第12話 日菜と……。
クラスメイトたちがぐるりと輪を作って見つめる中。ぴりぴりとした空気が流れる悠斗と和真、大地のあいだに割って入るのは、ものすごく勇気がいる。
ごくりとつばを飲み込んで。きゅっと唇を引き結んで。
日菜は覚悟を決めると、一歩、輪の中に踏み入った。
「あの、悠斗……白石くん」
「なんだよ、日菜」
せっかく、名字で呼び直したのに。悠斗は和真に向けていた怖い顔のまま、日菜の名前を呼び捨てにした。
クラスメイトたちがざわついたのは、日菜と悠斗が下の名前で呼び合ったから……だけじゃない。
三か月前に転校してきたばかりの日菜と、本を読んでばかりの悠斗。接点もないければ、校内でしゃべっているところも見たことがないからだ。
実際、日菜と悠斗が学校で話したことはない。
学校にいるあいだ、日菜は真央と千尋といつもいっしょにいる。悠斗も悠斗で時間さえあれば本を読んでいる。
喫茶・黒猫のしっぽでいっしょに夕飯を食べることがなければ、日菜と悠斗が話すことはなかった。
日菜が転校してきてから、また転校するまで。一年間、ずっと。
――私にとっては気になる……ううん、好きな人。でも……。
日菜は悠斗の顔をじっと見つめた。悠斗は不思議そうな表情だ。
でも……悠斗にとっては。クラスメイトたちよりも少しだけ多く話す相手、くらいなものだと思う。
だから、今から日菜が言おうとしていることを聞いても、悠斗は今以上に不思議そうな顔をするだけかもしれない。あっけらかんとした表情で断るかもしれない。
それは少しさみしいけど――。
――それでも、構わない。
正直に、素直に、と。四月に悠斗が背中を押して……いや、突き飛ばしてくれたおかげで。真央と千尋との距離が縮まった。
今度は正直で、素直な言葉で、悠斗との距離を縮めたい。そう、思うから。
だから、あいまいに笑うんじゃなく。うつむくんじゃなく。
「悠斗くん。自由研究、私と組んでくれないかな」
真っ直ぐに悠斗の目を見つめて、日菜はそう言った。
「日菜と? なんで? 日菜は、橋本と清水と組むんじゃないの?」
案の定、悠斗はきょとんとした表情で日菜を見返した。
悠斗が不思議に思うのも当然だ。日菜だって、真央と千尋だって、そうするつもりでいた。三人で組むつもりでいた。
でも、その質問の答えはもう、日菜の中で出てる。
日菜ははにかんで笑うと、
「悠斗くんと組みたいなって、思ったから」
そう答えた。
日菜を見つめて、悠斗は目を丸くした。かと思うと、顔を真っ赤にして、口元を手で隠して、下を向いてしまった。
でも、悠斗の視線は床の一点を見つめていて。どう答えるか、考えているようだった。
ドキドキはするけど。でも、ちゃんと考えて。悠斗の正直で、素直な答えをくれるとわかっているから。
日菜はじっと悠斗を見つめて、答えを待った。
と、――。
「橋本、清水。どういうことだよ」
和真が真央と千尋をにらみつけた。仲間外れにしたとでも思ったのかもしれない。
「どういうことって?」
真央は動じることなく、冷ややかな目で和真を見返した。
千尋はと言えば、両手をにぎりしめて、目を輝かせて日菜を見つめている。和真の話なんて聞いちゃいない。
真央と千尋と、日菜の顔をぐるりと見まわして。どうやら仲間外れとかそういうことではないようだと察したらしい。
「木村さん、気を使わなくていいんだよ。無理に二人じゃなくても、いつもみたいに橋本と清水と三人でやればいいんだから。白石のことは男子で解決するから大丈夫」
和真は眉を八の字の形にして、日菜を見下ろした。心配性なお兄さんの顔だ。
――同い年なのになぁ。
日菜はくすりと笑って、和真に向き直った。
「平川くんは面倒見が良くて、優しくて。私が転校してきたときも、気にかけて、一番に話しかけてくれて。真央といっしょに学校の案内もしてくれた。同い年とは思えないくらいしっかりしてて……すごいなって思った」
日菜の唐突な言葉に、和真は目を丸くしたかと思うと、照れくさそうに目を伏せた。
その瞬間、ずっと大人びて見えていた和真が、やっと同い年の男の子に見えた。
一生懸命にクラス委員長の役目を果たそうとしていて。真面目すぎるくらいクラスメイトのことを気にかけてる――でも普通の、同い年の男の子。
「きっと悠斗くんのことも、心配なだけ……だったんだよね」
日菜はぽつりとつぶやいた。そう思ったら、なんだか急に、ほほがゆるんだ。
「でも、大丈夫。気を使ってるんじゃなくて、正直で、素直な気持ちを言ってる。私も、悠斗くんも。だから信じて」
きょとんとしている和真を見上げて、日菜はにっこりと笑った。笑って、
