第2話 百足



 田塚たづか万太ばんたという地主の娘が、病で倒れた。

 顔から胸の辺りにかけて、突然皮膚が赤黒くただれ、高熱を出した。

 そのまませってしまい、起き上がれない身体になってしまった。

 医者にせると、その医者は万太ばんたに向かって、

「これは、百足むかでの毒でござります」

と言った。


 万太が、

「……百足だと?」

と聞き返した途端、横で臥せていた娘の弥貴子やきこが、目をかっと見開き、ぶるぶると震え出して、こう言った。


「……志代しよ……!

 志代しよが、わたくしを呪っておりまする……!」


 弥貴子やきこはそう言うと、ガタガタと震えが止まらなくなった。


「志代だと!?」

 弥貴子の言葉に、万太は驚いた。


 万太の横にいた弥貴子の夫、佐兵衛さべえもまた、万太と同じように、目を見開いて驚いていた────。





◆◆◆





「────志代というのは、ひと月程前までこの屋敷で働いておった、数少ない女中じょちゅうの一人でございました」


 万太が蒼頡そうけつに向かって言った。

 蒼頡と与次郎は、田塚万太の屋敷の一室で、万太の話に耳を傾けていた。


「しかし志代はひと月程前に、この屋敷の庭で足を滑らせ、運悪く庭にある岩に頭をぶつけて、打ち所が悪かったのか、そのまま亡くなったのでございます」


 万太がそう言うと、

「……ふむ」

と、蒼頡が静かに言った。


「……その志代様が、弥貴子様を呪っておられると」


 蒼頡が問うと、万太は、

「ええ」

とうなづいた。


「弥貴子は食べ物も受け付けなくなり、日に日に痩せ細っております。顔から胸の皮膚の爛れも一向に良くならず、どの医者もさじを投げております。

 もしこれが呪いならば、呪いを解けばもしや良くなるのではと、藁にもすがる思いで、お声掛けした次第でございます。 江戸で評判の陰陽師であるあなた様以外に最早もはや、頼りにできる御方はおりません。

 どうか、娘を助けていただきたいのです……!

 なにとぞ、このとおり……!!」


 万太は、目に涙を浮かべて頭を下げた。


「……わたくしでお役に立てるなら、喜んで御力になりましょう」

 蒼頡が優しく言った。


「……気になることがございます。

 弥貴子様が百足の毒と聞いた瞬間、志代様の呪いと仰ったそうですが、弥貴子様は志代様に、何か恨みを買われておられたのでしょうか?

 百足の毒と聞いて、何故なにゆえ弥貴子様は志代様の呪いだと思われたのでしょう」


 蒼頡が問うと、


「それが、全くわからないのです。家のことや弥貴子の身の回りの世話は全て屋敷内の女中に任せており、恥ずかしながら、弥貴子と志代に何があったかなど、全く知らないのです」

と、万太が言った。


「……ふむ、なるほど。

 では……早速ですが、弥貴子様に会わせていただく前に、その、志代様が亡くなられた庭を先に見せていただきたいのですが、よろしいですかな」


 蒼頡がそう言うと、万太は、


「勿論でございます!

