第14話 夏休みの始まりとかぎしっぽ。

 お昼ご飯を食べると、日菜は帽子をかぶって外へと出た。

 隣のアパートに住んでいる悠斗とは、外階段の下で待ち合わせてる。


 今日から夏休みだ。

 早速、理科の自由研究をやることになったのだけど。日菜はまだ、自由研究のテーマについてよくわかっていなかったりする。


「もうテーマは決まってるんだ。絶対に日菜とやりたい研究。かぎしっぽの黒猫!」


 と、いう謎のキーワードしか聞いてない。

 聞けば悠斗は説明してくれたと思う。でも、楽しみとしてとっておくのもいいかなと、そのまま夏休みを迎えたのだ。


 目的地は近所の神社だった。

 三段の石段を上がると、すぐに小さな鳥居があって。その先に狛犬と、小さなお社が建っている。こじんまりとした神社だ。ボロくて、夜にはお化けでも出そうだ。


 石段を駆けのぼった悠斗は、


「この神社、じいちゃんとばあちゃんが知り合った神社なんだってさ」


 ふり返ると、にかっと歯を見せて笑った。


「中学生の頃。ばあちゃん、家のカギを失くしたことがあったんだって。で、探し回って。ようやく見つけたと思ったら猫がおもちゃにして遊んでたんだよ。かぎしっぽの黒猫」


「かぎしっぽの……?」


 謎のキーワードが再登場した。

 そういえば、おばあちゃんが買ってきたというコーヒーミル。あれもおしりを持ち上げて伸びをする、かぎしっぽ――しっぽが曲がっている黒猫だ。


「その黒猫は自分のおもちゃを取られたくなくて、カギをくわえて神社に逃げ込んだんだって。で、追いかけたら、じいちゃんがいて――」


「なんで、こんなとこにいたの。おじいちゃん……」


「石谷のおじさんに読書の邪魔されるから、隠れてたんだってさ」


 日菜は、ガハハ! と、大声で笑うカウンター席の石谷と。それを見て、顔をしかめるおじいちゃんを思い浮かべた。

 昔から同じような関係だったらしい。


「じいちゃんが協力してくれて、無事にかぎしっぽの黒猫をつかまえて。カギも取りかえして。それからお礼にお菓子を渡したり、学校ですれ違うとあいさつしたり、いっしょに帰るようになったり……」


 悠斗は目を細めて、ぐるりと神社を見渡した。

 昔のおじいちゃんとおばあちゃんの姿が見えているみたいに、優しい表情で、


「だから、かぎしっぽの黒猫は、ばあちゃんにとって幸運のしるしなんだってさ」


 そう言った。


「中学生のときに出会って、付き合って。仕事で遠距離になっても付き合い続けて。結婚して。いっしょにじいちゃんの夢だった喫茶店を開いて。ばあちゃんが死ぬまでいっしょにいたんだ。すごいよな」


 きらきらとした目で話す悠斗の横顔を見つめて、日菜は目を丸くした。

 おじいちゃんとおばあちゃんが同じ中学だったことは石谷から聞いていた。

 でも、遠距離恋愛をしていた頃があったことも。喫茶店がおじいちゃんの夢だったことも知らなかった。


 ――てっきり、おばあちゃんがやりたがったんだと思ってた。


 悠斗の横顔を見つめていた日菜は、ふと唇をとがらせた。


「私のおじいちゃんとおばあちゃんなんだけどな。悠斗くんの方がいろいろ知ってるの、なんか悔しい」


「……やきもち?」


 遠慮も配慮もなく尋ねる悠斗に、日菜はますますふくれた。


「そ、やきもち」


 正直に、素直に答えると、悠斗は楽し気な笑い声をあげた。


「ばあちゃんからいろんな話を聞いてるんだ。じいちゃんに告白されたときのこととか、初デートのこととか。あと、プロポーズ。これから、たくさん話して聞かせてやるから。たくさん悔しがれ」


 ますます楽し気に笑う悠斗に、日菜もつられて笑い出した。

 ちょっとのやきもちはあるけど、それ以上に、悠斗が話してくれるおじいちゃんとおばあちゃんの話が。

 悠斗が日菜に話してくれる時間が、楽しみで――。


「それで、自由研究のテーマがかぎしっぽの黒猫……っていうのは?」


 にやつきそうになるほほを手で抑えながら尋ねた。


「この神社を根城にしてる猫たちを調査するんだよ」


「……猫の調査?」


「そんで、かぎしっぽの黒猫の子孫を探す!」


 日菜がオウム返しに聞くと、悠斗はなぜか胸を張ってうなずいた。


「ばあちゃんが言ってたんだよ。そのかぎしっぽの黒猫が、次の年の春に子猫を連れてるのを見たって。その猫たちもかぎしっぽだったって。つまり、かぎしっぽは遺伝! ここを根城にしている猫の中にかぎしっぽの黒猫の子孫がいるかもしれない! と、いうわけでスマホを構えろー!」


