第3話 侵襲


 蒼頡そうけつ鴣鷲こしゅうは、屋敷の奉公人達によって、下屋敷の広間の一室へと案内された。

 与次郎は、少し距離をとりながら蒼頡達の後を追い、ぞろぞろと広間に入ってゆく屋敷の者達の背中をそぞろに眺めながら、やがて最後に、自身も広間の中へと、足を踏み入れたのであった。


 広間に入ってゆくと、腰に大小の刀を二本差にほんざしにしている若党が、躊躇なく、上座にどかりと座り込んだ。

 蒼頡は、若党の目の前に静かに腰を下ろし、鴣鷲が、蒼頡の斜め後ろに、ふわりとした。

 他の奉公人達は、蒼頡達の目が届く範囲で少し離れた位置にそれぞれ立ちとどまり、最後に与次郎が、鴣鷲の隣に、静かにした。


 みなが落ち着いたところで、蒼頡が、口を開いた。


「────……それでは、この屋敷で起こっている不可解な出来事と外のからすについて、いったい何があったのか、お聞かせいただけますかな」


 蒼頡のその言葉を聞くや、目の前にいる若党が突如、口を真一文字に結んだまま、目玉だけを、ぎょろぎょろと怪しく動かし始めた。

 誰か口を開く者はおらのぬかと言わんばかりに、広間の中にいる者達を、ぐるりと見渡した。


 直後、その場にいる者全員の視線が自身に向けられている事をようやく察し、

「────ふん……。ではまずは、私から話そうか」

と、屋敷の奉公人達を一人ずつちらちらと見やりながら、何とも重々しい様子で呟いた。


「……あなた様は」

 蒼頡が、若党の顔をじっ、と凝視しながら聞いた。


 若党は、

「おっと……そうであった。これは失礼いたしました。

 私はこの下屋敷に仕えている者で、名は円蔵えんぞうと申します」

と、蒼頡に向かって言った。

 先ほどの横柄な態度とは打って変わり、円蔵は蒼頡に対して、何故か急に、慇懃な口調に移り変わっていた。わざとらしく急変したその態度が、逆に蒼頡のことを馬鹿にしているかのようであった。


 続けて、

「そこに立っている槍を持つ男が九重郎くじゅうろう、木刀を持っているのが半四郎はんしろうといいます。見た目でわかるかとは存じますが……二人とも中間ちゅうげんでござります。

 その壁際に立っているのが小助こすけ小者こもので、この屋敷の雑用……もとい、使用人でござります。

 最後に、あそこに並んで立っているのがこの屋敷の女中────名を、おとくとおかけといいます」

と、円蔵がその場にいる屋敷の奉公人達を、順に紹介した。


「今この屋敷にいるのは、ここにいる者で全てでござります」

 槍を持っている中間、九重郎が、続けてそう言った。


「……ふむ」

 蒼頡が、声を漏らした。



 一呼吸置くと、円蔵はまるで勿体振るかのように、ゆっくりと語り出した。



「────三日前の晩────。

 みなが寝静まった後の夜八つ時(※夜中二時頃)に、事は起こったのでござります。


 部屋の一室で寝ていると、からすの鳴く声が、耳に入ってきたのです。

 闇の中、どこからともなく"かー、かー"という細い鳴き声が聞こえ、鳴き声で目が覚めた私は、烏なぞおるのかと不思議に思い、布団から這い出たのです。

 月明りを頼りに蝋燭に火を灯し、辺りを照らしながら部屋中を探して回りました。

 しかし、聞こえてくる鳴き声とは裏腹に、烏なぞは何処にも、見当たらなかったのでござります。


 すると突然、持っていた蝋燭の火が消えたのです。

 辺りが一瞬にして闇に包まれたその時、烏の鳴き声が、私の耳元で響きました。

“────かあああああ!”


 耳をつんざく程の、凄まじい鳴き声────。


 同時に天井から、私の顔に、何かが落ちたのです。



"びちゃりっ"


"びちゃっ"



 音が部屋中に響きました。水かと思うたのですが、違います。

 は天井から、次々と降り落ちてまいりました。


 

"びちゃっびちゃびちゃっ────ぼとぼとぼとっ"


"びちゃびちゃっびちゃ────ぼとぼとぼとぼとっ……!"



