王都の死神③

 巻き毛の男は宙をつかむかのように右腕を高くかかげた。その手のひらから黒い霧が噴き出し、霧はみるみるうちに巨大なかまへと変化する。


「さぁて、鉄壁さんよぉ。死んでもらうぜ」


 巻き毛の男が無精髭ぶしょうひげで覆われたくちもとをゆがめた。


 次の瞬間――


 巻き毛の男の目の前に、何かが立ち塞がる。


 その一瞬ののち、周囲へ強風が吹き付けた。


 風よりもはやく駆け付けたが巻きあげた強風に、巻き毛の男は思わず飛び下がる。風にあおられた花壇の花や葉が吹き飛んでいった。


「へへへ、コイツぁ驚いた。おめぇ、どんだけ足が速いんだよ」


 風と共にあらわれたのは――


「エッサ近衛大隊このえだいたい第三隊隊長。ハイホ・エッサホレホレ」


「ほぉ、優等生さんよぉ。その脚で光ってんのは【俊足しゅんそくの紋章】ってやつかい? だがなぁ、そんなもんじゃぁ俺様は倒せねぇぜ」


 巻き毛の男の挑発に乗る様子もみせず、ハイホは左手で細身の剣を抜いた。右腕の【盾の紋章】から灰色の古代文字の帯が噴き出し、半透明の盾をかたどる。軽く友好的な表情は失せ、気迫だけで物を斬りそうな鋭い視線で巻き毛の男を睨みつける。


名乗なのれ」


「へっ、やめとくよ、面倒くせぇ」


 巻き毛の男はしまりのない笑い顔をうかべた。隙だらけな表情を見せながら、禍々まがまがしい大鎌おおがまをおおきく振りかぶる。


 だが、その大鎌が振り下ろされるよりも早く、ハイホの姿が消え、同時に、巻き毛の男の背後へと現れた。そして、ハイホの姿が現れたときには既に、その細身の剣が巻き毛の男の胸を、背後からつらぬいていた。


 ハイホの動きより遅れること、ひと呼吸、ふたたび風が巻き起こり、通り過ぎてゆく。

 勝負は正に一瞬でついた――かに見えた。


 ハイホの表情が驚きに固まる。


「これはッ!」


 巻き毛の男は何事もなかったかのように大鎌を振り下ろす。その軌跡は【盾の紋章】が作りだした半透明の盾を透過とうかし、ハイホの左足を横切った。


「くッ!」


 ハイホの左足から血が噴き出す。


 ハイホはびさがり、剣を構えなおした。その体の動きから、すでに左足が動かなくなっていることが見てとれる。だが、その構えは傷を負う以前と変わりなく、一分いちぶの隙も無い。痛みを無視する精神力、そして片足だけで完全なバランスを取る運動能力のなせるわざだ。しかし、その出血量はおびただしい。


「その力、【死神の紋章】!」


「ははは、気づくのが遅過ぎんだよ、優等生さんよぉ! 鉄壁を倒したのはただの心理攻撃とでも思ったか? ははは……なぁ、ところでよぉ、その【俊足の紋章】とやらは――足が動かなくても使えんのかよ」


 巻き毛の男は卑屈な笑いを浮かべると大鎌を振り上げ、もてあそぶようにゆるくハイホへと振り下ろす。何度も、何度も。


 ハイホは【盾の紋章】や剣で斬撃を受けようとするが、【死神の紋章】の大鎌はすべての防御をすり抜け、服さえもすり抜け、ハイホの体のみを切り刻んでゆく。


 ――血の通うもの以外はその体へ触れることができず、血の通うもの以外はその攻撃を受け止めることができない。それが【死神の紋章】の力だ。


 何度も深手を負いながらも、ハイホは巻き毛の男へにじり寄ろうとした。


 唯一の勝機は血が通うもの――素手による攻撃。【俊足の紋章】が使えれば倒すことができたかも知れぬのだが……いまとなっては大鎌を相手に間合いを詰めることさえままならず、仮に近付けたとしても、既に相手を打ち倒すだけの体力は残されていない。