 実は、弥貴子が寝ている部屋のほぼ目の前にございます。

 こちらへ……」

と言って、さっと立ちあがり、蒼頡を案内した。


 蒼頡の斜め後ろにしていた与次郎も、蒼頡の後に続いた。



 万太の屋敷は、蒼頡の屋敷と比べるとだいぶ見劣りするが、そこそこ立派な造りであった。


 万太の後ろに続きえんを歩いていた蒼頡が、ふと、何かの気配に反応した。

 与次郎は蒼頡のその様子に気づいた後、自分でも、何か違和感があることに気づいた。

 しかし注意深く辺りを見渡してみても、その違和感がいったい何であるのかは、よくわからなかった。


 するとすぐに、

「こちらでございます」

と、万太が言った。


 いたって普通の庭であった。

 松の木が一本、綺麗に剪定され植えられており、側に小さい池もある。

 池の横に、腰まである大きな岩が置いてあった。

 蒼頡は庭を軽く見た後、その岩を、その大きな瞳で、じっ……と見た。

 しばらく岩を眺めたあと、蒼頡が一瞬、瞳をきらりと光らせたのを、与次郎は見逃さなかった。

 蒼頡は表情をあまり出さないようにしていたようであったが、与次郎には、蒼頡がたかぶる感情をあえて抑えているように見えた。

 まるで、好奇心旺盛な子どもが、何か珍しい物を見つけたような、しかしあえて騒がず、それを心内こころうちにしっかりととどめているような、そんな様子である。


 与次郎は、蒼頡の顔と蒼頡が見つめているその岩を交互にちらりちらりと見たあと、岩に何かあるのかと、蒼頡と同じように目を凝らし、その岩をじっと見てみた。

 最初はただの岩だと思っていた与次郎であったが、しばらく見つめていると、変化があった。


 与次郎は思わず、

「む」

と声を出した。


 岩全体から、紫色の靄が出ている。

 なんだろう、と与次郎がさらに目を凝らすと、紫の靄はますます濃くなり、さらに岩の下、地面辺りが、紫から黒い靄へと、次第に変わっていった。


 与次郎が、

(なんだ、あれは……!?)