 突如、消えていた蝋燭の火がともり、あかりによって部屋が照らされ、落ちてきたものの正体が、私の目に飛び込んでまいりました。



……それはなんと、うじだったのです。

 何百匹もの蛆が天井から次々と降り落ち、部屋中を足の踏み場もない程、埋め尽くしていったのです────」


 円蔵は、まるで戦で名のある武将と死闘を繰り広げた時の話でもしているかのような芝居がかった口調で、抑揚をつけながら、そう語った。

 蒼頡、与次郎、鴣鷲の三人は、黙したまま、円蔵えんぞうの話に、じっと耳を傾けていた。 


 木刀を持った男、半四郎はんしろうが、口を開いた。


「その時の円蔵様の叫び声が耳に入り、私は飛び起きました。

 そこにいる九重郎くじゅうろう小助こすけとともに慌てて円蔵様の部屋へ駆けつけると、円蔵様は壁際にぴったりと張り付き、立ち尽くしておられました。

 しかし我々が見た時には、部屋の中には蛆なぞ一匹もおらず、からすの姿も見当たりませんでした。

 夢でも見たのでしょうと、その場はいったん収まったのですが……」


 半四郎がそう言い終えると、続けて、今度は九重郎が、話し始めた。


「その日の明け六つ(※日の出の時刻)頃、烏の鳴き声が、私の耳にも微かに聞こえてまいりました。

 目を覚ますと外が何やら騒がしく、何事かと思い、私はすぐさま外へ飛び出しました。

 見ると、おびただしい数の烏の群が空を埋め尽くし、屋敷に向かって、天空からけたたましい鳴き声を浴びせておりました。

 私は目を疑い、その烏の大群に圧倒され、しばらく呆然と、空を眺めておりました。

 烏の群は屋敷の周りに次々と集まり出し、塀や屋根上に何百匹も降り立ち、屋敷の外を縦横無尽に歩き回りながら、かー、がー、と、あちこちで止め処なく鳴き始めました。

 さらに驚いたことに……────四、五十匹は軽く超えておったと思いますが……────、屋敷の庭のいたるところに、鼠や猫の死骸が突如、なぜか大量に、散乱していたのです。

 死骸に蝿やうじたかっており、たった一晩で、この屋敷全体が、酷い有様となってしまったのです」


 九重郎がそう言い終わると、今まで黙って話を聞いていた一番としの若い女中であるおかけが、手で口を押さえ、その場で二度、嘔吐えずいた。

 


「────庭に散乱していた死骸の処理に追われていると、屋敷にいた他の使用人たちが、先にこっそりと逃げ出しておりました。

 気づいた頃には、時既に遅し……。

 私たちも逃げ出そうとしたのですが、荷をまとめ屋敷から飛び出すと、外に蔓延はびこっている烏の大群が、頭や目を狙って次々に襲い掛かってきたのです。

 私たちは慌てて中に舞い戻るしかありませんでした。

 何度か外に出るのを試みたものの……その度に必ず烏に襲われ、とうとう、屋敷から外に出られなくなってしまったのです。

 私たちだけ……完全に、逃げ遅れてしまいました」


 おかけの背をさすりながら、おとくと呼ばれていた初老の女中が、そう語った。


「……なるほど。

 他の奉公人の方達は屋敷の外に無事出られたようですが、、外の謎の烏の群によって、この屋敷内に閉じ込められてしまったというわけでございますね」


 蒼頡が、屋敷の者達に向かって、聞き返した。


 すると、その場にいる屋敷の奉公人達が突如、全員ぐっと押し黙り、広間全体に、重たい、不思議な沈黙が流れた。

 屋敷の奉公人達の顔がみるみる青くなっていくのが、与次郎と鴣鷲にもわかった。


 蒼頡は、屋敷の者達それぞれの顔を、じっと、凝視した。



 しばらく静寂が続いた後、


「……実は……」


と、青ざめた顔で、この中で一番としの若い女中のおかけが、震える口を動かした。 


 

「────おかけ!」

 突如、円蔵が厳しい口調で怒鳴った。



「……でも!」

 おかけが、訴えるように叫んだ。円蔵とは目を合わさず、周りの他の奉公人達を見回して、涙ぐんだ。



 蒼頡は、おかけの顔を見つめた後、周りにいる奉公人達の顔を、一人ひとり、じっ、と見つめた。

 円蔵、半四郎、おとく、小助の四人は、蒼頡とはいっさい目を合わさず、下を向いて黙っていた。おかけは潤んだ瞳で唇を震わせ、やがて蒼頡の方に向き直ると、訴えるような視線を浴びせてきた。九重郎は、円蔵と蒼頡の顔を交互にちらちらと見やり、胸の内に秘めているものを果たして今ここで口に出してしまうべきかどうか、悩んでいる様子であった。



 蒼頡は、


「……まだ……、他に誰か……この屋敷の中にいらっしゃるのですか」


と、広間にいる屋敷の奉公人達全員に向かって、鋭い眼差しを向けながら、静かに訊ねた。


 ここにいる者達以外に、他にもまだ、逃げ遅れた誰かが屋敷内に残っていることを、蒼頡は察した。

 


 またしても、重たい沈黙が流れた。




 すると。




「……ばけもんに殺されたんだ……」

 部屋の隅の方で、何も言わずじっと黙って立っていた小助が、突如、口を開いた。

 

 蒼頡、鴣鷲、与次郎が、三人同時に、小助の顔を見た。



「小助!」

 円蔵が、再び怒鳴った。



「……昨暁さくぎょう……。

 女中のおむらが、裏庭の池のはたで死んでいるのを……わたくしめが……発見したんでござりやす……」

 

 震える声で、蒼頡達に向かって絞り出すように、小助が言った。



「────死んでいる」

 蒼頡が、聞き返した。



「……ええ……そうでござりやす……。


 おむらは……。おむらは……恐ろしいからすのばけもんに、殺されたんです……!


 陰陽師様────。


 どうか……おむらのかたきを……とってくだせえ……!

 どうか……!」

 


 小助が、目に涙を浮かべながら、蒼頡に向かって掠れた声で、そう言ったのであった────。

 

 


 

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