第3話 鴉天狗
蒼頡と与次郎は、
夜明け前の静かな空は、星明りはあれど未だに暗く、
昇る前、蒼頡を背に乗せて行く方が早いと考えた与次郎が階段前で再び白狐の姿に変わろうとしたが、なぜか、いつものようにその姿を変えることができなかった。
与次郎が焦り戸惑っていると、すでに三段ほど先に階段を昇っていた蒼頡が、
「……ふむ。
やはり、
問題ありません。
このまま、一歩ずつ昇ってゆきましょう」
と、後ろにいる与次郎に向かって言った。
────百段以上階段を昇ったところで、東の空が少し、
天に続く階段はまだまだ長く続いており、遠く遥か
そろそろ蒼頡の息が荒くなり、汗も吹き出し、全身が重く感じられるほどの疲れが出始めた頃であった。
与次郎が蒼頡の様子を見、
「……蒼頡様。
一度このあたりで、少し休まれてはいかがでしょうか」
と言った。
与次郎の言葉に、蒼頡は、
「……うむ……。そうですね。
少し、足がつらくなってきました。
この辺で一度、一息つきましょう」
と言って、階段の途中で足を止め、その場に一旦、腰を下ろそうとした。
と、その時。
横から突如、
"────────ごうっ!!"
という凄まじい突風が、与次郎と蒼頡の全身をまるで叩きつけるかのように、凄まじい衝撃で襲ってきた。
強風に煽られた与次郎と蒼頡は、態勢を崩し、ぐらり、と、大きく身体を揺らした。
与次郎はなんとか態勢を立て直し石階段にぐっ、と踏みとどまったが、蒼頡は片足をずるり、と滑らせて足を踏み外し、石階段の横からそのまま吸い込まれるかのように、身体が
「────!! 蒼頡様っ!!」
与次郎は目を見開き、思わず、蒼頡の名を大声で叫んだ。
すかさず手を伸ばし蒼頡を掴もうとしたが、その手は虚しく宙を搔き、全く届かなかった。
与次郎はサッと血の気が引き青ざめたが、"ひゅぅー……"と落ち行く蒼頡の
すぐさま石階段の横から覗き込んだ与次郎であったが眼下は暗く、
与次郎の全身から汗が一気に噴き出し、どくどくと、鼓動が早鐘を打った。
すると、石階段の下を覗き込んでいる与次郎の頭上の天高く、遥か遠くの雲の上から、
"────ぼっ!!"
と何かが落雷のように、飯縄山の山頂に向かって落下した。
与次郎のいる石階段の横を、眼下に向かって光の速度で真下に“ぎゅんっ!”と、落ちていったのである。
直後、
"────────カッ!"
と、一筋の激しい閃光が、
与次郎が冷や汗を流し、目を見開きながらさらに眼下の様子をじっと眺めていると、やがてその閃光は一つの光の玉となり、ゆっくりと、与次郎のいる石階段の高い位置まで、上昇し始めた。
そのふわふわと浮いてくる光の玉の中に、蒼頡がいた。
蒼頡の姿が目に入った瞬間、与次郎は顔がみるみる紅潮し、どくんっと、心臓が大きく跳ねた。
遠くからではわからなかったが、近づいてきた光の玉をよくよく見ると、驚くことにそれは玉では無く、金色に光る、五寸ほどの大きさの、八匹の小さな狐の群れであった。
その小さな狐たちが、金色に輝く美しい毛をさらさらとなびかせながら、蒼頡の身体の周りをくるくると何度も素早く往復し、それぞれが一切ぶつかることなく、ぴゅんぴゅんと飛び回っている。
その金色に輝く小さな狐たちの飛び回る姿が、遠くから見ると光の玉のように見えたのであった。
小さな狐たちに守られながらふわふわと浮き上がってくる蒼頡の無事を確認し、蒼頡が小さな狐たちによって石階段の上に優しくふわりと戻されると、与次郎は全身の力が一気に抜けるのを感じた。と同時に、与次郎は“ほぉ……”と深く長い息を吐き、蒼頡が無事であったことを、心の底から、安堵した。
蒼頡は終始、なぜかとても嬉しそうな様子で、にこにこと満面の笑みを浮かべていた。
金色に光る八匹の小さな狐の群れは、皆揃ってじゃれ合うようにくるくると宙を舞いながら、やがて徐々に、その場から遠ざかっていった。
蒼頡が微笑みながら、遠ざかっていくその狐たちを目で追った。
与次郎も蒼頡と同じように狐たちを目で追うと、狐たちはあっという間に天高く舞い上がり、石階段の上空にある厚い雲の中へ吸い込まれるように、ふっ、と消え
────……すると、狐たちが消え
"────────……ごごごごごご…………ごおおおおおおおおお……"
……という地鳴りのような低い音が、天上から辺り一面に渡って響き始め、やがて頭上の厚い雲が、ごうごうと巨大な渦を巻き始めた。
(────何事だ!?)
与次郎が石階段からその渦巻く巨大な雲を鋭い目つきで凝視すると、
"……ごごごごごご……"
という、全身に重くのしかかるような音とともに、その渦巻く厚い雲の中から突如、巨大な白い狐の顔が、ぬううっ……、と、現れ始めた。
与次郎はそこで、“はっ!”と、気がついた。
天から現れたその白狐は、少なくとも顔の大きさだけで、十尺はあろうかと思われた。
白狐の姿の時の与次郎の大きさの比ではない。
その、渦巻く厚い雲からゆっくりと出てきた巨大な白狐の背の上に、今度は巨大な二つの足が立っているのが、蒼頡と与次郎の目に見え始めた。
巨大な白狐の背の上に、さらに巨大な何者かが、
その巨大な両足には、これまた巨大な白い蛇が、ぐるりと巻き付いていた。
蛇はちろちろと舌を出しながら、黄色く光る鋭い眼光を、蒼頡と与次郎に向けていた。
ごおごおと大気が激しく揺れ動く中、与次郎は思わず、横にいる蒼頡の顔を、険しい表情でちらりと見やった。
見ると、蒼頡の大きな瞳はぐんっ、と見開かれ、まるでこの光景を全て目に焼き付け見逃すまいとするかの如く、現れる何者かの姿をその目でしっかりと見定めようという凄まじい気概と集中力を研ぎ澄ませている様子が、与次郎の目に飛び込んできた。蒼頡は瞳をいつにも増してぎらぎらと輝かせながら、天を凝視していた。
蒼頡が胸の高鳴りを抑えられない様子が、与次郎の身にひしひしと伝わってきていた。
ごおおおおおお……と、地響きのような音が鳴り響く中、白狐とともに、渦巻く厚い雲の中から蒼頡と与次郎の頭上にやがてゆっくりと、その御尊顔が、姿を現した。
その背に大きな翼を持ち、熱くめらめらと燃え盛る火炎を背負い、右手には
顔には
不動明王の化身とされる、
戦勝の神・
蒼頡と与次郎の頭上、遥か遠くに渦巻く天上界の雲間から、
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