第21話 バカにできないんだぞ。

 秋祭りをやっていた神社とは違って、小さな神社はしん……と、していた。

 鳥居をくぐり、二体の狛犬が見守る参道を歩いて。小さなお社に置かれたお賽銭箱の前の階段に腰かけた。灯りも右手にポツンと街路灯が一つあるだけだ。


 階段に座ると、悠斗は早速、たこ焼きを食べ始めた。

 ソースとかつお節のいいにおいがあたりに広がった。においを嗅ぎつけて、かぎしっぽの黒猫もすぐに飛んできそうだ。

 くすくすと笑っていた日菜だったけど、


「どうだった、秋祭り? 屋台、何が出てた? どうせ、また黒田と清水が射的で対決したんだろ?」


 悠斗が早口でまくし立てるのを聞いて、渋い顔になった。


「その話はあと。私、悠斗くんの話が聞きたいんだけど?」


 日菜ににらまれて、悠斗はしまったと言わんばかりに首をすくめた。

 ごまかすようにたこ焼きをほおばった瞬間、


「あっつ……!」


「大丈夫!?」


 悠斗は悲鳴をあげた。そして、そのまま肩を落とした。


「ごめん。別に日菜に話したくないとかじゃないんだけど……」


 困ったように眉を八の字に下げて、悠斗はぽりぽりとえり首をかいた。


「日菜が秋祭りに言ってるあいだ、いろいろと考えてたんだ。どんな風に話そう。どこから話そう、って。でも、全然、まとまんなくて。……思ってたよりも俺、親父の話するのが苦手なのかも」


 そう言って、悠斗はくしゃりと笑った。

 いつものあっけらかんとした、悠斗らしい笑みじゃない。迷って、困って、どんな表情をしていいかわからなくて。とりあえず笑ってみた、という感じだ。


 悠斗につられて、日菜も困り顔になった。

 悠斗のことをもっと知りたいと思う。でも、悠斗が困った顔をしているのを見たいわけじゃない。


 秋祭りに行きたくない理由が日菜が心配するような――嫌われたとか、そういう理由じゃないとわかったのだ。

 今日のところは、それでいいんじゃないか。

 それ以上の話は、また今度でもいい。悠斗が話せるタイミングで、ゆっくりと――。


「ねぇ、悠斗くん……」


 そう思って、悠斗の名前を呼んだ日菜は、


「げ、お前……!」


 大きな声に目を丸くした。見上げると、悠斗は中腰になって正面をにらみつけている。悠斗の視線を追いかけて、日菜はパッと笑顔になった。


「かぎしっぽ、やっぱり来たんだ」


 日菜に近い方の狛犬の影から、ひょっこりと黒猫が顔を出していた。

 黒猫は悠斗の大声に目を丸くして固まっている。でも、日菜が人差し指を突き出すと、そろり、そろりと近付いてきた。


 ピン! と、立ったしっぽは大文字のLを逆さまにしたみたいに曲がってる。

 短く丸まっているしっぽも“かぎしっぽ”と呼ぶらしいけど、日菜と悠斗のあいだで“かぎしっぽ”と言ったら、この黒猫のことだ。


「やっぱりってなんだよ」


 かぎしっぽから目を離さずに悠斗が聞いた。


「だって、ほら。かつお節のいいにおい」


 同意するように、かぎしっぽが大きく口を開けた。

 ニャーと鳴いているつもりなのかもしれないけど、声は出ていない。


「かつお節、やるから! だから、絶対に横切るなよ!」


 一歩、また一歩と近付いてくるかぎしっぽと同じくらい、悠斗も警戒したようすだ。睨み合う二匹――じゃなかった。一匹と一人に、日菜はくすくすと笑い声をあげた。


「横切らないよね。ひざの上に来るだけだもんね。……おいで」


 日菜がひざをぽんぽんと叩いた瞬間。かぎしっぽはぎゅっと小さくなったかと思うと、駆け出して、日菜のひざに飛び乗った。

 額や背中をなでてやると、かぎしっぽはゴロゴロとのどを鳴らした。

 日菜の足やら手やらにひとしきり頭を擦り付けて満足したのか。ひざの上でおすわりすると、今度はじっと悠斗を見つめた。


「わかった。わかったから、そんな目で見るなよ。……かつお節だけだからな」


「ソースがついてなさそうなところね」


「わかってるよ」


 悠斗は慎重な手つきでかつお節をつまむと、かぎしっぽの鼻先に持って行った。日菜のひざに乗るまでの慎重さはどこにいったのやら。


「……!」


 悠斗の肩がびくりと跳ねるほどの勢いで食いついたかぎしっぽは、はぐはぐと音を立てながらかつお節を満喫している。


「全く。かつお節がほしいだけなら、真っ直ぐに来ればいいのに。今にも走り出しそうな調子で寄ってくるから、こっちも警戒するんだよ」


 黒猫が横切ると縁起が悪い――と、いう迷信を信じている悠斗にとっては大問題なのだろう。上機嫌で自分の前足をなめているかぎしっぽの背中をなでながら、日菜はくすりと笑った。

