら、自由時間でスラム街に迷い込んだかのように……。
まわりは危険でいっぱいなんだ。
俺は、いきなり戦場に放りこまれた新兵のような気分になって、ちょっとワクワク……いや、ドキドキする。
しかしその新鮮な感情も、長くは続かなかった。
クラスメイトがすでに先行していたせいだろう。
生まれて初めて出会ったモンスターであるゴブリンは、すでに死体だった。
ちなみに死体はこのまま放置しておくと、塔の床に吸収されるように消えてしまうらしい。
そして長い時を経て生まれ変わり、塔の壁から滲み出てくるという方法で、新たなモンスターとなって再出現するそうだ。
まぁ、なんでもいいけど……。
せっかくのモンスターなんだから、どうせなら動いてるところを見てみたいな……。
なんて思いながら歩いていると、
「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!?」」」
通路の曲がり角の先から、みっつの悲鳴が聞こえてきた。
ひょいと顔を出して覗き込んでみると、そこには……。
「ギャッ! ギャッ! ギャーッ!!」
俺より少し高い背丈で、緑色の肌……。
つるっぱげの頭に、裂けたような耳と口が特徴の小男……。
そう、ゴブリンがいたいんだ……!
錆びたナイフを振り回すヤツの足元には、
「「「ひいいいいいいいいいいーーーーーっ!?」」」
腰を抜かし、いじめられっこのように縮こまる、3人のクラスメイトたちが。
俺が覗き込んでいることに気付いた彼らは、
「た……助けてでつ!」
「助けてでしゅ! 助けてでしゅ!」
「助けてでふぅーっ!!」
まるでウェーブでも送るかのような揃った動きで、こぞって俺に助けを求めてきた。
それでゴブリンは、俺という新手がいることに気づく。
戦意を喪失している彼らを捨て置き、ターゲットを変更、
「ギャーッ!」
とナイフを振りかぶりつつ、襲いかかってきた。
たぶんゴブリン語で、「死ねー」とでも言ってるんだろうか。
俺は曲がり角から顔だけでなく、腕もニョキッと出して……。
ちょっと強めのジャブを、ヤツの顔面に叩き込んでやった。
醜い顔がさらに醜く、メキッ! とひしゃげる。
「ギャイン!?」
ゴブリンは犬じみた叫びとともに数メートル吹っ飛び、大の字に倒れ、舌をだらんと出したまま動かなくなった。
俺は、我ながらいいパンチだなと思う。
今朝まではネコパンチどまりだったのだが、あばれるちゃんとキスした拍子に、『風神流武闘術』が身についたようだ。
そのおかげで、俺の初めてのモンスター戦闘は、拍子抜けするほどにあっさりと終わった。
クラスメイトたちはまだビビって震え上がっていたので、「大丈夫か?」と近づいていったら、
「「「ありがちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!?!?」」」
お礼だか悲鳴だかよくわからない叫びをあげながら、這い逃げて行った。
まぁ、別にいいけど……。
俺は気を取り直して、先へと進む。
そこから先は一本道で、特に迷うこともなく大きな広間に出た。
部屋は大きな溝を境に、ふたつに分断されていて……。
横たわる川のような溝の前では、多くの人間が立ち往生していた。
皆の様子をざっと眺めた感じ、溝を渡って部屋の向こう側に行く方法を探しているらしい。
溝は10
高さはあるが、落ちても問題はなさそうだ。
ただ手掛かりやハシゴなどはないので、落ちてしまったら這い上がるのには苦労するだろう。
そして溝の向こうには『上がる』という立て札が。
札のそばには、トロッコの分岐を操作するような大きなレバースイッチがあり、手前側に倒れていた。
俺のいる手前側には、『下がる』という立て札とスイッチがある。
それで、大体事情は飲み込めた。
向こう側にある『上がる』スイッチを倒せば、いま溝になっている床が上昇して、通れるようになり……。
逆に床が上昇しているときに、こちら側にある『下がる』スイッチを倒せば、床が下降して溝になる……というわけか。
さすがに10
顔ぶれとしてはクラスメイトだけでなく、他のクラスの者たちもいる。
それどころか、
彼らはわいわいと言い合っている。
「ゲコオッ!? どういうゲコゲコっ!? どうゲコったらこの先に進ゲコようになるゲコ!?」
「アクマアクネ先輩! あの奥にある『上がる』のスイッチを倒せばいいんですよ!」
「無理ゲコっ! 手が届かないゲコっ!」
「おい、アクマアクネ! この塔にある仕掛けのいくつかは、昼の12時と夜の12時にそれぞれ、自動的に動く場合があるって先生が授業で言ってなかったか!?」
「ゲコッ! それはゲコも知ってるゲコっ! でも、もう昼は過ぎてるゲコ! 夜まで待つゲコなんて嫌ゲコっ! それに、解決方法としてはぜんぜん格好良くないゲコっ! せっかくゲコのペットたちに、カッコイイところを見せようとしたのに……!」