 ハイホは歯を噛みしめ、巻き毛の男を睨みつけることしか出来なかった。


「ははは、こいつは面白れぇや! やっぱ足がねぇと【俊足の紋章】は使えねぇのか。ひとつ賢くなったぜ、優等生さんよぉ。はははは!」


 巻き毛の男は手を止めた。


「それとよぉ――ひとつ教えてやるよ。あのなぁ『瞬殺』なんかできなくったって、人は殺せるんだぜ? なぁ、『瞬殺さん』よぉ!」


 巻き毛の男の背後に、ハイホに大きく遅れながらも息を切らせ駆け付けてきたアデッサが立っていた。


 ハイホが叫ぶ。


「姫、逃げてください! あなたの力では【死神の紋章】は倒せない!」



「姫、逃げてください! あなたの力では【死神の紋章】は倒せない!」


 そんな、ハイホ駄犬の声で意識が戻った。

 最悪の目覚めだ。


「ダフォ!」


 アデッサ……戻ってきてしまったのね。


「遅かったじゃねぇか、瞬殺さんよぉ。こいつらを殺されたくなければ……そうだなぁ、今すぐ自分の右腕を斬り落とせ。その目ざわりな【瞬殺の紋章】ごとよぉ。その方がカトレア様のところへ運びやすいんだ」


 アデッサ。あなたはそんな奴に負けてはだめ。


 わたしは状況をたしかめた。


 上半身を起こそうとしただけで、体がちぎれてしまいそうな激痛が走る。足はしびれてうごかない。視界はまるで砂絵のようにゆがんでいた。多分、血が足りないのだろう。


 でも、あの男までの距離はつかめた。男の、右腕の【死神の紋章】も。

 ならば、わたしがやることは、ひとつ。


「あなた、間違っているわ」


 なんとか声を出せた。声を出しただけで、痛みに体が震える。けど、いつもどおりの声を出す。弱っていることは絶対に悟らせない。


「んー? なんだとぉ?」


「ダフォ! 喋るな!」


 いやよ……わたしは、やめない。


「あなた、【鉄壁の紋章】が心理攻撃を止められないと言ったわね。

 おかしいと思わない?

 人類が作り出した究極の防御魔法【鉄壁の紋章】にそんなに大きな『抜け穴』があるなんて」


「そりゃぁ、おめぇ……」


 目の前が少し暗くなった。


 自分がちゃんと喋れているのか、よくわからない。

 そんなこと、気にしている場合じゃない。


「教えてあげる。本当はね、防げるわ。

【鉄壁の紋章】を……完全に……発動させれば、

 心理攻撃も……あなたの攻撃だって。


 でもね……あえて完全には発動させずに

 わざと、穴をあけているのよ……心だけは。

 刺激を……受け付けるように。

 なぜだか、わかる?」


「……」


 ほら、乗ってきた。

 がんばれ、あとすこし……。


「【鉄壁の……紋章】を、完全発動させると、

 心の……すべて……こころへの刺激が封じられてしまう。

 ……意識が途絶えてしまう……。

 自分では紋章を、解除できなくなるのよ……永遠に」


 さあ、駄犬!


 お前がどんなに愚鈍ぐどんでも、ここまで言えば気づくでしょ……わたしの作戦に。そう、わたしが欲しいのはほんの少しの、少しだけの、距離と、隙。


「ウッ!」


 ハイホが男に体当たりする音。


 不意を突かれた男がわたしの目の前で膝をつく。

 だが、男の大鎌の一振りでハイホは崩れおちた。


 見事だわ。


 わたしの作戦に気づいて、死をおそれずに、それをやってのけた。

 少しだけ昇格させてあげる。

 よくやったわね、『犬』。


 でも、私はあなたが嫌い。

 あなたは……アデッサに似合い過ぎる。


 さようなら、アデッサ。

 これで、わたしはもう……。


 わたしは男の腕を掴み、【鉄壁の紋章】を完全発動させた。



【鉄壁の紋章】から白い古代文字の帯が噴き出す。


 古代文字の帯はダフォディルへ巻きつき、体を硬く透き通ったクリスタルへと変化させていった。そして、クリスタル化の波はダフォディルに腕を握られている巻き毛の男をも飲み込んでゆく。


