賢者の胆石

佐藤謙羊

第1話

01 賢者の石を持つ少年

「これが通称『ハロー・マジック』とも呼ばれる、初歩の初歩の呪文なんですねぇ。めくるめく魔法の世界へようこそ」



 歓迎しているのか、そうでないのか……。

 よくわからない力の抜けた口調で、壇上の先生は言った。


 不思議な丸メガネが目を引く。

 片側のレンズはサングラスのように真っ黒なのだが、もう片方はクリアレンズで異様に磨き上げられていて、光沢で真っ白に光っている。


 しかし綺麗なのはそのレンズだけで、他はまんべんなくだらしがない。


 髪はボサボサ、服装はヤブ医者のようにくすんだ白衣。

 長い袖からのっそりと出ている右手で、頭をボリボリと掻きむしっている。


 そして、ついでであるかのように、かざした左手。

 その上では、ロウソクくらいの小さな炎がゆらめいていた。



「この『発火ファイヤリング』の魔法を身につければ、マッチがいらなくなるんですねぇ。そして賢者フィロソファー様ともなると、火柱のように大きな炎が起こせるほどになるんですねぇ」



 俺を含めた生徒たちが机の上で開いていたのは、教科書の『発火魔法ファイヤリング・マジック』のページ。

 そこにはたしかに、キャンプファイヤーくらいの炎を起こしている賢者フィロソファーのイラストが描かれていた。



「魔法の発動にはどんなものでも必ず、『呪文の詠唱』と『精霊が宿った触媒』が必要となるんですねぇ。詠唱については、修行を積んだ賢者フィロソファーともなれば、文言は短くてすむようになるんですねぇ。しかし……」



 先生は発火魔法の触媒となる、鉄粉のようなものを指先でこすりながら続ける。



「この触媒だけは、どんなに修行を積んでも必ず必要となるんですねぇ。ただ『賢者の石』があれば、触媒を一切使わずに、どんな大魔法をも使えるようになるんですねぇ。まぁ、この僕どころか、大賢者ハイ・フィロソファー様でも古文書でしか見たことがないその石を、持っていればの話ですがねぇ」



 生徒たちがどっと笑う。

 俺は、なにがおかしいのかわからなかった。


 ……もしかして賢者の石ネタは、この世界では鉄板ジョークなのか?


 ウケたのに気を良くした先生は、さらに授業そっちのけで雑談に花を咲かせはじめた。

 のほほんとした口調も賢者の石のこととなると、じゃっかん力が入るようだ。



「賢者の石というのは、とてつもないものなんですねぇ。手にすれば世界の法則すらもひっくり返すほどの無限の力を得られ、不老不死になり、金銀財宝やワインを生み出すことができるようになるんですねぇ。なにせたった1グロムの賢者の石を巡って、世界をふたつに分けた大戦争が起こったほどですから……」



 賢者の石の話となると、みな興味津々なのか、生徒たちは熱心に聞き入っている。



「しかし結局その石も偽物だったそうですから、皮肉なものですよねぇ。僕はその賢者の石を、自らの手で作り出すために日々研究を重ねているんです。この学園では、塔の地下で採掘も行われていますが、あんなのは賢者の石の権威である、このリバーサーに言わせれば……」



 俺も興味本位で耳を傾けていたのだが、後で痛感することになる。


 このリバーサー先生の『賢者の石トーク』は、この先の授業でも飽きるほど聞かされるということ。

 それと、賢者の石に夢中になっているのは先生や生徒だけではなくて、世界中のヤツらがそうであるということ。


 俺はこれから先の人生で、特に後者のことを嫌というほど思い知らされることとなる。


 先生はさんざんしゃべり倒したあと、何かを思い出したように咳払いをひとつした。



「……おっと、ついしゃべり過ぎてしまいました。賢者の石のことになると、つい時間を忘れてしまいますねぇ。そろそろ授業の続きに戻るとしましょうか。えーっと、たしか『発火ファイヤリング』の魔法でしたねぇ。この学園に入学したばかりのキミたちは、魔法を使うのは初めてでしょう? ですからまずは、詠唱の練習をしましょう。教科書に書いてあるとおりに、文言を読み上げてくださいねぇ」