俺は話の輪の外から、こっそりチャチャを入れてみた。
「じゃあジャンプするってのはどうだ? お前イボガエルだから、跳ねるのは得意だろ? 溝を飛び越えるなんて、かなり格好いいじゃないか」
「ジャンプ!? それは確かに格好いいゲコ! ……って、この距離を飛べるわけないゲコっ! それに溝は深いから、落ちたら這い上がれないゲコっ! スイッチが自動的に動くまで、夜までずっとそこにいなくちゃならないゲコっ!」
すると、イボガエルは名案を思いついたのか、喉をゲコッと鳴らした。
「そうゲコ! 武器を投げてみるゲコ! スイッチに当てて倒すゲコ!」
しかし周囲は難色を示す。
「嫌だよ! 外れたらどうすんだよ! 取りに行けなくなっちゃうじゃねーか!」
「すみません、アクマアクネ先輩! 私の装備は学園からの借り物なんです! だから、返却できなかったらペナルティが付いてしまうんです!」
俺はまたチャチャを入れた。
「そういうのはまず、言い出しっぺが最初に投げるべきだろ、そうだろ、みんな?」
「ゲコッ!? ゲコの剣はこの日のために買ったばかりだから、絶対に嫌ゲコっ! ……って、さっきから口を挟んでいるのは誰ゲコっ!?」
「俺だよ」
皆は、バッ! と一斉に振り向き、俺を見た。
「ゲコッ!? またあのチビが出やがったゲコっ!」
「なんだ、落ちこぼれのセージか」
「お前みたいな
「邪魔だから、あっち行ってろ!」
その場にいるヤツらは、俺にとってはロクに知らないヤツがほとんどだったのだが……。
どいつもこいつも、まるで親の敵みたいに口汚い言葉を浴びせかけてきた。
俺はどうやら、すっかり全校生徒の敵になってしまったようだ。
「おいチビっ! わけのわかんないゲコばっか言ってると、お前を放り投げるゲコ!」
「そうだ! お前がそんな偉そうなことを言うってことは、なんとかできるんだろう!?」
「面白ぇ! やってみろよ! でも、もしできなかったら、アクマアクネの言うとおり、この溝に放りこんでやろうぜ!」
「それいいな! 夜までここに置き去りにしてやれば、コイツもピーピー泣いて、自分の身の程がわかるってもんだ!」
せせら笑うヤツらの売り言葉を、俺はつい買ってしまう。
「わかったわかった。もし俺があのスイッチを倒せなかったら、溝に突きとすなりなんなり好きにしろ。でもスイッチを倒せたら、お前らは何をしてくれるんだ?」
この場のリーダーっぽい雰囲気を醸し出しているイボガエルは、そんなことは絶対に無理だとばかりに、膨らんだ腹を押さえて爆笑していた。
「ゲココココココ! ここにいる全員で犬の真似をして、3べん回ってワンって鳴いてやるゲコっ!」
「うーん、別にそんなことをされても、嬉しくはないが……まあいいだろう」
あーあ、いつの間にか、妙な賭けに乗ってしまった。
でも、まーいっか、と思いつつ、ヤツらに向かって歩いて行くと、人垣が割れて道ができる。
俺は溝の淵ギリギリに立ち、向こう岸にあるスイッチを見据えた。
「あのスイッチ、お前よりデカいゲコっ! たとえあのそばに行ったところで、倒すのは無理ゲコっ!」
イボガエルの言うとおり、たしかにスイッチは俺の身長より高かった。
今の俺の力じゃ、飛びついてウンウン言ったところで、ビクともさせられないだろう。
でも……『力』じゃなけりゃ、なんとかなりそうだな。
俺は、今朝の記憶をたぐり寄せる。
えーっと、たしか……。
こうやって、腰を低く落として……。
握り合わせた両手を、腰の後ろに回す……。
そして、気合いとともに……。
掌底を、一気に突き出すっ……!
「
……カアッ!
俺のまわりに、銃の
空気の塊のようなオーラが、水中を泳ぐトビウオのように一直線に飛んでいき……。
……ガコォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーンッ!!
レバーを真っ二つにせんばかりの勢いで、奥に押し倒していた。
いや……それは、比喩ばかりでもない。
正確には、レバーの上半分は衝撃のあまりへし折れ、木クズになった看板とともに、部屋の奥に吹っ飛んでいたんだ。
あちゃあ……。
しまった、また力の加減を間違えちまった。
レバーを折っただなんてバレたら、また先生に怒られそうだなぁ……。
そしてきっとまた、
「壊したゲコ、壊したゲコっ! チビがスイッチを壊したゲコっ! みんなに言いふらして、先生にも言いつけてやるゲコっ!」
とはやし立てられるかと思ったのだが……。
まわりにいたヤツらは、まるで台風で自宅が吹き飛ばされた人みたいに立ち尽くすばかり。
スイッチが作動し、床がせりあがってくる、ゴゴゴゴ……という音だけが、部屋に響いていた。
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