第2話 苗


 蒼頡は父に連れられ、蛙やお玉杓子が大量死している謎の事態が起こっている、山のふもとの農村にたどり着いた。


 村に着いてから早速、蒼頡は父とともに、村にある田んぼの様子を見て回った。


 どの水田も稲の葉が虫に食い荒らされ、一目見ただけで、酷い状態であることがわかった。


 蒼頡が水田の中を覗くと、蛙やお玉杓子がざっと百匹以上、みな仰向けになり、稲と稲の間、水の上の至るところで力無く浮かんでいる様子が、目に飛び込んできた。


 蒼頡がさらにじっ、と目を凝らして水田や蛙の死骸を上から覗いていると、突如、死んでいる蛙やお玉杓子のむくろから、虹色に霞む薄い靄が、ふわりと宙に浮かび上がっていく様子が、目に見えた。

 その虹色の靄は、蒼頡の目の前で少しの間宙にとどまっていたが、しばらくするとやがてふわふわと、村のすぐ近くにある山の方へ、風が無いにも関わらず、綿毛のように軽やかに、ゆっくりと流れていった。


 蒼頡は、父が村の人々と話し込んでいるのを確認すると、父が見ていない隙を見計らい、虹色の靄を追いかけ、引き寄せられるかのように山の中へするりと足を踏み入れ、一人で山の上へと、登って行ったのであった。





◆◆◆





 蒼頡が虹色の靄を追いかけ山に入ってから、半刻はんとき程が経った。


 ふわふわと宙を漂っていた靄は突如、ある場所の上で宙に浮いたまま、とどまった。


 蒼頡が草をがさがさと掻き分け、虹色の靄がとどまっているその場所に“ざっ”、と飛び出すと、そこに、夢の中で見たのと同じあの小さな祠が、虹色の靄の下の草木の間に、ひっそりと建っていた。


 虹色の靄は、その小さな祠の上で消えること無く、もやもやと宙にとどまったままであった。


 蒼頡が、その小さな祠のそばへ、ゆっくりと近づいた。

 祠の中から、妖しい気が外に漏れ出ている。


 蒼頡は、おもむろに祠の観音開きの戸を両手で持つと、そのままその戸を"ばんっ!"と、躊躇無くひらいた。


 見ると、その祠の中に、竹でできた小さなおりが入っていた。

 大きさは違うが、夢の中で見たあの光る檻と、同じものであった。


 蒼頡がその檻の中をさらに覗くと、そこに一体の小さな仏像があり、その仏像の横に、一匹の小さな蛇の死骸が、並んで横たわっているのが見えた。


「……これは……。

 日計ひばかりだ」


 蒼頡が、ぽつりと呟いた。



────日計ひばかり


 水辺を好む、蛇の名である。

 身体は黄白色おうはくしょくで、名の由来は、一度咬まれると咬まれたものは命がその日ばかりしかない、という言い伝えがあることから、その名がついたと言われている。




(……なぜ、蛇の死骸が祠に……)


 蒼頡がそう思った瞬間、ざわり、と不穏な空気がその場に漂い、直後、その祠の檻の中から、激しいおんの気が“ごうっ……!”と、噴出した。

 蒼頡はすぐさま、その祠から十歩ほど後ろに“ずざざざっ!”、と後ずさった。


 すると、竹でできた檻の柵の隙間から、黒いおんの気を纏った靄が、"ずるずるずる……"と、地面に向かってゆっくりと蛇のように、這い出てきた。


 蒼頡は、その様子を冷静にじっ、と見つめていた。


 その這い出てきた黒い靄は蒼頡の背丈を軽々と追い越し、みるみる大きくなった。

 そのまま人間の大人の背丈ほどまで大きくなると、やがてゆっくりと、人の姿のようなものに変わった。

 その姿は、蛇の顔をした異様に細長い身体で、人間の形はしていたが、全身が蛇の鱗で覆われ、ぞわりと鳥肌が立つほど恐ろしい、化物ばけものの姿であった。

 蛇の顔をもった、その、男とも女とも判別がつかないもののけは、蒼頡を目で捉えると、強烈な怨の気を再び"ごうっ……!"と発し、無言のまま、首を蛇の胴体のように、"ぎゅるぎゅるぎゅる……っ!"と伸ばし始めた。