 日菜が笑うのを見て、悠斗はムッとしたように唇をとがらせた。


「バカにできないんだぞ、迷信だって。あのときだって神社に行く前に黒猫が横切って……!」


 そこまで言って、ふと言葉がとぎれた。不思議に思って日菜が顔をあげると、悠斗はぼんやりとした表情をしていた。


「そう、なんだよ。黒猫が横切ったんだ。それから、靴の紐も切れたんだよ」


 日菜でも、かぎしっぽでもなく。どこか宙を見つめて、ぽつりと呟いた。

 悠斗の頼りなげな表情に、日菜はかぎしっぽをなでる手を止めた。それに気が付いた悠斗は、ハッと日菜に顔を向けた。

 かと思うと、


「うちの親、俺が小三のときに離婚したんだよ。親父が出ていく前の日、親父と俺と。二人で秋祭りに行ったんだ」


 困り顔でぽつりとつぶやいた。


「行きに黒猫に横切られて、俺の靴の紐も切れてさ。当時は縁起だとか迷信だとか、全然、信じてなかったんだけど。そのあと、親父から明日、出てく。母さんとは離婚するって聞かされてさ。……ほれ!」


 重い空気を打ち消すように、悠斗は明るい声で言って、つまようじで刺したたこ焼きを差し出した。日菜がつまようじへ手を伸ばそうとすると、悠斗は不思議そうな顔をした。

 日菜の手を無視して、


「ほれ」


 もう一度、そう言って、日菜の唇にたこ焼きを押し付けた。

 少し迷ったあと、日菜は大人しく口を開けた。口の中に押し込まれたたこ焼きはあたたかいけど、もうやけどの心配をするほど熱くはなかった。

 最後のたこ焼きにつまようじを刺して、悠斗はパクリと口に放り込んだ。


 間接キス……なんて、いまさらだ。

 喫茶・黒猫のしっぽで夕飯を食べているときに、おかずの交換やデザートの味見も散々にしている。

 何回やっても、やっぱり日菜はドキドキするのだけど。


「かぎしっぽにもかつお節。これで最後な」


 かつお節を差し出して、かぎしっぽの食いつきの良さにまた肩をびくりとさせている悠斗を横目に、日菜は目を伏せた。

 ほほを手の甲でなでると、少しだけ熱を持っているような気がした。


「親父のやつ、いつもなら二十時はちじを過ぎたら帰らないとだめだって言い出すんだ」


 悠斗の声に、日菜はふせていた目を上げた。


「でも、その日は、時間は大丈夫なのかって聞いても大丈夫だって。まだ、帰らなくていいって。人がどんどんいなくなって、結局、秋祭りは終わりですって放送が流れて。ようやく観念したんだろうな」


 かぎしっぽの額をなでて、悠斗は苦い笑みを浮かべた。


「母さんと別れる。家を出てく。悠斗や母さんのことは今でも大好きだ。でも、大好きでもいっしょにいられないこともある……って、そう言ってた」


 かぎしっぽはかつお節に興奮して、鼻をふがふがと鳴らしている。

 悠斗になでられていることを気にも留めていないようだ。


「黒猫が横切って、靴紐が切れたあと。親父のやつ、縁起が悪いなってケラケラと笑ってたんだよ。いつも通りに。でも、すぐに笑うのをやめて、真顔になってた。そりゃあ、そうだよな。そのあと、ろくでもない話をしようとしてたんだから」


 悠斗はケラケラと笑いながら言った。悠斗の横顔を見つめて、日菜は唇を噛んだ。

 笑い事じゃない。


 だって、それから、ずっと。悠斗は黒猫に横切られまいとしてきたのだ。縁起がいいとか、悪いとか。ずっと気にしてきたのだ。

 それに、秋祭りのことだって――。


「そのときに、もう会えないのかって聞いたんだよ。そうしたら親父のやつ、そんなことない。次の秋祭りもいっしょに行こうって。なら、次の年の秋祭りに来るのかなって待ってたけど、連絡一つないんだよな。まぁ、確かに。来年じゃなくて、次って言ってたけど」


 そのお父さんとの約束を信じて、ずっと秋祭りに行かずに。いつか来る“次の秋祭り”を待っているのだから。

 悲しいとか、小さな悠斗が可哀想とかよりも、なんだか悔しくて。日菜はますます唇を噛みしめた。


「そのときに……小四の秋祭りの日に思ったんだ。ちゃんと聞いておけばよかったって」


 かぎしっぽの額をなでる悠斗の手が、ふと止まった。


「遠慮なんかしないで。言葉を飲み込んだりしないで。聞きたいことも、言いたいことも全部、正直に、素直に親父にぶつけておけばよかったって……」

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