第39話 今日も人生は明細書

幼稚園の時からサンタクロースは信じていない冷めた子供だった。



常に大人の顔色を見ながら生きなければ父親には殴られ、母親にはガッカリされたので死ぬ気で生きた。



嫌でも頭の回転は早くなっていく。大人にどう対応すれば笑うのか、大人にどう子供らしく対応すれば良い対応がかえってくるのか【すでにこの時点で思考が子供ではない】



人からかえってくるのは、明細書のようなものだった。悲しいね♪




そうしなければ、本気で生きるか捨てられるかの幼少期だったのだ。




笑えば10点、泣けばマイナス20点、大人の言う事を聞けば80点、聞かなければマイナス90点と家から追い出される。



人生は、打算だの学歴だの勝ち負けだのほざく方がいらっしゃるが、私は明細書だと思ってきた。



自分がした事だけが、明細にかえってくる。



幼少期は、とにもかくにも悪い事【父親にとって】は全て1ヶ月分の明細書が返され、駄目な所ばかり。



良い所は、故人の祖父母と叔父が見守って伸ばしてくれた。明細書はない。かえってくるのは祖父母と叔父の温かい笑顔だ。




大人になってからは、世間や社会から明細書【本物を含め】がかえってくる。



正直、自分が恐いほど冷静にこちらは割りきれた。



なぜなら、血も繋がらない殴られもしない他人でしかないと子供の頃とは違う冷めた目で見れたからだ。



仕事でミスすれば徹夜して自分の仕事のミスの分は取り返した。人間関係も仕事は、どんなに嫌な人間がいても割りきれた。



何故なら、その嫌な人間に雇ってもらっているのではなく、私はざっくり言えば株式会社に雇ってもらいお金と明細書をもらっていたからだ。



しかし、両親、親戚、利益のない人間、母親の病院関係になると調子が悪くなる。



そこには、幼少期の明細書がすりかわって提出されるからだ。




20代、本当に辛かった負債だらけの明細書が30代までなだれ込む。



だが、最近、少しずつ他人を明細書で換算しなくなってきた。



なぜなら、叔父が50代の若さで亡くなり大好きな祖母が最期は私を忘れ、母親が癌になった。



それだけで、人生、疲れてしまったのだ。




気がつくと、人生は勝ち負けでも打算でも明細書でもない事に気がつき、他人は私が思うより暖かい。



その他人からもらった熱で、いつの間にか私は人生の明細書を燃やしだした。



灰になる。風にまう。目の前が開けてく。



今日も私は人生の明細書を燃やしていく。









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