第27話 なん、で……?
小さな神社につくと、かぎしっぽが出迎えてくれた。日菜と悠斗が来ることをわかっていたみたいに、お賽銭箱の上にちょこんと座っていた。
日菜と悠斗の姿を見るなり、L字を逆さにしたみたいに折れ曲がったかぎしっぽを、ゆらりと揺らす。
お賽銭箱に五円玉を入れて、鈴を鳴らして、手をあわせて。
大きな神社でしたのと同じ宣言を。これから悠斗に告白するから応援してほしいと。小さな神社の神さまにもお願いした日菜は、顔をあげるとお賽銭箱の上のかぎしっぽを抱き上げた。
何を熱心にお願いしているのか。
悠斗は大きな神社のときと同じように、長々と手を合わせて、目をつむっていた。
――かぎしっぽは幸運のしるし。
かつて、おばあちゃんとおじいちゃんの縁を結んだみたいに。かぎしっぽの黒猫が日菜と悠斗の縁を結ぶ助けになってくれるように。
恥ずかしさと、緊張と。そして、何よりも……もし断られたら、今までの関係が壊れてしまうという怖さに手が震えてきた。
じっとしていられなくて、日菜はかぎしっぽを抱えたまま。狛犬と狛犬のあいだをぐるぐると歩き回った。
「よし、日菜。そろそろ帰ろっか!」
ようやく顔をあげた悠斗が振り返って、にひっと歯を見せて笑った。駆け寄ってきて、日菜の腕の中でゴロゴロとのどを鳴らしているかぎしっぽの額を撫でた。
「ずいぶんと長く、お願いしてたね」
大事な言葉はのどにつかえて、出てこなくて。日菜はあいまいに笑って、そう言った。
「うん。……あ、でも教えてってのはなしだぞ。話しちゃうと叶わなくなっちゃうんだよ、こういうのは」
悠斗は真剣な表情で言った。かと思うと、
「ちゃんと叶ったら教えてやるよ。きっと春には教えられる!」
パッと満面の笑顔を見せた。歯を見せて、目を猫みたいに細めて。無邪気な笑顔だ。
春――。
その言葉と悠斗の笑顔に、日菜の胸がきゅっと締め付けられた。
春には引っ越ししないといけない。悠斗ともお別れをしなくてはいけないのだ。
悠斗はそれを、わかっているのだろうか。
「じゃあ、またな。かぎしっぽ。今年もよろしく」
かぎしっぽの額をなでて。最後に鼻先を指でツンツンと突いて。
悠斗は足を小さな鳥居の方に――帰り道の方に向けた。
「お腹すいたなぁ。じいちゃんたち、もうおせち食べ始めてるかな」
さっさと歩いていってしまう悠斗の背中に、日菜はあわてて手を伸ばした。
――待って。悠斗くんに話したいことがあるんだ。
そう言って、悠斗を呼び止めて。悠斗のことが好きだと。正直で、素直な日菜の気持ちを伝えたいのに。
――やっぱり……怖い。
身体が震えて。声も、言葉も、出てこなくて。日菜は伸ばした手を力なく下ろした。
下ろそうとして、
「……っ」
止めた。
かぎしっぽが大きく口を開けていた。
かぎしっぽがみゃーとか、にゃーとか鳴いているのを聞いたことはない。鳴くのが苦手なのかもしれない。
でも、かぎしっぽはじっと日菜を見上げて。精一杯に口を開けて。声にはならない声で、何度も、何度も。にゃー、にゃー、にゃー……と鳴いていた。
「応援……してくれるの?」
日菜の言っていることがわかったわけじゃないと思う。
でも、かぎしっぽがごろごろとのどを鳴らすのを聞いて。幸運のしるしに励まされて。日菜は唇をきゅっと引き結んだ。
「悠斗くん、ま……待って!」
声が裏返ってしまったけど、やっと言えた。
「ん? どした?」
足を止めて振り返った悠斗は、いつもどおりの笑顔だ。
あっけらかんとして。でも、真央や和真たちに向けるよりも、ちょっとだけ気安くて。優しい笑顔。
大好きな笑顔に、また弱気が顔を出しかけて。
そんな日菜を見透かしたみたいに、かぎしっぽがそっと腕に爪を立てた。
かぎしっぽを見ると、まん丸の黄色い目でじっと日菜を見つめていた。その目にこくりとうなずいて、日菜は一歩、足を踏み出した。
「あの、ね……悠斗くんに話したいことがあるんだ」
悠斗は目を丸くして首をかしげた。
でも、日菜の表情を見て、日菜が何を言おうとしているのか。何の話をしようとしているのか。気が付いたらしい。
さっと顔色が変わった。
「あのね、私……悠斗くんのことが好……っ!」
あわてて走ってくると、
「待って、日菜。ちょっと……待って!」
悠斗はいきおいよく、日菜の口を手でふさいだ。
手袋をしていない悠斗の手は、ひんやりと冷たかった。
あまりにもいきおいよく口をふさがれて、日菜は目を白黒させた。日菜に抱っこされているかぎしっぽも目を見開いて、耳を後ろに倒した。
