王都の死神②
晴れわたる爽やかな青空。遠く海を
やわらかな海風が大理石のテーブルに飾られた白い花を揺らす。
一方、ダフォディルは白磁のカップに注がれたお茶の香りを楽しみながらアデッサの問わず語りへ『ええ、そうね』などと、気のない受け応えをしていた。
澄ました顔をしながらも、こうして生き生きとしているアデッサを独り占めしている時間こそがダフォディルにとっての至福の時。眠りについたアデッサの横顔をじっと見つめる切なさを癒してくれる大切な時間なのだ。
そんなダフォディルの視界の隅に、一匹のイケメンの姿が割り込んでくる。男はメイドたちに頭を下げて迎えられ、二人がたたずむバルコニーまでツカツカと入り込んできた。そしてテーブルから少し離れた位置へ立つと、礼儀正しさと気さくさと男らしさを
「こんにちは、アデッサ姫、ダフォディル様」
よく響くバリトン。
アデッサよりも明るい、ブロンドのショートヘア。アデッサのように凛々しく、しかし、男らしい顔立ち。服の上からでもわかる、程良く鍛えられた体と身のこなし。澄んだ青い瞳。爽やかな笑顔。輝く白い歯。染みひとつない白いシャツ。折り目がついたスラックス。のぞけば顔が映りそうなほど磨かれた革靴。腰に下げた細身の剣。
ぱっと見王子様。百歩譲っても『お忍び』の王子様。
ダフォディルは心の中でつぶやいた。
――なにもかも気に入らない。
だが、決して顔には出さない。
「あら、なにか御用かしら」
上品さにほんの少しだけ
視線はあえてイケメンには向けない。
「初めまして。私はハイホ・エッサホレホレ。エッサ
ハイホはそう言うと
――この年齢で近衛隊長?
ダフォディルが値踏みをするかのようにハイホを横眼でちらりと見ると、周囲にはキラッキラした王子様オーラが漂っていた。そのあまりの眩しさに目をおおいムスッと視線を
――うわぁ、この男、『いやぁ、僕なんかぜんぜんですよ』とか言いつつ、腐る程ラブレターをもらっているタイプに違いないわ。
八つ当たりである。
ともあれ、ダフォディルのこの男への好感度は下がる一方だ。
だがやはり、表情には
「あら、それはご苦労さま。ありがとう。もう下がっていいわよ」
『失せろ
「はじめまして! アデッサです」
アデッサの思いもよらぬ反応に、ダフォディルはぽかんと口を開いた。
アデッサはスッと立ち上がり、駄犬へお手――ではなく、握手の手を差し伸べたのだ。爽やかに握手をかわす二人。ぱっと見、姫とイケメン。実際に、姫とイケメン。二人の周囲に舞うお姫様&王子様オーラの眩しさにダフォディルは腕で目を覆う。
――アデッサ……
ダフォディルはこんなアデッサを、今まで一度も見たことがなかった。
アデッサをアデッサと知って尻尾を巻かなかった男も……。
そして、ダフォディルは握手を交わす男のシャツの袖からのぞく紋章に気が付く。
「それ……【盾の紋章】」
ダフォディルのつぶやきに、駄犬が爽やかに応える。
「はい、【盾の紋章】です。アデッサ姫……いえ、ダフォディル様の【鉄壁の紋章】には足元にも及ばないのですが、エッサ滞在中はこの私が、命に代えてお
アデッサのいつもとは違う
――なにもかも、昨日の夜のいやなイメージがそのまま……。
男たちはわたしにはできないことを軽くやってのける。ただ、男だというだけで。
目から熱いものが零れおちたことに気付き、ダフォディルは談笑する二人へ背を向けた。悟られぬように、そっと涙を拭く。
不意になにかを語りかけられたような気がして、ダフォディルは背を向けたまま『ええ、そうね』と応える。涙は止まらない。
後ろから、肩に手をかけられた。
振り向かなくても、肩に触れた手の感触だけで、あなたが誰だか、わかる。
「ダフォ、一緒にいこう!」
いつもより、明るい
こんな顔のまま、振り向けるわけがない。
私は背を向けたまま立ち上がった。
「ごめんなさい。今日は一人で過ごしたい気分なの」
◆
笑顔で
ましてや、その会話の中に入り、一緒に笑うことなど、絶対に。
だから、私はその場から逃げ出すしかなかった――
――なんて、放っておけるワケがないじゃない!!
