冬眠当番
藤 夏燦
冬眠当番
隣の席の女の子が冬眠に入った。「いつまでだ?」と聞くと、わからないという。
僕はつまらなくなったなあと思った。
冬眠に入った女の子は綺麗で、話も面白かった。八重歯があって、優しい匂いがした。僕が教科書を忘れたときなんかは、笑顔で貸してくれた。
制服の襟に、ふんわりと毛先がのっている。その瑞々しさと生き生きさは、僕にこんな子でも冬眠してしまうんだと思わせた。彼女はおしゃべりで、知的で、端的に物事を判断する快活さをまとっていた。
「ヒナノさんが冬眠に入ったので、代わりに学級委員ができる生徒はいませんか?」
教壇に立った男子生徒が言った。彼はもう一人の学級委員だった。
ヒナノ。そうだ。あの子の名前はヒナノだ。ヒナノさんは僕の、無粋な制服の綻びを、はじめて愛でてくれた人だ。
「かわいい」
席替えで隣同士になったとき、ヒナノさんは僕に言った。
「かわいい?」
「襟がほつれてる」
「ああ、うん。今度直すよ」
「直さないで。そのほうが似合うよ」
ほころんだ襟の方が似合う?
僕は不思議に思った。どう見たってみっともないじゃないか。ああ、可愛い女の子はこうやってよく、地味な男子をからかうんだ。
「なんでよ?」
「ほつれた襟は、あなただけの標しるしだよ。ねえ、そのほつれ、どこで出来たの?」
「さあ。一年半以上着ているから、わからないよ」
「あなたがわからないのなら、誰もわからないね。神様からの悪戯なのかな」
くだらないと思った。でも襟のほつれからここまで話を広げるなんて、素敵だなとも。微かに僕の心は動いた。
そんな思い出がふと過って、僕は、
「やります」
と、誰も立候補していないヒナノさんの代役に名乗りを挙げた。
「ほかに居ませんか? じゃあササキくん。お願いします」
男子の委員が淡々と言うと、僕はヒナノさんの代役の学級委員に決まった。
地味な僕が学級委員だなんて。そう思ったが、もう一人の男子も地味な生徒だった。このクラスには大人しい生徒が多くて、適役だったのはヒナノさんくらいだ。
僕は彼に、
「よろしく」
と言った。彼は「がんばろうね」と当たり障りない答えを返した。彼の名前はカツタと言った。
学級委員にはクラスでの役目以外に、重要な仕事がある。
それが「冬眠当番」だった。
病院に冬眠したクラスメイトを迎えにいき、冬眠カプセルに入れる仕事だ。カツタと僕はさっそく、ヒナノさんの体を冬眠カプセルに入れなければならなかった。
「今度の日曜日、市病院でな」
担任の先生に頼まれて、僕らは休日、市病院へ向かった。
僕が学級委員に立候補した主な理由、それはこの「冬眠当番」があるからだった。冬眠した生徒には、冬眠当番を除いて会うことができない。
僕はあの快活なヒナノさんが、どんな姿で眠っているのだろうかと、とても興味が湧いた。
理科の教師が言っていた。冬眠はどんな人間にも必ず、それも突然、起こるものだという。
しかし日常ではほとんどお目にかかれない。知っている子が、それも隣の席の女の子が冬眠したなんて。こんなチャンス、なかなかない。
日曜日、担任と僕とカツタは市病院の入り口で待ち合わせをした。
白い服をきた病院の職員さんが僕らを出迎える。
「ヒナノさんの冬眠当番の皆さんですね」
「はい」
担任が答えた。
「こちらへ」
職員さんに連れられて、僕らは明るいエントランスから病院内へ入った。眩いばかりの日光が、ガラス天井を抜ける、近代的な病院だった。
僕はこの場所に心地よさを覚えた。患者さんやお医者さん、看護師さんたちが和気あいあいと語り合い、暖かい雰囲気の院内だ。
そこからしばらく進むと、足元をゆっくりと冷気が漂ってきた。ここから先が冬眠者区画になるらしい。
暖かいエントランスとは打って変わって、無機質な階段を降りていく。語り合いの声が遠のいていく。
「冬眠当番の方がいらっしゃいました」
廊下まで降りて、職員さんがそう言った。白く冷たい廊下には二人の大人の男女が立っていた。
「担任のハルカワです」
担任の先生が二人に挨拶をした。二人はどこか、ヒナノさんに似ていた。
「ヒナノの母です。こっちは旦那で」
「娘がいつもお世話になっております」
「どうも」
二人は軽く頭を下げた。
「冬眠当番のカツタです」
「ササキです」
「ササキくん? 隣の席の?」
ヒナノさんのお母さんが驚いた顔をした。
「はい。そうですけど」
「ヒナノがよく話しているわ。真面目で純粋な子だって」
「そうですか」
僕は少し恥ずかしくなった。ヒナノさんは僕の話を両親にもしているようだ。
「冬眠当番。頑張ってね」