 悠斗が大きな声で号令をかけた。


「え? お、おー!」


 悠斗のいきおいに押されて、日菜は思わず拳を振り上げていた。


「日によって来てる猫が違うかもしれないし、時間によっても違うかもしれない。長期戦になることを覚悟しておけ、日菜隊員!」


「え、あ、イエッサー……?」


 悠斗のいきおいに流されるまま、日菜はななめ掛けのカバンからスマホを取り出して構えた。


 何日も、日菜と悠斗の二人で撮ってまわったら、同じ猫を繰り返し撮ることになるんじゃないか。

 そうなったら見分けられるだろうか。

 そもそも猫の写真を撮って、どうやって自由研究としてまとめるのだろう。


 さまざまな疑問が浮かんだけど、


「うおわっ、黒猫!」


 悠斗の悲鳴にすべてが吹き飛んだ。


「どうしたの!?」


「こいつ……俺の前を横切ろうとしてる!」


 そう叫んだ悠斗は柔道の構えの姿勢を取っていた。


 何事かとのぞきこむと、白い石をしきつめた参道にいたのは黒猫だった。今まさに悠斗の前を横切ろうとしている。

 黄色い目を丸くして、悠斗の顔をじっと見つめて。一歩を踏み出そうと前足を上げた体勢のまま、固まっていた。


「動くなよ……横切るなよ……。今、まわりこむからな。ちょっと待ってろよ……」


 黒猫に横切られる前に、悠斗自身が横切ってやろうという考えなのだろうか。悠斗は黒猫をじーっと見つめて、カニ歩きを始めた。


「かぎしっぽの黒猫の子孫を探そうとしてるのに、やっぱり黒猫が横切るのはだめなんだ」


「だめだよ、縁起悪いだろ!」


 悠斗のきっぱりとした答えに苦笑いして、日菜はスマホのカメラを向けた。

 カシャ! と、音がして。切り取られたのは悠斗の妙に真剣な横顔と、目を丸くした黒猫だ。

 よく見たら、その黒猫のしっぽはかぎしっぽ。目的のかぎしっぽの黒猫……の、子孫のようだ。日菜は二度見したあと、吹き出しそうになった。

 悠斗は全然、気が付いていない。


 唇を引き結んで必死に笑い声を押し殺していると、手の中のスマホがチカチカと光った。

 見ると奈々と彩乃――東中の親友二人からのメッセージだった。


『例の人との自由研究はいかが?』


『テーマは教えてもらった?』


 立て続けにメッセージと、スタンプが送られてきた。奈々はクマ、彩乃はハムスターが首をかしげてるスタンプだ。

 奈々と彩乃も今日から夏休みだ。もしかしたら、二人一緒にいるのかもしれない。


 ちょっとのさみしさを感じながら、


『自由研究のテーマは黒猫です』


 日菜はそう送り返した。


『黒猫?』


『どういうこと?』


 二人の予想通りの反応に、日菜はくすりと笑った。

 顔を見合わせて首をかしげる二人を思い浮かべたら、ちょっとのさみしさは、少しだけやわらいだ。


 奈々と彩乃の疑問には答えないまま。


『黒猫に横切られると縁起が悪いので全力回避』


 と、いうメッセージとともに今、撮ったばかりの写真を送った。

 写真だけ見るとにらみあう悠斗と、かぎしっぽの黒猫は間合いを見極めようとする剣の達人に見えなくもない。


「あ、逃げやがった!」


 悠斗が大きな声を出した。

 あわてて顔をあげると、かぎしっぽの黒猫がくるりと悠斗に背を向けて、すたすたと去っていくところだった。ツンと澄まして歩く黒猫は、付き合いきれないよ、と言わんばかりにしっぽをぶん、ぶん……と振っていた。


 戦いを放棄されたことが悔しかったのか。無事に横切られずに済んだのに、悠斗は唇をとがらせている。


 また、手の中のスマホがチカチカと光った。


『日菜が黒猫さんと仲良くやっているようで何よりだよ』


『黒猫さんとの自由研究、がんばって!』


 どうやら奈々と彩乃の中で、悠斗は“黒猫さん”という愛称で決定したらしい。

 笑っているあいだに、


『自由研究はどう? て、いうか、白石とはどう!? 毎日、報告するようにね。毎日!』


 千尋からもメッセージが届いた。

 きらきらした目でメッセージを打っているのが簡単に思い浮かぶ。


 少し間をあけて、真央からのメッセージも届いた。


『熱中症には気をつけて。水分と塩分の補給を忘れないようにね』


 実に真央らしいメッセージだ。


「日菜、次の猫が来た!」


 目の前では悠斗が大騒ぎしてる。

 手の中のスマホには引っ切りなしにメッセージやスタンプが届く。


 目の回る忙しさに、日菜は大声で笑い出していた。

 なんだかすごく、あわただしくて、にぎやかな夏休みになりそうだ。

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