第6話 触れ合い

 七城さんが隣を歩く。

 彼女の家に向かっていた時よりもかなり足取りが軽い。


 こうなることが気掛かりだったのだろうか。


 俺には目の前で起きたことの理解が出来なかった。

 夜遅くとはいえ、まだ夜の22時だ。


 他の高校生であれば遊んでいる奴だっているだろう。

 それに七城さんは女の子だ。こんな時間に追い出すことがどうなることなのか、分からないわけでもないだろうに。


「あの、秋月君」

「……ん?」


 それについて悶々としたものを抱えていたので少しだけ反応するのが遅れた。


「ごはん、買っても良いですか?」

「あ、ああ。うん。良いよ」


 七城さんが指さしたのは近くのスーパーだった。

 こんな夜でもやってくれているバイト漬けの俺にもありがたいスーパーである。


ま、俺はコンビニ弁当しか食べないんだけど。


「あと、電子レンジを貸していただけますか?」

「ああ。全然いいよ。好きに使って」

「ありがとうございます」


 七城さんがほほ笑む。先ほどまでのやり取りを一切感じさせない微笑みである。

 俺はその可愛さにドキッとしながらも、七城さんに少しの脆(もろ)さを感じ取った。


 俺はコンビニ弁当を手に持ったまま、スーパーに入った。だが、七城さんが向かったのは冷凍食品のコーナーではなく、生鮮食品売り場だった。電子レンジを使いたいと言っていたのに、冷凍食品じゃないのだろうか?


 と、首を傾げていると七城さんは卵を手に取った。


「卵……?」

「明日の朝のごはんです」

「朝……」

「はい。あの、秋月君に返せるものと言えば……私にはこれくらいしか無いから」

「もしかして、明日も作って……?」

「はい。あの……ダメですか?」


 少しだけ心配そうにこちらを見る七城さんが可愛くて、たじろいでしまう。


「ううん。お願いします」


 七城さんは簡単なご飯だと言ったけど、俺からすれば久しぶりに食べた人の手料理だったのだ。俺がまっすぐそういうと、七城さんは恥ずかしそうに「任せてください」と言った。


 夕食を作るのにはあまりに時間が遅いことも相まって、七城さんは夕食に冷凍食品を買っていた。


「私、冷凍食品って初めて買いました」

「家族で暮らしてたら自分では買わないもんね」

「そうなんです。だから、楽しみです」


 楽しみ……。

 若干のカルチャーショックを受けて、俺は続けた。


「普段は家でなに食べてるの?」

「いつもは和食が中心ですね。たまに洋食も食べたりしますけど」

「和食を。すごいね」

「凄くないですよ。お手伝いさんが作ってくれたものですから」

「お手伝いさん!?」


 なんだその漫画でしか聞いたことないものは。


「凄い家だね……」

「凄くは無いです」


 七城さんは表情を変えずにそう言ったけど、少しだけ声が凍ったのを聞いてこの話題は避けようと思った。


「そういえば七城さんって料理できるみたいだけど、自分でご飯作ってたの?」

「花嫁修業です」


 露骨に七城さんのテンションが下がった。


 これも地雷だったらしい。

 もっと家の話から離れないと……!


「そ、そっか。そういえば七城さんは暇なときは何してるの?」

「本を、読んでます」


 少しだけ、七城さんの声が暖かくなった。

 よ、よし。何とか地雷は避けたぞ。


「読書するんだ」

「はい。本を読んでると、落ち着くんです。なので暇なときは読書を」

「へぇ。どんな本が好きなの?」

「太宰治の『人間失格』です」

「ほへぇ……」


 やばい知らない本が出てきた。


「ど、どんなところが好きなの?」

「秋月君も読めば分かると思います」


 七城さんがにっこり笑ってそう言った。

 普段は本を読まない俺は、七城さんの笑みに飲まれるように「頑張ってみるよ……」と返したのだった。



 そのまま2人して帰宅すると、さくっと買ってきたものレンジで温めて適当に食べると昨日と同じように七城さんに一番風呂を譲った。


 七城さんがお風呂に入っている間に数学の宿題を解いていたが、風呂場から聞こえてくる音に意識が引っ張られて全然集中できない。


 こんなことなら先に風呂に入っておくべきだったかも? 

 でも、俺が入った後に入りたくないって思われるかも知れないしなぁ……。


 取りとめの無い思考ばかりが頭にあふれて、一問として宿題が進むことなく七城さんがお風呂から上がった。


「お風呂いただきました」

「おっけー」


 返事がこれであっているのか分からないが、返しておく。


「すみません。2日連続でお先にいただいて」


 脱衣所から出てきたのは俺の昔のジャージを着ていた七城さんだった。


 湯上りのため、わずかに水気を帯びた紺の髪の毛と湯気を纏う身体。昔、鏡で嫌というほど見た自分のジャージを女の子が着ていると、全く別の服に見えるのだということを俺は初めて知った。


 端的に言って可愛い。


 弘法筆を選ばずとはこういうことだろうか? 

 いや、違うか。


「良いよ。お客さんだから」

「ありがとうございます。……あれ? それって今日の宿題ですか?」


 七城さんの視線が俺の手元に向かう。


「うん。まだ全然進んでないけど」

「お風呂上がったら一緒にやりませんか? 私、数学苦手なんです」

「いいよ」


 恥ずかしそうに言う七城さんに俺は笑顔で頷いた。


 風呂場に向かう途中でスマホを確認するといつもと同じようにメッセージが届いていた。『今日の宿題教えて』と、土下座の絵文字付き。それを無表情で見た俺は既読だけ付けてスルーした。

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