「チッ! クソっ!」


 巻き毛の男は取り乱し、大鎌をダフォディルへと振り下ろす。だが、すでに血が通わないクリスタルと化しているダフォディルの体を大鎌は斬ることができずにした。


「は、放せッ! このヤロッ!」


 巻き毛の男は力を込めてダフォディルを蹴り飛ばす――すると、クリスタルと化したダフォディルは巻き毛の男の腕から引きはがされ、固まった姿勢のまま道の上を転がった。


 ダフォディルが離れると共に、男のクリスタル化が止まる。


「ふう……そんな技を隠してやがったのか。あぶねぇなぁ、脅かしやがって」


 アデッサはガラスが響くような音をたてて道へ転がったダフォディルに駆け寄り、抱きしめる。


 クリスタルの彫像となってしまったダフォディル。

 その顔には、精いっぱいの笑顔。

 そして、頬をつたわる涙。

 アデッサは何かをダフォディルの耳元でささやく。

 しかし、今はその声はダフォディルにはとどかない。


「心配すんな。そいつぁ後で海にでも沈めておいてやるさ」


 巻き毛の男はアデッサの背後に立った。


「――問おう」


 アデッサの声が低く響く。

 アデッサの後ろ姿からただよう異様な殺気に、巻き毛の男は思わず後ずさる。


 ――なんだこの殺気は……!? この女、いままでどれだけ殺してきやがったんだ。


 巻き毛の男は目をみはり、固唾かたずを呑んだ。


 アデッサが背を向けたまま、右腕を上げると【瞬殺の紋章】から赤い古代文字の帯を噴き出す。


「お、おい! 瞬殺姫! ハッタリは止めやがれ! こいつらが命がけでテメェに伝えていたのを聞いてなかったのか? オメェの【瞬殺の紋章】はなぁ、この【死神の紋章】には効かねぇんだよ!」


 あせる自分をなだめるように、巻き毛の男が叫んだが、アデッサは男の言葉には反応せず、背を向けたまま続けた。


「貴様は……なぜ、このようなことをするのだ」


 巻き毛の男は今なおアデッサの殺気にひきつっている顔に卑屈な笑いを浮かべた。


「ふん。そりゃぁ怖えぇからさ、カトレア様がな。俺はお前に勝てる。魔王にだってな! だがカトレア様には勝てねぇ。だから従う。単純な話だ」


「――そこに、正義はないのだな」


「……てめえ、さっきから何をいってやがるんだ! 正義たぁ力だ! 最後に立っている者こそが正義だ!」


 巻き毛の男はついに怒りをあらわにする。


 アデッサはゆっくりと巻き毛の男を振り返った。その眼差まなざしに、ダフォディルへ向けられていた人間らしい温かみは欠片かけらも残されてはいない。赤い古代文字の帯が輝きを増し、狂喜するかのように脈動し、アデッサの周囲を舞った。


 怒りで自分を取り戻しかけていた巻き毛の男の表情が恐怖にゆがむ――


「む、無駄だ……効くわけがねぇ! テメエの攻撃は触れるものにしか効かねぇんだッ!」


 と、震えながら虚勢きょせいを張った。そして、いつでもこいと言わんばかりに、両手を広げて棒立ちをしてみせる。



「――瞬殺」



 アデッサは浅く踏み込み【王家の剣】を抜き放つ。その切っ先は綺麗な軌跡を描き、音もなくさやへとおさまる。


「ぐはっ!」


 巻き毛の男は口から血を吐き、膝をつく。


「そ、ん、な! まさか……ッ!」


 アデッサは死にゆく巻き毛の男を見下ろし、冷たく言い放った。


「ダフォディルが封じようとしたのは貴様の体ではない。その紋章だ」


「――!? これはッ!」


 巻き毛の男は自分の右腕へ視線をうつし、目を見張った。右腕に刻まれた【死神の紋章】の一部が――ダフォディルが自らの血で濡れた指でなぞった形に、クリスタル化している。


「……不覚」


 巻き毛の男が倒れた。

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