after story 思い出の先に
バスの中から外を眺めている。
バスの速度に合わせ流れる景色は、懐かしい風景を次から次に遠くへと連れ去っていく。
まるで、あの頃の思い出に取り残されている私を置いていくように。
私は、ふぅっと小さなため息をついた。
毎日毎日同じ路線のバスに乗って、決まったバス停で降り、同じ道を歩いて職場へとたどり着く。
ここでも毎日同じ事の繰り返し。
タイムカードを押し、ロッカーに荷物を置いて、自分の机に座るとパソコンの電源を入る。
そして、今日の予定を確認し、出先へ向かう準備をしたら、それからやっとコーヒーを入れて一服できる。
コーヒーを飲みながら、提出された書類確認をしていると、だいたい決まってこの時間に内線が入ってくる。
課長からである。
今日の予定の確認とその打ち合わせ。
私は、折角入れたばかりのコーヒーを机の上に置くと、ふぅっと、また、ため息をついてしまう。
今日は何回ため息をついちゃうんだろう。それを考えると気が重たくなってきた。
課長のところから戻った私は、すっかり冷めてしまったコーヒーを口に運ぶと、うえっと苦虫を噛み潰したような顔になった。
それを見ていた私の斜め前に座っている、今年の春に新卒で入ってきた事務の子が笑っている。
その子にへへっとバツが悪そうな顔をした私が笑い返す。
気を取り直し、鍵掛けから車のキーを取ると名札を外出中の場所へと移動し、先程の子に行ってきますと一声掛け、職場を後にした。
相談支援専門員
主任
それが私の名前と肩書きである。
とある相談支援事業所で勤務している。
初めは、障がい者支援施設で勤務していたが、相談支援専門員の資格をとり、こちらに配属された。今では、主任を任される立場でもある。
相談支援専門員は、障がい者が自立した地域社会での生活が出来るように、ニーズを把握し、サービス等利用計画を作成する。また、福祉サービスを使いたい障がい者と、そのサービス提供事業者間で円滑に福祉サービスの利用を行なえ、総合的、効果的に福祉サービスを提供できるように調節する。その為、障がい特性等に関する知識や経験が求められる仕事でもある。
これはこれでとてもやりがいのある仕事ではある。
私が担当している障がい者の元へ行き、状況確認などを行い、アセスメントやサービス等利用計画書の作成、確認、そして、定期的なモニタリング。
一日にたくさんの事業所を回り、ほとんど自分の事業所にいないこともよくある。
そして帰ってきたら、書類作成や電話対応に追われ、一日が過ぎてゆく。
でも、私がしたかった仕事と違う。
私は障がい者の人たちと直接関わり支援をする仕事が良かった。途中で移動辞令が下りるまでは、その様な仕事だった。大変だったけど今よりも充実していたのは確かだ。
信号待ちの車の中で、最初に行く事業所で使う書類をチェックする。
サービス等利用計画に承諾のサインをもらわなければならないからだ。何度も誤字脱字や表記もれがないかのチェックは行った。それでもやっぱり気になってしまう。
チェックに夢中になっていると、信号が変わった事に気付かず後続車からびびっとホーンを鳴らされた。
書類を助手席へ置き、慌てて発進する。
「ふぅ……」
また、ため息をついてしまった。
今の仕事になって、本当にため息が増えた。何度も辞めようかと考えた事もある。しかし、ずるずると続けている。
本当にネガティブになっているなぁ……
次の信号で停まった時に、ふと窓の外を見るといつの間にか母校の高校の前に来ていた。
ここは、バスで通勤している時にいつも通る道である。
ネガティブな気持ちになっているせいか、高校時代の頃が懐かしく思えてくる。
あの頃の私は今と違い控えめで、人見知りが激しかった。好きな男の子に挨拶するのにも、顔を真っ赤にして体中が震えていた。でも、今よりも勇気があったと思う。
それも、親友である
中学、高校、学部は違うけど大学も同じだった真由とは最近は全く会えていないし、連絡も取っていない。
真由が結婚して子供が生まれてから、すこしずつ疎遠になっている。
そう言えばあの頃、思いを寄せていた彼も結婚したと聞いた。
同じ高校の同級生、私も高校一年の時に図書委員で一緒だった彼女の
高一の頃に思い切って告白して振られた彼とはその後も良い友達関係を保つことができ、私と真由と彼の三人でよく高校近くの運動公園でバスケをした。
「懐かしいなぁ……」
私は独り言ちると、信号が青に変わったのでゆっくりと進みだした。
午後四時過ぎ、私は今日の外回りが終わり事業所への帰り道、ふと運動公園の看板が目に入ってきた。
時間もあることから、少し立ち寄ってみる事にした。高校卒業前に来て以来、何年ぶりの運動公園だろう。
私は今年で二十九才になる。
三十路まで王手。という事は、十一年ぶりくらいの運動公園である。
まだ、あのバスケットコートはあるんだろうか。
交差点を左に曲がり、運動公園の駐車場へと入っていく。
平日の夕方の駐車場は停まっている車も疎らであり、苦労することなくバスケットコート近くに車を停めることができた。
車から降りると、私はぎゅっと背伸びをして、コートの方へと向かって歩いた。
コートを囲っているあの頃のフェンスは銀色ですこし錆が見られたが、今では明るいきれいな白色に変わっていた。
コート中を覗くと、中学生らしい男の子がスリーポイントシュートの練習をしている。
私は男の子の邪魔をしないように静かにコートの中に入るとぐるりと見渡した。
フェンスだけではなく、コートの中にあるベンチ、ゴール、全てが新しくなっており、思い出が少しづつ変化してしまっている事を私は寂しく感じた。
そんな私の足元に、シュート練習をしていた男の子の外したボールが転がってきた。
「ごめんなさい、ボールを取って頂けませんか?」
私は足元のボールを拾うと、両手でそのボールをぎゅっと持った。
変わらない物があった。
久しぶりに持ったボールの感触。
長い間、忘れていた感触だった。
あれだけ一生懸命打ち込んだバスケットボール。
嫌というほど触っていたバスケットボール。
私はこちらに手を振っている男の子へとボールをパスすると、山なりに弧を描くボールは男の子の胸の中に飛び込んでいった。
「ナイスパス!!ありがとうございました!!」
男の子は私に眩しすぎるくらいの笑顔を見せてくれた。
私も男の子へ手を振り返し、しばらくの間、男の子のシュート練習を眺めていた。
携帯を開き時間を見ると、午後五時前になっている。
私はそろそろ事業所に戻ろうと思い、男の子に頑張ってねと伝えると、男の子もこちらへぺこりと頭を下げてくれた。
車に戻った私は、携帯を取り出すと真由へ電話を掛けた。
なんだかとても声を聞きたくなったからだ。
数回のコールの後、懐かしい声が聞こえてきた。私はその声を聞くと泣きそうになってしまった。
「ねぇ、真由。今度、真由の家に遊びに行っても良いかな?」
「良いに決まってんじゃん。でも、突然電話してきて何かあった?」
「ううん、真由に久しぶりに会いたくなって」
私たちはしばらく会話を続けた後、電話を終了した。そしたらすぐに真由からメッセージが届いた。
『いつでもおいでよ。私たち友達じゃん』
ありがとう……
私は携帯を戻すとエンジンを掛け、事業所へと帰っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます