生意気な後輩との恋愛協定

しんじょー

第1話

「なあ後輩」

「なんですか先輩」

「俺がボロボロな理由……解るか?」

 

 猛暑の季節は当の昔に過ぎ去り、過ごしやすい春の風が吹く5月中旬。食後の眠気を促進するような気温に比例して、山の向こうに太陽が隠れるのは少しづつ遅くなっている。既に、六限が終わっていくばくか経過し、外から入ってくる日差しには薄く赤みが差し込んでいた。

 

 そんな夕焼けに照らされた放課後のとある教室。そこでは二人の少年少女がペらりぺらりと本を捲っていた。

 

 先輩こと隠岐おき和泉いずみ。後輩こと羽衣はごろもかおり

 

和泉の唐突な問いかけに対し、香はふむ、と形の良い顎に手をそっと添えて和泉の格好を見据える。

 

彼女の知る先輩は身だしなみを崩さず、同年代と比較すれば大人びた雰囲気を持つ男性である。他人がどのような格好をしていようと気に掛けないが、自分はきっちりと着こなすタイプだ。真面目と言えば聞こえはいいが、面白みがないともいえる。一度「着崩さないんですか?」と尋ねたところ「単純なのが結局のところ最強なんだよ」との素っ気ない返答が返ってきた。

 

 それを証明するかのように和泉は私服も簡素である。その辺りにあるお安いチェーンな服屋さんで無地を数着購入して着まわしている程度だ。故に、気にも留めていなかったが改めてマジマジと見れば今の泉の姿は異様に映った。

 

 引き締まった印象を与える青色のネクタイは、平素よりややよれており、駅でだらしなく眠っている酔っぱらったサラリーマンのよう。毎日アイロンを掛けているはずのシャツや灰色のカーディガンはしわくちゃな有様で、ズボンのベルトの位置も心なしかいつもより下がっている。

 

 まあ、このような締まりの悪い格好を好む者が一定数いるのは事実であるが、普段はきっちりと着こなす泉にしては余りに不自然である。彼の人となりをある程度把握していたからこそ、その風態の奇妙さはより際立って見えた。

 

 そう、例えるのならまるで大人数にもみくちゃにでもされたような……。

 

 ここで、香。ハッと一つの可能性に思い当たる。自らの余りの天才的発想、聞きしに勝る名探偵も思わずスタンディングオベーションをして、最大限の賛辞を贈るであろう推理へと辿り着いた。その圧倒的な事実にわなわなと震えつつも、あくまでも毅然と挙手をする。和泉は禄でもないこと考えてそうだなコイツ……、と思いつつも発言を許可した。

 

「痴漢でもして通報されましたか……いつかやると思ってました」

「お前の中での俺の認識を一から十までみっちりと尋問してやりたいところだが今は水に流そう。とりあえずそのセルフモザイクやめようか」

「いえ、性犯罪者とは目を合わせるな妊娠されられるぞ、と田舎のばっちゃんに言われているのでお断りします」

 

 和泉は比喩などでなく、確かに青筋が浮かんだのを自覚した。無表情で先輩を貶めてくる生意気な後輩をどうしてくれようか、と一先ず目を合わせようとするも、彼女の瞼を隠すように添えられた細い指先に覆われていて叶わない。

 

 しゅっしゅっ、と体を左右にゆらしても香は和泉の動きに対応し、ニュースに出てくるような癪にさわるモザイクは取り払われない。

 

「香さーーーん?その目障りな指どけてくれませんかねぇ?先輩あんま舐めてると泣かせたるぞこの野郎」

「私は野郎ではありません。この神すらも膝をつき、感動の余り落涙する美貌が目に入らぬのですか……? 眼科を診療することをお勧めします」

「生憎だが絶賛受療中だ。……絶対に二年後三年後に唐突に思い出してのたうち回る羽目になるからな」

 

 本気で疑問の眼で見てくる少女にげんなりとした顔で返した。

 たしかに和泉の視点から見ても一つ年下の生意気な後輩の容姿はモデルや芸能人、アイドルにいても何ら違和感を感じないほどに整っている。しかし、どれだけ美しくてもそれを謙遜すらせず当然であるとふんぞり返っている者を美しいとは思えない。この辺りは好みによるだろうが和泉は御免だった。

 

「私をうじゃうじゃ沸いている有象無象どもと同じ括りに入れないでください。私が日本一、いえ世界一……否宇宙一……銀河一美しくて可愛いのは絶対の法則なので事実を述べているに過ぎません。いわばリンゴは落ちると同等の意義なのです」

「……俺、お前の将来が割と切実に心配。知らないかもだけど恋人は顔だが夫婦は中身なんだぜ」

「それは認めましょう。結婚相手で最も重視すべきは性格と安定性です。けれど外面も評価の一部となるのは自明の理。私の場合は外見が大気圏外まで突き抜けているので問題ないのです。私にだけ優しくて頭のいいエリートを捕まえるので」