「……で。信じた上で、説教した方がいいと思う」
低い声で、そう付け加えた。
日菜の声のトーンが変わったことに気が付いたのだろう。考え込んでいた悠斗が、パッと顔をあげた。
「え、なんで? 説教されるのって、俺?」
「そうだよ!」
日菜が間髪入れずに怒ると、悠斗はあわてて首をすくめた。
大人しい日菜の大きな声に、和真も大地も、真央も千尋も、クラスメイトたちも、目を丸くした。
「何回も言ってるじゃん! 一人が好きなのはわかるけど、学校生活は集団生活なんだから、わがままばっかり言ってちゃだめだって!」
「わがまま……!?」
反論しようと大きく口を開けた悠斗だったけど、結局、ごにょごにょと言いながら目をそらした。喫茶・黒猫のしっぽで、もう散々に日菜に言い負かされているのだ。
反論するのはあきらめたらしい。
すねた顔でそっぽを向いていた悠斗は、不意に顔をあげると、
「うん、俺も日菜と組みたい」
日菜を見つめて、きっぱりと言った。
「男子とは組まないけど、女子とは組むのかよ」
大地が眉間にしわを寄せて言った。
和真も大地も、何度も声をかけて、何度も断られてきたのだ。嫌味の一つも言いたくなる。
正直、日菜にもその気持ちはよくわかった。
だというのに、だ。
悠斗はこれまたあっさりと首を横に振った。
「ううん、男子でも、女子でも組まない。日菜だから組むんだ」
悠斗の性格からして、これくらいのことは言うだろうと覚悟はしていた。つもりだった、けど――。
――正直に、素直に。はっきり言われるのって……すっごく恥ずかしい。
クラスメイトたちのキャー! と、いう歓声と。じろじろ、にやにやした視線に、日菜はうつむいて唇をかんだ。
クラスメイトたちの歓声と視線をさえぎるように、
「はい、そろそろ誰と組むか決めて、書きに来てちょうだい」
「女子は真央のとこー!」
真央と千尋が声を張り上げた。その声に日菜が顔をあげると、二人と目が合った。
真央はにこりと微笑んでいた。千尋は親指を立てて、目を輝かせていた。あとで根掘り葉掘り、聞かれそうでちょっと怖い、けど。
――ありがと。
二人の“応援”に日菜はにこりと笑って、悠斗に顔を向けた。悠斗は日菜に目配せして、和真と大地に向き直った。
「日菜は俺が言うことを信じてくれる。うそだとか、素直になれだとか。そんなこと言わない。だから、日菜となら組む」
悠斗のきっぱりとした口調に、和真と大地はパチパチとまばたきした。
クラスメイトたちの視線は真央と千尋に集まっていた。教室内はざわざわとしていて、悠斗の小さな声は日菜と、和真と大地にしか聞こえなかったはずだ。
自分たちよりも小柄な悠斗を見下ろして、大地は渋い顔で肩をすくめた。和真はため息をつくと、日菜を見て、苦笑いした。
「じゃあ、木村さん。ここに名前を書いてくれるかな」
和真が差し出したプリントとシャーペンを受け取って、日菜はあわてた。
まだ和真と大地の名前しか書かれてない。これから悠斗と、残り十四人の男子たちが名前を書かなくちゃいけないのだ。
日菜はさっと名前を書くと、
「はい、悠斗くんも」
悠斗にプリントとシャーペンを差し出した。
でも、悠斗はじっと日菜を見つめるばかりで一向に受け取ろうとしない。
「悠斗くん……!」
あとがつかえているのだ。日菜が困り顔でもう一度、差し出すと、悠斗はようやく手を伸ばした。
プリントとシャーペンを持つ日菜の右手の人差し指に、プリントの下で。それこそ猫が額をこすりつけるみたいに、こつんと指をぶつけて、
「ありがと、日菜」
悠斗はくしゃりと笑った。
名前を書いて、近くの男子にプリントを渡す悠斗の横顔は、いつもどおりのあっけらかんとした表情だ。
そんな悠斗の横顔を見つめて、
――なんで……。
日菜は悠斗がふれた右手の人差し指を、左手で握りしめてうつむいた。ほほが熱い。
それは悠斗の指に、指先がふれたからとか。それだけじゃなくて。
ありがとうと言って日菜に笑いかけたときの悠斗の表情は、他のクラスメイトたちに向けるものとも。おじいちゃんや石谷に向けるものとも、全然、違くて。
ただ、プリントとシャーペンを渡したことに対するお礼にしては目も、声も優しすぎて――。
――なんで、どうして……言うことだけじゃなくて。表情までそんなに素直なの……?
日菜自身ですら、うぬぼれなんかじゃなくて。そうなのだろうとはっきりわかるほど。
悠斗の笑顔は素直すぎるくらい素直に、日菜のことが大好きだと伝えていた。
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