 そして蒼頡の顔の目の前までその首を伸ばすと、口をがばりと開け、蒼頡の白い首元に、その鋭い歯で思い切り喰らいつこうとした。

 蒼頡は突然の出来事にどうすることもできず、為す術もなかった。


────蒼頡が咬み殺されそうになる、その刹那。


 宙に浮かんでいた虹色の靄が、"ぎゅるんっ!"と、光の速度で、蒼頡と蛇のもののけの間に突如、割って入ってきた。

 虹色の靄は、直後、



"────カッ!!"


と激しい閃光を放ち、その蒼頡と蛇のもののけの間で、蒼頡の身体と同じ大きさの、虹色に光り輝く巨大な雨蛙に、“ぐわっ!”、と変化した。

 蒼頡が驚くと同時に、蛇のもののけはその虹色に光る雨蛙の胴体に向かって、がぶりっ……!、と思い切りみついた。

 虹色の巨大な雨蛙は、咬まれた瞬間、"ぶわっ……!"と閃光を放ち、全身が粉々に砕け、そこからりに飛び散ってしまった。

 その時、蒼頡の頭の中に、水が流れるようにさぁー……っ、と、ある光景が流れ込んできた。

 蒼頡は、頭の中に流れ込んできたその光景に、自然と意識を集中させた────。





◆◆◆




 そこは、祠の中であった。


 自分が今見ているこの光景は、祠の中にあったあの小さな地蔵がいた場所から見た視点であると、蒼頡はすぐにわかった。


 すると遠くから、何人かのこどもの声が近づいてくるのが、蒼頡の耳に入ってきた。


 間もなく、そのこどもたちが祠の目の前に現れた。

 観音開きの戸の隙間から、三人の男のわらわが立っているのが、地蔵の視点で蒼頡の目に見える。

 その、観音開きの戸が、乱暴に"ばんっ!"と開いた。

 蒼頡は、その三人の童児どうじの姿を、その目でしっかりと捉えた。


 一番大きな体をした男の童が、その太い右手に、細長い木の棒で首を串刺しにした小さな日計ひばかりを握っていた。

 後ろにいた、ひょろりと細い体の男の童が、竹でできた小さな檻を、その手に持っている。

 さらにその後ろにいる気の弱そうな男の童が、その二人のことを、おどおどと落ち着かない様子で見つめていた。

 三人とも、よわい五つか六つほどの、蒼頡と同じくらいのとし頃のようであった。



「ここで飼おうぜ!」


 蛇を握っている童が、大声で言った。


「ちょうどいい場所だ」


 大きい体の童が、続けて言った。



「この竹の檻、持ってきてよかっただろ!」


 小さな竹の檻を持ったひょろりと細い体の童が、得意げに言った。


 すると、もう一人の気の弱そうな童が、


「……や、やっぱり、だめだよ……。

 だってここ、神様の住む家だから……。

 勝手にさわったりしちゃ、きっと大人のひとにおこられるよ……。

 へびも、とっても、かわいそうだよ……。

 ほら、首、痛そうにしてる……」


と、小さい声で、二人に向かって、そう言った。


 

「ここしか場所がないんだから、しょうがないだろ!

 いいか、村のおっとおやおっかあたちには、このことはぜったいに言うなよ!