と思った瞬間、黙って自分の様子を見ている万太に向かって、蒼頡が、

「あの岩は」

と聞いた。


 蒼頡が全て言い終わる前に、万太は、


「そうです。

 志代はあの岩に頭をぶつけ、死んだのです」

と言った。


 蒼頡が岩をじっと眺めているのを見て、志代があの岩に頭を打ち付けて亡くなったことを、この名高い陰陽師はきっと悟ったのだろうと、万太は思った。


「……ほう。そうでござりましたか……。

 ちなみにあの岩は、どちらで手に入れたのでございますか?」

 蒼頡は驚いた様子を見せてから、万太に岩について聞いた。


「あ、あの岩でございますか」


 万太は蒼頡にそう聞かれると、少し言いづらそうにしたが、蒼頡にじっ……、と見つめられ、やがて、


「……ある寺に置いてあったものを、その寺の住職から買ったのでございます」


と言った。


「とある霊験あらたかな山からきた珍しい岩で、家を守ってくれる力があるとのことでぜひ欲しくなり、買い取ったのでございます」


 万太がそう言うと、


独山どくざんですね」

と、蒼頡が聞いた。


 万太は、

「……は」

と、全くぴんときてない様子で、蒼頡に気の抜けた返事をした。


 万太は蒼頡にじっと見つめられ、段々といたたまれなくなり、正直に話し出した。


「……実は、霊験あらたかな山とはどんな山かなぞ、詳しくは全く知りませんで……。

 独山どくざんという山なのでございますか」


 万太が蒼頡に向かって、少しだけ好奇に満ちた目で問うと、


「……いや、忘れてくだされ。

 弥貴子様の様子を、見せていただきたいのですが」

と、蒼頡が万太に言った。


 岩の話を掘り下げたかった万太であったが、蒼頡にそう言われると慌てて、

「あ、はい。

 こちらでございます」

と、弥貴子の部屋へ、いそいそと案内した。


 ふすまを開け中に入っていく万太に続くと、部屋の真ん中に、弥貴子が寝ていた。


 弥貴子の横には男が座していた。

 さっぱりとした顔の、若い男であった。


婿むこ佐兵衛さべえです。」

 万太が言った。


「一人娘なもんでね……。佐兵衛が婿にきてくれて、助かりました。

……まだ夫婦になったばかりだというのに、弥貴子がこんなことになって……。

 佐兵衛も気の毒だろう」


 途中目頭を押さえながら、万太が言った。


 佐兵衛は、

「弥貴子はきっと治ります。

 また元気な姿に戻ると、わたくしは信じております。」

と、力強く言った。


 弥貴子の姿は、顔の皮膚が全体的に赤黒く爛れ、元の顔がわからないほど酷い状態であった。

 呼吸は荒く、痩せ細り、意識が無い様子であった。


「急がねば、手遅れになりますな」


 蒼頡は懐から、綺麗な螺鈿細工らでんざいくが施された矢立やたてと和紙を取り出した。

 矢立から筆を取り出し、その和紙に『』という字をさらさらと書くと、それを二つ折りにし、

「こちらの紙を、弥貴子殿の懐へお入れ下さい」

と、佐兵衛に言った。


 佐兵衛が言われた通りに、布団を少し上げ、弥貴子の懐へその和紙を入れると、やがて胸元辺りが、布団を突き抜けて、淡く光り出した。

 すると、爛れていた顔の皮膚が少しずつ、瘡蓋かさぶたのようにカチカチに固まり、やがてその瘡蓋が、弥貴子の顔からぼろっ……と、気持ちよく剥がれ落ちた。

 弥貴子の顔は、肌色になった。


「おう」


「なんと」


 万太と佐兵衛は二人同時に、驚きの声を上げた。


 弥貴子は、すーすーと気持ちよさそうな寝息を立て始めた。




「一時しのぎです」

 蒼頡が言った。


「呪いの元を絶たなければ、すぐさま先ほどの爛れた皮膚に戻ってしまいます。

 このままではさらに呪いが加速し、そのまま二度と、帰らぬ人となってしまうでしょう」


 蒼頡の言葉に、万太は顔面蒼白になった。


「……い、いったい……どうすれば……」


 万太は、再び泣きそうになった。


 蒼頡は、


「呪いの元は、夜中に現れるはずです。

 今夜一晩、寝ずの番をさせていただきたいのですが、よろしいかな」

と、万太と佐兵衛に向かって聞いた。


 万太は、

「勿論でございます!」

と目を赤くしながら言った後、


「すぐさま、夕餉ゆうげの支度をさせましょう」

と言って、女中がいる奥の部屋へと引っ込んで行った。









◆◆◆









 夜。


 蒼頡と与次郎は、弥貴子が寝ている部屋の、隣の部屋にいた。

 襖を少しだけ開け、弥貴子の部屋の中が確認できるようにし、息を潜めていた。

 弥貴子は、すーすーと寝息を立てている。

 つい先程まで、側には弥貴子の世話をするために佐兵衛や他の女中がいたが、蒼頡が人払いをし、弥貴子を一人にした。

 辺りは暗闇に包まれ、しん、と静まり返っていた。


 与次郎は蒼頡に、

「蒼頡様」

と小さく声を掛けた。


「庭にあった、岩のことでございますが……。

 よくよく目を凝らして見ておりましたら、何か紫色の靄が見えました。

 あれはいったい、何だったのでございましょう」


 与次郎が気になっていた岩のことを聞くと、蒼頡は、


「あれは恐らく、独山どくざんの岩です」

と言った。


「独山の岩……でございますか」


 与次郎が聞き返すと、蒼頡は、

「この国の岩ではありません」

と言った。


「……は」


 与次郎は一瞬よくわからず、とまどった。


(この国の岩ではない、とはいったいどういう意味なのだろう……?海を渡って来たということであろうか?)


 与次郎が、蒼頡に色々聞き返そうと言葉を探していると、突如、ざわり……と、部屋の空気が一変した。

 与次郎は、心臓がどくんっと跳ねた。


「しっ。

 来ましたぞ」

 蒼頡が、与次郎に向かって小声で言った。


 与次郎は、ふすまの隙間から弥貴子の部屋をそっと覗き込んでみた。

 その瞬間、与次郎は心臓が飛び出るかと思うほど、驚いた。


 暗闇の中、寝ている弥貴子を立ったまま見下ろしている、一人の女がいた。


 よく見ると、その女の身体には、腕が何本も生えていた。

 黒髪の間から、腕が耳のように生えている。

 肩からも、脇からも、腰の側面からも、骨盤辺りからも、ももの側面からも、生えている。

 数えると、右に8本、左に9本。

 身体の右と左の両側面に、腕がずらりと生えていた。


 女は、裸であった。


 腰ほどまである長い黒髪は乱れており、顔はしっかりとは見えない。


 裸の女は、弥貴子にゆっくりと顔を近づけた。


 その途端────。


 弥貴子の顔が突然、丸められ、紐で縛られている布団に変わった。

 弥貴子はおらず、掛け布団の下に、人の体の厚みに見立てられたそれが、転がっていた。

 その丸められた布団に、和紙が二枚貼ってあった。

 それぞれに、『田塚弥貴子』と『ばく』と書かれている。

 『縛』と書かれた和紙が光りだし、緑、赤、黄、白、黒の五色の太い縄が、和紙から飛び出した。

 その縄は、瞬くに腕が何本も生えた裸の女にぐるぐると巻き付き、それを捕らえた。


「!!────ぎぁ!!」


 女は人の声ではない叫び声を上げ、縛り上げられたまま、動けなくなった。


 蒼頡が、すっと部屋の中へ入っていった。

 与次郎も、慌てて後に続いた。


 近づいて女の顔を見た与次郎は、さらに驚愕した。


 口から、ふしが十個以上はある触覚が二本、生えていた。

 その長さは、首元まである。

 目は丸く触覚のすぐ上についており、人間の目ではなかった。

 白目が無く、赤い瞳をしている。



 百足の顔をしたその女は、五色の縄に縛り上げられながら、禍々しき黒い靄を纏って、触覚の下に隠れている鎌のような二本の歯を、ギチギチと恨みがましく、動かしていたのであった────。

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