「いたたたたた。高1にまでなって王子様願望が抜けきってない子がいるよ。いっとくが本当に性格のいい男は基本顔を重視しないぞ。美人が見たいならテレビをみればいいじゃないか、とか某王妃のようなこと言いだすからな」

「……イケメンですね。紹介してください」

「腹の中どころか全身夥しいほどの黒で覆われてるお前じゃ落とせんよ。それにソイツ彼女いるし」

 

 和泉はいつもの調子で軽快な反論の一つでも飛んでくるかと思っていたが、予想に反して香は静かなモノだった。じっと黙ってうつむいている。

 

(流石にいいすぎたか…)

 

 親しき中にも礼儀あり、という言葉がある。大抵の人間は親しくなるにつれ言葉から遠慮が取り払われていくのだ。しかし、あくまで礼を失してはならない。それは遠慮なく話せるかけがえのない友人を失うことにつながるからだ。

 

 今すぐにでも撤回して謝ろう、そう思って和泉が口を開きかけると香がガバッと顔を上げた。

 

「……世の中には略奪愛という古代より連綿と続く一大ジャンルがあるのをご存じですか」

 

 きらーん、という効果音がピタリと当て嵌まりそうな表情でとんでもないことを言い出した。得意げに口角は上がり、目は決め顔をするときのように楽しそうに少し細められている。無駄に可愛らしいのが和泉の神経を逆撫でする。

 

 和泉は即座に謝ろうという思考を彼方へと追いやった。コイツに謝る必要なんて多分未来永劫ないな、と心で呟く。

 

「もしや倫理観というものをご存じない? ギルティーな」

「ノット・ギルティーです先輩。思想の自由が私を護ってくれます。どれだけ危ない思想をしていたとしても行動に移さない限りは裁かれないのです……!」

「発言してる時点であかんだろ……さて、話を戻すが後輩、どうして俺はこんなにもボロボロなんだと思う?」

 

 香はふむ、と一息ついて当然のように宣った。

 

「痴漢でしょう?」

「ちげーよ!? お・ま・え・の・せいだよ!」

「むむ。身に覚えのない罪を擦り付けられました。名誉棄損で訴えさせていただきます」

 

 よよ…、と涙も出ていないのにハンカチを目元にやって拭うようにする香に青筋が数本増える。しかし、ここで怒ったら先輩として何か負けたような気がするので、和泉は努めて平静を装った。

 

 なお、言うまでもないがまったく装えておらず、香が面白がっているのはご愛敬である。

 

「ほー? この期に及んでしらばっくれると申すか……。じゃあ昨日!お前が放課後の廊下で公開告白されたときに語った言葉を一字一句余さずに復唱してみろ」

「……そんなことありましたっけ? 正直昨日は眠くて眠くて寄ってくる羽虫のことなんて認識すらしていなかったんですが」

「……せめて存在は認識してあげろよ。かわいそうだろうが」

「公開告白って時点でもうナイですよね。恋人同然の間柄ならまだしも碌に話したこともない相手にする行為としてはあり得ません。この雰囲気なら断りづらいだろう、って魂胆が透けて見えます」

 

 へッと吐き捨てた様を見て少し夢を削られた。因みに和泉は公開告白に夢を見ていた派閥である。

 

「世のロマンチストたちに全力で謝れ」

「頭がメルヘンでお花畑な御方々。愉快痛快はっぴーな楽園に除草剤を撒いてしまい申し訳ありませんでした」

「謝る気ないだろ」

「ええ、ありませんよ。で、私はなんて断ったんです? 最近は断るレパートリーも尽きてしまって本気でどう断ったか覚えていないんですが。どうせ動画でも撮られてるんでしょう。とっとと見せてください」

 

 香は席から足を発って、「はりーはりー」と和泉の後ろからのぞき込むようにして急かしてくる。和泉は慣れた調子ででポケットからスマホを取り出すと、SNSに流布された一つの動画を探し始めた。

 

「マジで覚えてないのかよ……。っと、あったぞ。これだ」

「おっ一応私の顔は映っていませんね。そこだけは評価できます。もし仮に映していたのなら難癖つけてお金をふんだくるところでした」

「そりゃーSNSのプロフィールに顔写真載せたら訴えますとか抜かしてるやつの顔は上げんだろ」

「わかりませんよ? メディアリテラシーに欠けた人って案外多いですからねえ。えーと、どれどれ」

 

 ひょい、と伸びてきた指が動画の再生ボタンを押した。一度クルリと動画は読み込まれ再生される。スピーカーからは面白がるような楽し気な声が鳴り響いていた。

 

羽衣はごろもさん! 入学式の日に出会ってからずっと好きでした。俺と、付き合ってください!』

 

 外野が一際色めき立つ。見れば相手は中々に整った容姿をしており、成功の見込みも高いと思われているようだ。

 

 しかし、背後の少女からしてみれば違ったようで。

 

「……ないわー」

「具体的にどこらへんが?」

「もう外見目当てって吹聴してるじゃないですか。それで一萎え。ずっと、って言ってもまだ入学してから半年しかたってませんし、薄いにもほどがあります、教頭の髪の方がまだ厚いです。これで二萎え。普通過ぎてつまらない、三萎え。はいケーオーです。」

「三つめは酷くね?」

「私の貴重な時間を奪っておいて面白みがないなんて大罪じゃないですか。火に掛けられてもおかしくありません」

「ええ……」

 

『は? 嫌ですけど。』

 

 明るい空間に冷たく不機嫌な声がしみいるように響き渡る。たった数文字の言葉が紡がれただけで色めき立っていた観衆は一気に冷めきった。香の表情こそ動画には背中が映るのみで見えないが、信じられないほど怜悧な視線をしていることは雰囲気で感じ取れる。

 

「うーわ、私機嫌悪そうですねー」

「それだけで済ませていいモノなのかこれ。この時のお前声野太すぎだろ」

「女の子には裏の顔があるのですよ。寝起きとか大体こんな感じです」

 

 マジで? と未だに女子に少し夢を見ていた和泉は戦慄した。

 

『な、なんでですか!?』

『そも、誰ですか貴方』

 

「えっぐ」

「短く要点を突いた言葉の方が相手の心を深く抉れるのですよ」

 

 

『じゃあ、友達からというのは……』

『なんで?』

 

 立つ瀬がない、とはこのことか。全く歩み寄れる隙の無い氷のような返答に告白した男子目元には涙がにじんでいる。既に一度見たものだが、何度みてもうわあ……との声が抑えられない。

 

「羽衣流ウザい告白フルボッコ術~★

1. 、視線は養豚場の豚を見る目に! 

2、声音は抑揚なく平坦を心掛けて! 

3、返答は短く端的に! 

4、間髪入れずに二の句をつがせるな!」

「勇気だしたんだからもうちょっと優しくしてあげて……」

「優しくすると無駄に夢を見させてしまうので。香ちゃんはそれを経験で学びました」

 

『でっ、でも! 諦めません!!』

 

「きもっ」

「健気で一途って汲み取ってやれよ……。つーかこの子メンタル強いな。俺だったら多分泣きながら走り去ってるのに」

「先輩は外見に違わず身も心も貧弱ですからねー」

「草食系と言って欲しい」

「ヘタレには違いないんだから気にしなくてもいいじゃないですか」

「いや、ちがうだろ。こう、草食系って聞くと大人しくて優しいイメージが浮かぶだろ?」

「どれだけ称号が立派でも相応でなければ滑稽なだけですよ」

 

 香はそう吐き捨てた。最もである。しかし、そこで和泉はニヤリと笑った。

 

「? なんで笑ってるんですか? 先輩」

「いやー、イイこと言うなあって思ってな」

 

 香は少し疑問に思いつつも泉の手に握られたスマートホンに視線を向けた。先輩の面白がるような視線はそちらを向いており、これ以上何かあるのかな? と少々興味深げに見つめる。

 

『あー、はいはい。私、彼氏いますから。勝手に諦めてください』

 

「……ん?」

 

 ぴきり、と香は自分の言葉に凍り付くのと同時に、糸がすべてつながったような気がした。やけに今日はソワソワとした目で見てくるものが多いなーとは思っていた。どこか色めきたつような声も同様に。そして、いつもよりやや遅れて部室へと訪れたボロボロの姿の先輩。

 

「で、日がな放課後することもなく俺と話しているお前に“彼氏持ち”なんていう大層な称号は見合っているのかな?」

「……まさか先輩がぼろぼろなのって」

「貧弱な文化部には部活終わりの汗臭い筋肉ゴリラからの逃走劇に尋問は堪えたなあ」

「あー…可愛い後輩に免じて許してください」

「んなもんどうでもいいから、とっとと誤解を解きなさい」

「あいあいさー」


しゅびっと気の抜けた敬礼をかました後輩に和泉は溜息で応えた。


(まあこれで明日には誤解も解けてるだろ。そもそもが根も葉もない与太話なわけだし)


これで問題解決できたと思い、本のページを捲り始める。好みの文体だったのもあって、あっという間に没入することができた。


――和泉はこれで、全てが解決すると思っていたのだ。けれど、この日をきっかけに幸か不幸か二人の関係は大きな変化を迎えることになる。

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