「それ、言わないで! 言っちゃだめ!」
「……!?」
悠斗の大声にびっくりしたらしい。かぎしっぽはジタバタと暴れたかと思うと、日菜の腕からするりと飛び出していってしまった。
――幸運のしるしが、逃げてっちゃった……。
神社の左手にある林へと逃げていくかぎしっぽを目で追って、日菜は肩を落とした。
悠斗は日菜の口をふさいでいた手を離すと、後ずさった。日菜の表情を見て、眉を八の字に下げた。
「なん、で……?」
かぎしっぽが消えていった方を見つめたまま、日菜はぽつりとつぶやいた。
「嫌なら……ううん、嫌でも。最後まで聞いて、それから断ればいいじゃない」
言って、日菜が顔を向けると、悠斗はゆるゆると首を横に振っていた。
否定。でも、悠斗は何を否定しているのだろう。考えて、泣きそうになった。
「聞いても……くれないの?」
震える声で尋ねると、悠斗はいきおいよく首を横に振った。
「違うって! そうじゃない! そういうことじゃ、なくて……!」
ガリガリと乱暴に襟首を掻いて、悠斗はうつむいた。必死に言葉を探しているようだけど、日菜の心はどんどんと重くなっていく。
見る見るうちに曇っていく日菜の表情を見て、悠斗も泣きそうな顔になった。
「違う、聞きたくないわけじゃない。相手が日菜なのに、断るわけない!」
焦っているのだろう。早口でまくし立てながら、それでも悠斗はきっぱりと言った。
たぶん、きっと。今じゃなかったら。違うタイミングで聞いていたら。飛び上がるほどにうれしい言葉だ。そのはずだ。
「でも、まだ、だめなんだ。春になるまでは……!」
なのに、全然、うれしくない。
「なんで? いつものゲン担ぎ?」
案の定、悠斗はこくりとうなずいた。首をすくめているから、少しはもうしわけないと思っているのだろう。でも、悠斗の困り顔を見ても日菜の心は軽くはならなかった。
やっと勇気を出して言ったのに。どうして、そんなことを言うの。なんで、聞いてくれないの。
その思いの方が強くて。どんどんと強くなっていって。
「じいちゃんとばあちゃんがな……」
「また、おじいちゃんとおばあちゃんの話?」
そう尋ねた日菜の声は、日菜自身もびっくりするほど冷たい声だった。
でも、言葉を止めることができなかった。
「そんなに……ゲン担ぎが大事? 私の気持ちよりも?」
悠斗は驚いたように目を見開いたあと。うつむいて。泣きそうな顔になって。それでも唇を引き結んで顔をあげると、真っ直ぐに日菜を見つめた。
「日菜! 俺さ、日菜とは……!」
悠斗が言いかけた瞬間、遮るように。タイミング悪く。静かな境内に猫の鳴き声が響いた。かぎしっぽの声でも、他の野良猫たちの声でもない。もっと機械的な音。
悠斗があわてたようすでズボンのポケットを押さえた。悠斗のポケットに入っているスマホが鳴っているのだ。
「……鳴ってるよ」
「でも……!」
「石谷のおじさんからでしょ。出ないと、何度もかかってくるよ」
これは本心だ。石谷の性格を考えたら、多分、何度もかけてくるはずだ。悠斗が出ないとなれば、きっと次は日菜にかけてくる。
日菜は息を吐き出すと、悠斗に背中を向けた。
別に帰るつもりじゃなかった。悠斗の電話が終わるまで、待ってるつもりだった。
ただ、ひねた気持ちと、ちょっとの意地悪から背中を向けただけだ。
でも――。
悠斗に手首をつかまれて、日菜は思わず振り返った。
「話の続きがあるんだから。絶対に待っててよ。帰らないでよ、日菜!」
悠斗は捨て犬みたいな顔で日菜を見つめていた。そのくせ、つかまれた手首が痛くなるほど、手には力が入っていた。
念を押すように、もう一度、日菜をじっと見つめてから、悠斗はようやくスマホを耳にあてた。
「……もしもし。石谷のおじさん?」
やっぱり石谷からの電話だったらしい。
日菜は顔だけそっぽを向いた。手を振り払おうとは思わなかった。痛いくらいにしっかりとつかまれた手に、唇をかんだ。
――悠斗くんにとって、ゲン担ぎがどれくらい大事なことか。わかってるのに……。
日菜はあいている右手を胸にあてた。
――大丈夫。悠斗くんなら、正直に、素直に話してくれる。私の話も、聞いてくれる。
だから、大丈夫。この不安な気持ちも、すぐに治まる。
そう言い聞かせて、日菜はざわざわする胸を押さえた。
「……うん、近くまで帰って来て……え、あ、……でも、ちょっと待って……え? 日菜に? ……お母さんから連絡?」
悠斗の言葉に日菜は顔をあげた。
――お母さんから……?
悠斗の方もちらりと日菜の方を見たけど、
「あ! ……いや、待って。お雑煮のおもちは、まだ……!」
すぐさま明後日の方を向いてしまった。
あわてて石谷を止めている悠斗を横目に見ながら、日菜は片手でスマホをカバンから取り出しだ。
お母さんから日菜に連絡があるとしたら、家族グループにメッセージを送っているはずだ。
読むつもりはなかった。
メッセージを開けもせずに、いつものようにグループごと削除するつもりだった。
スマホの画面を見ると、奈々や真央たちからのメッセージの上に、お母さんからのメッセージの一部が表示されていた。
『転校の手続きのために冬休み明けてすぐにそっちに行くから』
表示されていたのは長いメッセージの一部分、最初の一文だけだ。でも、その一文で十分だった。
その一文だけで、日菜の全身がすーっと冷たくなった。
悠斗の手を振り払って。電話中の悠斗を置き去りにして。
日菜はスマホを握りしめたまま、走り出していた。
「日菜!」
悠斗が名前を呼ぶのも無視して。悠斗から逃げるように、小さな神社を飛び出した。
歩道もない、車一台がどうにか通れる程度の路地を真っ直ぐに走って。おじいちゃんの家の外階段を駆け上がって。玄関のカギを開けて、
「……っ!」
ただいまも言わずにドアをバタンとしめた。
おじいちゃんは石谷といっしょに喫茶・黒猫のしっぽにいるはずだ。おせちとお雑煮の用意をして、日菜と悠斗が帰ってくるのを待っている。
さっきの電話も、待ちきれなくなった石谷が、お雑煮のもちを焼き始めてもいいかと聞いてきたのだろう。
日菜はドアに寄り掛かって、靴も脱がずにしゃがみ込んだ。手に持ったままのスマホに目を落とすと、まだ五分と経っていないのに、悠斗からの着信やメッセージが何件も溜まっていた。
でも、そのメッセージは開かずに、おじいちゃんにメッセージを送った。
『ごはんはいいや。風邪ひいちゃったみたいだから寝てるね』
インコが羽をあわせて頭を下げているスタンプを送った瞬間。スマホの画面にぽつりと、涙のつぶが落ちた。
だって、こんなの大うそだ。
風邪なんてひいてない。きっとおじいちゃんも石谷も心配するはずだ。
でも、日菜は逃げてしまった。悠斗とあれ以上、正直に、素直に、話をすることが怖くなってしまった。
だって――。
「……あとちょっとで、また転校するんだよ」
スマホに額を押し付けて、日菜は泣きながら呟いた。
日菜の腕の中から逃げて行ったかぎしっぽ。
悠斗の話をさえぎるように鳴った石谷の電話。
お母さんから届いた転校という言葉。
日菜の告白をさえぎった、悠斗――。
――今すぐに伝えたって三か月しかないのに。それなのに、春まで待って……なんて。
全部が、言わないほうがいいと。悠斗に好きだと伝えてはいけないと。そう、神さまが告げているように思えて。
日菜は手で口を押さえて、しゃくり上げながら、こくりと気持ちを飲み込んだ。
深く息を吐いて、ようやく顔をあげると、そこは九か月ですっかり見慣れたおじいちゃんの家の玄関で。
でも、見慣れた玄関のはずなのに。
日菜には、やけにくすんで見えた。
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