 わかったな!」


 そう言うと大きい体の童は、祠の中の地蔵の横に、弱って虫の息になっている、串刺しにした日計を、そのまま乱暴に突っ込んだ。

 そこに、竹でできた小さな檻をもった童が、祠の中にある地蔵と日計の上に、その持っていた竹の檻を、ぼん、と、被せ置いた。

 そして、ぎい……ばたんっ、と観音開きの戸をそのまま閉じ、こどもたちは、日計を祠に閉じ込めたのであった。


 その日の晩、日計は祠の中で絶命した。


 日計の身体から、黒いおんの気が靄となって、徐々に現れ出した。


 その黒いおんの気がゆっくりと、隣にいた仏像に、蛇のようにまとわりつき始めた。


 やがて、蛇と同化した仏像の神聖な霊力が大きな負の力に変わり、祠から飛び出して、こどもたちの住む農村の水田にいる蛙やお玉杓子の魂を、片っ端から吸い取るようになっていった────。






◆◆◆






 蒼頡は、ふっ、と我に返った。


 目の前を見ると、蛇のもののけが蛙の放った閃光にひるみ、身をかがめ、しばらく動けなくなっていた。


 蒼頡は地面を蹴り上げ、その場から山のふもとに向かって勢いよく“だっ!”、と駆け出した。

 今の自分ではこの蛇のもののけに勝てるすべが無いことに気づき、蒼頡は父の元に戻ろうとした。


……が、蒼頡は突如、何かに足を掴まれ、がくんっ、と膝から落ち、ずでっ、と地面に倒れた。


 足を見ると、蛇のような黒い靄が、蒼頡の右足の膝下にまとわりついている。

 蒼頡はそのまま、その黒い靄にずるずると引きずられ、祠の前に戻された。

 蒼頡を引きずり戻した蛇のもののけが、再び口をがばりと開け、蒼頡の首元にまたしても、咬みつこうとした。

 その時であった。



 ふわり、と、白い狩衣が蒼頡の顔を覆い隠したかと思った、その瞬間────。



"……ばつんっ……!!"


と、何かが裂けるような音が、森中に響き渡った。



「────……父上っ……!」


 蒼頡が、絞り出すように、声を発した。


 蒼頡の父が、息子を左腕でふわりと抱き寄せ、襲い掛かってきた蛇のもののけの胴体を、右手に持っていた刀で、真っ二つに断ち切っていた。


 蛇のもののけは、上半身、下半身ともに、地面にどさりっ、と倒れた。

 蛇の顔は苦悶の表情を浮かべ、長い舌をでろりと出したまま、やがてすぅっ、と、霧のように、その場から消え去っていった。


「……危ないところであった」


 蒼頡の父が、顔をしかめて言った。


「……父上……。

 ありがとうござります」


 蒼頡が、父に向かって言った。


 蒼頡の父は、ふぅ、と深く息を吐くと、祠の方にその目を向けた。


 祠の中に、小さな地蔵と蛇の死骸が、竹の檻に入ったまま眠っていた。



「……解放してやろう」


 蒼頡の父はそう言うと、竹でできた小さな檻を、祠の中からぽこん、とはずした。

 そして、そこにあった蛇の死骸を、祠の脇に埋めた。


 父が蛇の死骸を埋め終えると、蒼頡はそばに落ちていた木の棒をひょいと拾い上げ、死骸を埋めた土の手前の地面に、突如、がりがりと字を書いた。


「何を書いておるのだ」

 父がそう問うと、蒼頡は、


「『ちん』と、書いております」


と言った。


 すると、五歳の蒼頡が書いたその『鎮』という字が、土の上で、淡く光り出した。

 蒼頡の父は、それを見て、はっ、とした。


 そのまま、『鎮』という字は光りながら、蛇の死骸が埋まっている土の中に、すぅ……っ、と、もぐり込んで行った。

 やがて、土の中から白く光る靄がふわりと浮かんだかと思うと、そこに、日計の姿が、うっすらといるのが見えた。

 日計は、そのまますー……っと上に昇っていき、やがて空に消え、見えなくなった。


「蒼頡……今のは……」


 蒼頡の父がそこまで言いかけ、蒼頡の顔を見た。


 蒼頡は、まるで腹がけば食事を摂るかのごとく、眠くなれば目を閉じ寝るかのごとく、ごく自然に、そこに字を書いただけ、といった顔で、父を見つめ返していた。


 蒼頡の父は、蒼頡の顔をしばらく見つめると、


「……これから、覚えていかなくてはならないことがたくさんあります、蒼頡。

 私が、そなたにしっかりと教えてゆかねばなりませんな」


と、真剣な眼差しで、そう言った。


「……はい。

 よろしくお願いいたします。父上殿」


 蒼頡は、父の真剣な眼差しを真っ直ぐ見つめ、そう言葉を返した。


 その時、祠の後ろに、一瞬だけ、虹色の光がふ、と蒼頡の目に入った。


「ん?」


 蒼頡がすぐさま祠に近づき、さっ、と祠の後ろをのぞき込むと、そこに、後ろ足が二本生えた一匹のお玉杓子が、ぴちぴちと尾を動かしながら、地面の上でもがいていた。


 蒼頡がそのお玉杓子をそっと両手の手のひらの上に乗せると、そのお玉杓子は、淡く虹色に光り出した。

 直後、頭の形がもこもこと変わり、手がにょきにょきと生え、尾がしゅるしゅると短くなり、蒼頡の手のひらの上で、あっという間に、緑色の雨蛙の姿に変化した。

 蒼頡が驚いていると、その雨蛙は蒼頡の手のひらからぴょん、と飛び降り、草むらの中へがさり、と入り込んで、逃げてしまった────。




 蒼頡と父が山から下りると、西の空に赤い夕焼けが出ていた。

 農村の水田からは、

"ぐぁっぐぁっ"

"げーげー"

"がっがっがっ"

という蛙の鳴き声が、一斉に聞こえ始めていた。

 村長や農村の人々は、その鳴き声に泣いて喜んだ。


 蒼頡と父は、夜が迫っているため一晩だけ、その農村の村長の家に泊まることとなった。


 夜、眠りについた蒼頡は、夢を見た。


 またしても、暗闇であった。


 その暗闇の中から突如、ぼぅっ……と小さく虹色に光る、手のひらほどの大きさの何かが、夢の中の蒼頡の目の前に現れた。

 虹色の輝きが徐々に落ち着いてくると、その小さな虹色の光の中に、一匹の小さな蛙が、じぃ……っ、と微動だにせずその場にしている様子が、蒼頡の目に映った。

 光る蛙は、黒々としたとした瞳で、蒼頡の目をじっ……と、見つめていた。

 蛙を見つめたのち、蒼頡は悟った。



「来るか。

 わたしの元に」


 蒼頡が蛙にそう問うと、蛙が、ぽう……っ、と、その身体の輝きを増した。



 蒼頡はそこで、目が覚めた。


 外が、やんわりと明るかった。

 陽が昇り始めたばかりの、早朝であった。



 蒼頡が布団からむくりと起き上がり、ふと後ろを振り返ると、枕元に、一匹の蛙が、じっ、と蒼頡の方を見つめ、していた。


 その蛙は、薄く虹色の光を放っている。



「名をつけてあげなさい」


 声がした。

 蒼頡が右横を振り向き、父の顔を見た。



「蒼頡が初めてもつ式となるな」

 父が、にこっ、と優しく微笑んだ。


 蒼頡は、父の顔を見、もう一度、蛙を見た。


 それは、めすの雨蛙であった。



 蒼頡は、蛙としばらく見つめあったのち、


「……なえ


と、言った。




 "ぶわっ……"


 蛙の体が発光した。

 そして、しゅう……、とその光が、徐々に蛙の体の中に、収まっていった────。






◆◆◆





「────そうして私は陰陽師として、式神との契約の結び方を父から学び、苗と改めて盟約を結び、晴れて、人生初の式を、この身にもつこととなったのだ」


 蒼頡が、与次郎に向かって言った。


「……そんなことがあったのでございますね」


 与次郎が、優しく微笑んで、そう言った。



 蒼頡にも、幼くまだ未熟であった時期がやはりあったのかと、与次郎は雨粒に打たれ、つやつやと輝く苗を眺めながら思った。


 昔の話を蒼頡が自分にしてくれた、その嬉しさが、与次郎の胸の内にじんわりと込み上げてくる。



 しとしとと降る雨音がこんなにも居心地のいものであったのかと、その身に深く深く、染み入るように、与次郎は感じていたのであった。


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