 生徒たちの視線が、一斉に手元の教科書に落ちる。


 先生が口頭で教えてくれないのは、呪文の文言は術者の技量によって変わるからだ。

 すでに使い手として上級の先生が、下級用の文言を口にすると、精霊たちにナメられてしまうらしい。


 ちなみに大魔導師ハイ・ウィザードである先生が、炎属性魔法の初級中の初級である、『発火ファイヤリング』の魔法を使う場合は、



『我が命に従い、そなたの脆弱なる微熱を、我が手に捧げよ。……発火ファイヤリング



 という、命令口調の呪文でいいらしい。

 しかし、今日初めて魔法を習う俺たちは、



『炎の精霊様、愚かなる私の言葉を、どうか、どうかお聞き届けください。四霊においてもっとも不浄で、もっとも情熱的。そしてすべての力の源ともいえるあなた様の、偉大なる力の片鱗を、どうか、どうかこの無力なる私めの、貧相なる手にお与えください。……発火ファイヤリング



 こんな風に、かなりへりくだらないとダメなんだそうだ。



「コツは心の中でも念じ、そしてその気持ちを呪文に乗せることですねぇ。詠唱が成功すると、手が少し熱を持ちます。その時に触媒を持っていれば、発火するでしょうねぇ。といっても、キミたちのような習いたてでは、ほんの一瞬だけ火花が散ればいいほうですかねぇ。失敗すると触媒はダメになってしまいますから、まずは詠唱の練習だけにしてくださいねぇ。コツが掴めてきたら、触媒を使ってやってみましょう。最初に火花を起こせた人に、ご褒美をあげましょうかねぇ」



 ご褒美と聞いて、熱心に練習をはじめる生徒たち。

 簡素な木机が並んだ室内に、卑屈な祈りの言葉が次々とおこり、石造りの壁や天井に染み込んでいく。


 俺は、肝油ドロップでももらえんのか? なんてシニカルに思いつつも、初めての呪文に挑戦してみることにした。


 なんたって前の世界じゃ、魔法なんてなかったから実に興味深い。

 それにこっちの世界じゃ、魔法は電気みたいなモノっぽいから、使いこなせれば生きていくうえでいろいろと役に立つだろう。


 えーっと、なんだっけ?

 まず詠唱する前に、心の中で念じればいいんだっけ?


 炎よ起きろとか、そんな感じか?


 なんて軽い気持ちで思った直後、俺の眼前は紅蓮に染まっていた。



 ……ドッ……!!


 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!



 活火山のように吹き上げる火柱。


 あったはずの天井はすでに吹っ飛んでいて、天を焦がすほどの高さで燃え上がっている。

 消し炭になった鳥らしきものが落ちてきて、床に当たって砕け、足元で灰燼と化す。


 俺の周囲で机を並べていた学友は、爆発コントのように服がボロボロ、髪はチリチリになっていた。

 誰もが真っ黒な顔で呆然とし、穴という穴から煙を吹いている。


 爆心地であった俺も、もちろん言わずもがな。



「ゲホッ、こ……これ……は……。先が、思いやられるな……」



 森光子にでもなったような気分で、ひとりつぶやく。

 昨日、俺をこの世界に導いた、女神の言葉を思い出しながら。



『前世であなたの身体の中にあった胆石さんは、すべて賢者の石さんとなり、あなたの身体にそのままコロコロと残っています。賢者の石さんは世界の法則をクルリってしちゃうほどのすごい力がありますから、気をつけてくださいね』



 彼女アイツはたしかにそう言っていた。

 「戸棚にオヤツがありますよ、でも食べ過ぎないようにね」くらいの軽さで。

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