天使が宿る場所③

 ――ッサ! アデッサ!


 誰かが呼ぶ声がきこえる。


 ここは、どこだ……。


 剣戟けんげきのひびき。

 呪文の詠唱えいしょう

 爆発音。叫び声。


 ふと、左腕を見た。

 左腕に刻まれた【鉄壁の紋章】。


 なにかが違う。

 けど、思いだせない。


「アデッサ!」


 そう……私はヤーレンの第十三王女、アデッサ。

 左腕の【鉄壁の紋章】、右腕の【瞬殺の紋章】。


 そしてここは……ここはッ! 魔王の城!!


「アデッサ! しっかりしろ!」


 ロルフの呼びかけで我にかえった。


 私へと放たれた数本の矢が【鉄壁の紋章】に弾かれて床へおちる。


「ごめん、もう大丈夫!」


 私は顔を上げて【瞬殺の紋章】を発動させた。

 そして巨大な戦斧せんぷを振り回しながら向かってきた魔王の衛兵に狙いを定め――瞬殺する。


「どうした、姫! 幻術にでもやられていたか!」


 背後からバーンの声。


 振り向くと、軽装の騎士バーン、エルフのルリ、ドワーフのロルフ、隊長、そして、【赤のパーティ】のみんなが……魔王の衛兵たちと激戦をくりひろげている。


 ここは魔王城最奥、玉座の間。城の中とは思えない巨大な空間が魔王軍の精鋭と【赤のパーティ】双方の雄叫びと断末魔で震えていた。大混戦。これが、私たちの、最後の戦い。


「隊長! このままでは全滅だぞ!」


 屈強なドワーフのロルフが叫ぶ。


「姫、やれるか!」


 隊長の、落ち着いていてよくとおる声。


「やれます!」


 私はこたえた。左腕の【鉄壁の紋章】から青い古代文字の帯が噴き出し、私の周囲を舞う。右腕の【瞬殺の紋章】から赤い古代文字の帯が噴き出し獲物をもとめる蛇のように鎌首かまくびをもたげた。


 魔王軍はすでに私の【鉄壁の紋章】への対策を準備している。【鉄壁の紋章】を貫通する心理系魔法を帯びた武器を手にしている兵士が多い。無敵であった防壁も、いまでは気休め程度にしかならない。


 それでも、可能性を握っているのは、この私だ。


 私は巨大な玉座にこしかけ、黙ってこちらを見ている魔王をにらんだ。

 魔王と私との間に立ちはだかる何十人もの衛兵たち。


「ぐはっ!」


 仲間の断末魔。最強を誇った我々【赤のパーティ】のメンバーたちが、一人、また一人と倒れてゆく。早く、早く奴を倒さねば――


「ロルフ、姫の援護を!」


「まかせとけ!」


 隊長の声を合図にドワーフのロルフが雄叫おたけびをあげながら、衛兵たちへと突進していった。突出したロルフへ群がる衛兵たち……これでは、たとえ私が魔王を倒したとしてもロルフは……助からない。


「くゥッ!」


 背後でバーンが声を上げた。視界の隅で彼が血を吹きながら倒れてゆく。バーンが敵の攻撃を受けるのを見たのは、これが最初で……最後だ。


 私は歯を食いしばり、ロルフのあとに続いた。


【鉄壁の紋章】をつらぬく心理攻撃系呪文が一斉に襲いかかかる。

 何本もの呪いのやいばが私をかすめてゆく。

 禍々しい黒いオーラを放つ槍が、私をめがけて放たれた。


 強烈な攻撃。だが、避けている時間などない。


 私は【鉄壁の紋章】ごと左腕を失う覚悟をして、そのまま突き進んだ。


 だが次の瞬間、金色の輝きが私を包み、槍が地面へと落ちる。これは、ルリの防御魔法――だが、それでは――私を守っていたのでは、ルリが……。


「ギャッ!」


 背後でルリの悲鳴が聞こえた。

 目の前ではロルフが、何本もの剣と矢を体に受けながら、なおも突進している。


「アデッサ! 俺を踏み台にしてゆけ!」


 血の泡を吹きながら、ロルフが叫んだ。


「おおおおぉ!」


 私はロルフの肩を踏み、衛兵たちの頭を飛び越え、玉座の魔王へと斬りかかる。


 全身を激しい痛みが襲った。

 それが、敵の剣によるものなのか、魔法によるものなのか、もうわからない。


 だが、これで終わる。


 これで、人々を苦しみから救うことができる。

 平和な世界が訪れる。


 無益な、終わりなき戦いから解放される。

 世界に、幸せが訪れる。


 なのに……


 なのに……


 私たちがこれだけ、

 これだけ、苦しんでいるのに!


 魔王よ!

 貴様はなぜそんなに優しい目をしているのだ!