ヒナノさんの両親に見送られ、僕とカツタはヒナノさんが冬眠している部屋に入った。
ここはさらに寒い。
白い蛍光灯。白いベッド。白いシーツ。その中で、白い服を着て、白い肌で横たわるヒナノさんを見た。
あのからかうような笑顔はない。ヒナノさんが目覚めたら、きっとそんな顔をするはずだ。
「ヒナノさん。こんにちは。これから冬眠カプセルに君をいれるね。ちょっと窮屈だけど、目覚めるまで我慢してね」
カツタが言った。僕は寝ているんだから聞こえるはずがないだろうと思った。
「ササキくんもいるよ。彼ね、君の代わりに学級委員になったんだ」
「あんまり喋るなよ。起きたらどうするんだ」
僕はおしゃべりなカツタを咎めた。ヒナノさんに目覚められたら、僕は厄介なことになる。冬眠当番になりたくて学級委員になったって知れたら、僕は彼女に合わせる顔がない。
「大丈夫、どんなことがあっても絶対に起きないよ。僕の姉さんも冬眠したんだ」
カツタはヒナノさんの体を見つめながら、続けた。
「本当は駄目だけどね。姉さんが冬眠に入ったとき、僕は目を覚ましてほしくて、何度も体を揺すったんだ。それから耳元で大声を発した。僕、姉さんが大好きだったから、こんなに早く冬眠するなんて思わなくてさ。それでも、姉さんは目覚めなかった。冬眠で不思議だよね。こう見えて、ただ寝ているだけじゃないんだ。ほら、ヒナノさんの口元を見てごらん。寝息がたっていないだろ。僕らが夜、普通に眠るのとは違うんだ」
僕はヒナノさんの口元を見た。たしかに何も聞こえない。蝋人形のように白く凍った唇だ。
「俺たちもいつか、冬眠するのかな」
「だろうね。でもそれは生きる過程の一つなんだよ。理科で習ったでしょ?」
「そうだね。ヒナノさんも、また」
僕はカツタと協力して職員さんが持ってきた冬眠カプセルに彼女の体を入れた。
柔らかい毛先が、僕の肩に触れる。あの優しい匂いは、もうしなかった。ヒナノさんの体はびっくりするくらい軽く、その手は氷のように冷たかった。
「不思議だね。血が通っていなければ、人間ってこんなにも冷たいんだ」
カツタが言った。冬眠中とはいえ、今のヒナノさんにはヒナノさんらしさが一つも残っていなかった。
カプセルの中は嗅いだことのない臭いがして、僕は気持ちが悪くなった。目を覚ましたとき、ヒナノさんはきっと驚くに違いない。
「ヒナノさんが目覚めたときのために、なにかプレゼントでも入れてあげてください」
職員の女性がそう言った。カツタはカバンからクラスみんなからの寄せ書きを取り出すと、ヒナノさんのカプセルの中にそれを入れた。
ヒナノさんのカプセルの中には、すでに様々なものが入っていた。両親が入れたであろう、本やぬいぐるみ。病院が用意した携帯食料などだ。ヒナノさんはショートケーキが好物なので、ショートケーキ味の携帯食品のパッケージが多めだ。
「もう、よろしいですか?」
職員さんはそう言って、カプセルの蓋を閉めようとした。
「待ってください」
僕は職員さんに一言いうと、制服から襟だけを外し、ヒナノさんの優しい髪のとなりに置いた。ほつれたままの襟であり、ヒナノさんが言っていた僕だけの標だ。
「よろしいですね」
僕をみて職員さんが言った。これは冬眠から覚めたヒナノさんへの、告白のつもりだった。でもなんともいえないプレゼントに、カツタも職員さんも困惑している。
ヒナノさんは僕の襟をみて、喜ぶのだろうか。
目覚めたとき、僕のことをどれだけ覚えているだろうか。
そう思って、
「やっぱり、やめます。すみません」
と言って襟をカプセルから取り出した。冬眠するまえに一言いってくれたら、僕はヒナノさんからの返事を聞くことができたのかもしれない。
「では、これで」
職員さんは今度こそ、カプセルの蓋を締め、ヒナノさんを暗い廊下の向こう側へと運んでいった。
僕たち冬眠当番の仕事は終わった。
次の日、僕らは何事もなく学校が始まった。ヒナノさんのいた机は片付けられ、別の女の子が後ろの席から繰り上がりで隣になった。
ヒナノさんは目覚めたあと、僕やこのクラスのことをどれくらい覚えているのだろう。彼女の柔らかな匂いを懐かしみながら、僕はいつか自分が冬眠する未来に思いを馳せた。
冬眠した人間は、大型のロケットに乗って宇宙に旅立つ。彼らのあまりにも長すぎる眠りを利用して、人類は広大な宇宙の探索をしている。
今日もまた一機、宇宙に向けて飛び立った。彼らがいつ目覚めるかは、誰にも分からない。
冬眠当番 藤 夏燦 @FujiKazan
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