ダフォディルはバルコニーから二人が去るのを見届けると駆け足で屋敷のエントランスへ先回りをする。そして周囲に誰もいないことを確認し、前庭の植え込みの中へ
ほどなくして、アデッサと
高台にある館の門から街へ続く、蛇行したなだらかな坂道には赤い
その脇のよく手入れされた
――冗談じゃないわよッ!!
ダフォディルは得物を狙う
――もしアデッサに触れでもしたら、切り落としてやるんだから!
そのとき――
「足元、水たまりですよ」
ダフォディルの【鉄壁の紋章】から青い古代文字の帯が噴き出す。
暗殺者のような暗い眼差しで短剣を抜き、
「瞬殺ッ」
と、呟いて
「ひぃッ!」
驚いて急停止したダフォディルが見上げると、壁に見えたのは背が高く肩幅の広い、屈強な男。そして、その脇にもう二人の男たち。ただ大きいだけではない。並々ならぬ鍛え方をしているのが服の上からでさえよくわかった。ダフォディルは男たちから間合いをとり、あらためて短剣を構えなおす。
「しーッ、ダフォディル様! どうぞこちらへ……」
男は首からさげたペンダントを掲げた。コイン型のペンダントトップにはエッサ
「エッサの……近衛大隊!?」
「そうです。ささ、ダフォディル様、こちらへ……」
ダフォディルはアデッサとハイホのうしろ姿を気にしつつ、男たちの先導に渋々と従い、道端の植え込みの中へと移動した。
「いやあ、すみませんダフォディル様。我々はエッサ近衛大隊第三隊、
三人の男たちは引きつった笑顔で挨拶をした。ダフォディルは不機嫌をむき出しにして大男たちを
「で、あの
「は……あはははは。あのぉ、我々はアデッサ姫をお守りするために派遣されておるのです。ですが、アデッサ姫は派手な警護を望まれていない。しかし、いつダンチョネ教の刺客が現れないとも限らないのが現状でして。そこで、こうして遠巻きに警戒をしていたのですよ、アデッサ姫に隠れて」
ダフォディルはその言葉を聞き安心するどころか、逆に、怒りに顔を引きつらせた。
場の空気が固まる。
その迫力に男たちはごくりと
「なにが警護よッ!! ぜんぜん役立たずじゃないッ! アンタたちどこに目を付けてるの!? 触ったのよ!? アイツ、アデッサの肩に触ったのよ!?」
「え、えぇ……流石にあれは……」
「あ ら。 よ く き こ え な か っ た わ」
「ひぃっ! あ、あの、任務が終わりましたら隊長にはよく言って聞かせておきますので! こ、ここはどうか
三人の男たちは青ざめながらだらしなく笑った。
ダフォディルは溜め息をつく。
――ま、コイツらに構っていても仕方ないか……。
それより、アデッサの尾行を続けねば。そもそも、二人はどこへ向かっているのだろう。
と、アデッサたちが歩いているであろう方向を藪のなかからうかがった。そのとき――
三人の近衛兵たちが同時に血を吹いて倒れる。
ダフォディルは反射的に【鉄壁の紋章】を発動させた。
だが、冷たいものが深く、肌へ引っかかるような感覚が体を横切る。
【鉄壁の紋章】を発動しているのに、体が刺激を感じる。その違和感に、ダフォディルは反射的に左腕の【鉄壁の紋章】へ視線を向けた。アデッサから受け取った【鉄壁の紋章】が、自分の血で濡れている。
――逃げなくては。
ダフォディルは三人の男たち一瞬で倒し、自分へ傷を負わせた敵の強さを悟り、植え込みのなかを元来た道へと必死で走った。敵を、アデッサから少しでも遠ざけるために。
そして道端の花壇を飛び越えようとするが、足が上がらず、赤い煉瓦の道の上へ倒れ込む。花壇の色とりどりの花びらが飛び散り、ダフォディルの体から流れ出た血の池の上へ舞い落ちた。
――体が、重い。
倒れ込んだダフォディルの視線の先に、遠く、あの男と談笑しながら、曲がり角を曲がってゆくアデッサの背中が見えた。
「アデッサ……」
ダフォディルの視界を白い修道着の裾が
「よお、『鉄壁さん』よぉ」
もう一度、【鉄壁の紋章】から青い古代文字の帯が噴き出す。
「へへへ。その紋章は研究されつくしてんだよ」
白い修道着の男が面倒臭そうに呟く。
「
霞む視界の中で男が笑ったように見えた。
白い修道着。ダンチョネ教。巻き毛の男……。
「そして、もうひとつがよぉ――」
男の右腕の紋章から黒い霧が漂う。
「――この俺様の攻撃だ」
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