 私たちが血を流し、

 これだけ必死になっているのに、

 悪である貴様が、なぜ、そんなに……



「瞬ッ・殺ッ!」



 私は剣を魔王へと突き立てた。

 広間のすべての動きが止まる。


 完全な、静寂。


「おおおおおおおッ!」


 怒りと喜びと悲しみと希望とが渾然一体こんぜんいったいとなった感情のかたまりが体中にみなぎり、私は叫んだ。



 だが、魔王が――玉座からゆらりと立ち上がる。



「ば、バカな!」


 髪一本でも触れれば、相手を瞬殺できる神の力が……効かない、だと!?


 魔王。銀色の短い髪。若く凛々しい顔立ち。

 魔の者というよりも、世をうれううヤーレン王……お父様のような眼差し。



 私の心を、絶望が支配してゆく。



「アデッサ……瞬殺姫」


 低く、優しい声。

 周囲が突然暗くなる。


「敵を一瞬で殺す力があれば

 世界を幸せで満たせる

 とでも思ったかい?」


 その言葉と共に闇の中にぼうっと浮かぶ、死んでいった【赤のパーティ】のメンバーたちの姿。リンドウ。ホイサの警備隊長。怪しい村の爺さん。倒してきた何百、何千ものモンスターたち……。


 そして、魔王が立っていた場所には――ソイヤ。


「ねえアデッサ……」


「ソイヤ……」


「足もとを見てごらんよ。その死体の山を。殺して、殺して、また殺して。死体の山を積み上げて。それでもまた悪は生まれてくる。世界は変わりはしない。アデッサがどれだけ殺したって、無駄なだけさ」


「ソイヤ、聞いてくれ、私は平和のために!」


「だからさ……それは『俺の平和』じゃないんだよ、アデッサ。あんたが言う平和っていうのはさ……国民が当たりさわりのない範囲で人生をあきらめて、ニコニコと素直に税金を払う世界なのさ。所詮しょせん、王族は俺たちを家畜としか思ってないんだよ」


「違う!」


「違わないさ。この世界のどこに平和があるって言うんだい? 魔王が死ねば、今度は領主が魔王になる。それだけのこと。今じゃどの国も失業者で溢れてかえって、そこらじゅうで戦争の準備を始めてるんだぜ? 人間が人間を殺す生き地獄さ。これがお前の望んでいた平和、世界の幸せってやつなのかい?」


「違うんだ!」


「違わないさ。結果から目をそらすなよ。お前は単なる偽善者で、単なる殺戮さつりく者さ」


 違う。

 救いたかったんだ。

 世界を救いたかったんだ。

 困っているひとを、苦しめられているひとを、救いたかったんだ。


 いつしか、私は泣いていた。



「ならば、私とともに来なさい」



 ぼんやりと顔を上げると、優しい顔の、少女。ダンチョネ教の女教皇。金色のラインがあしらわれた白い修道着。修道着よりも白い肌。金色の長い髪。綺麗な、エメラルドのようにキラキラと輝く瞳。


「カトレア……」


「アデッサ、苦しいのですね。あなたは世界を救いたい。世界を幸せで満たしたい。でも殺すことしかできない」


 カトレアが手を差し伸べる。


「アデッサ、あなたに足りないのは世界を救う力。ならば私がそれを担いましょう。救いの苦しみは、私がすべて引き受けましょう。もう、あなたは苦しまなくて良いのです。何も考えないで良いのです。私のつるぎとなり、私の言うがままに動けば世界は救われるのです」


 優しい声……。


 もう、何も考えなくても、何も悩まなくても、救われるのであれば、平和になるのであれば……それで、それで良いではないか。私が考えるのをやめれば、みんなが幸せになれるのであれば……。


 私は剣を落とし、右手を『カトレア様』へとのばした。


 カトレア様が嬉しそうに微笑む。

 その笑顔が、何よりも大切なもの。


 その時、左手が後ろへ『ぐぐっ』と引っ張られた。


 さっきまで何も持っていなかった筈の左手の指が、何かにしっかりと絡まっている。

 驚いて振り返ると左腕の【鉄壁の紋章】が……消えている!?


「うわっ!」


 思わず左腕を引き寄せると、闇の中から何かがズルリと引きずり出されてきた。

 これは……誰、だっけ?


「……ダフォ……ディル?」


「しっかり! 目を覚まして、アデッサ!」


 強烈なビンタ。


「ぶふぉ!」


 闇の中から引きずり出されてきたダフォディルは私の頬をバシバシと引っぱたくと、あたりを見回してこういった。


「……なんて嫌な空間。カトレア、これがアンタの【絶望の紋章】の力ね!」


「ダフォ、私は……」


「半分聞こえてたわ! なによ、アデッサらしくもない! この程度の幻術につけこまれるなんて!」


 ダフォディルはカトレアをビシッと指さしてこういった。


「調子のいいことばっかり言っても私はだまされない! そんなに都合が良い話なんて世の中にはないのよ! 『働かざる者食うべからず』ってやつよ!」


 あれ、カトレアってそんなことを言っていたっけ?

 驚いてカトレアへ視線を向けると、カトレアはポカンとした顔をしていた。


「い、いや……アタシそんなことは言ってないし……」


 カトレアは『ないない』と手を振る。


「似たようなものよッ!」


 ダフォディルの剣幕にカトレアがたじろいだ。

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