どうも、ありがとー

まきや

第1話



「どうも、ありがとー」


 遊具で遊ぶ子どもたちの耳に、不思議な声が聞こえた。


 ここは都市計画で整備され、湾岸に作られた新しい公園。周りには何棟なんとうもの新築のタワーマンションが林立している。


 公園内で遊んでいる子どもたちは、みな近くのマンションの住人だった。


 鉄棒で見事な逆上がりを披露した佐藤さとう 海斗かいとにも、声は聞こえていた。海斗は一回転したあと、空中で体を支えたまま、声の主を探した。


 その子は簡単に見つかった。公園の入口に女の子が立っていた。小学生にしてはちょっと背が低いので、年長ぐらいに見える。それなら海斗よりは2歳ほど年下のはずだ。


 少女の髪は明るい茶。ただ陽の光の角度によっては、緑にも見える不思議な色だった。外人の子供だろうか。海斗はそんな印象に残る子を、この公園で見かけたことはなかった。


「どうも、ありがとー」


 少女はブランコの周りでおしゃべりしていた3人の女の子たちに、再び声をかけた。


「あ、ありがとうって? わたし何もしていないし」


「桃ちゃん、この子の知り合い?」


「ねえ、名前は? どこのマンションの子? 私たち、あなたのこと知らないよ」


 臆することなく、茶髪の少女は遊具の方へと歩いてきた。持っていた黒いウサギのぬいぐるみを両手で持ち上げて、にこりと笑う。


「どうも、ありがとー」


「やばいよ、この子。変じゃない?」


「ガイジンだから、言葉つうじないんだよ。でもちょっと怖くない?」


「あ、あたしピアノのレッスンあるから、帰るね」


「「私たちも!」」


 女の子たちはベンチに置いていたピンク色のカバンを背負い、そそくさと去っていった。


 海斗はその様子を見ていた。もう一度逆上がりにチャレンジするつもりだったが、取り残された女の子が気の毒で、つい・・鉄棒から手を離してしまった。


 海斗は遊具の支柱にぶら下げていたカバンを手に取った。周りを見て、園内に同級生がいないことを確認する(友だちにからかわれるのは一番嫌だから)。ようやく女の子のそばまで来た。


 茶髪の少女はうつむいて動かなかった。泣いているのかもしれない。なるべく優しい声で話しかけてみた。


「どうしたの?」


 女の子が顔をあげて、海斗をじっと見つめた。髪と同じ明るい栗色シャタンの眉毛の下に、緑の瞳が浮かんでいた。ママの宝石みたいに綺麗だと、海斗は思った。


 少女は嬉しそうに笑った。


「どうも、ありがとー」


 またこれか。しかし海斗はさっきのやりとりを見ていたので、ひるむことなく訊いた。


「あ、あの……日本の言葉、しゃべれるかな?」


 通じていないのだろう。少女は無邪気にウサギの相棒を突き出してくる。


「どうも、ありがとー」


「あのね、君の名前を教えてくれる? 僕の言うこと、わかるかな。なーまーえ。うーん、伝わらないか……そのーんー・・・・


 海斗の最後の言葉を聞いて、少女の目が輝いた。


「るぃぃず」


「るぃぃず? るぃーず……あ! 君はルイーズ?」


 海斗に名を呼ばれ、ルイーズは心から嬉しそうだった。子供らしく飛び跳ね、体で喜びを表現する。


「ルイーズ。僕の名前はね……」


「○※!! ■▲★☆!」


 興奮したルイーズの言葉は、さっぱり理解できない。海斗はもう、この子の相手をするのを諦めかけていた。


「ごめん、全然わからないってば!」


 海斗は強引にルイーズの言葉を遮った。それでも少女は無邪気に例の言葉を繰り返してくる。


「どうも、ありがとー」


「ありがとう、ありがとうって、そればっかり。もうやめてよ!」


 言葉は通じなくても、表用や仕草で感情は伝わったようだ。


 無邪気だったルイーズも、ついに何も言わなくなった。


「僕、もう帰る」


 彼は背を向けて歩き出した。後ろ髪を引かれたが、ルイーズを振り返って表情を確かめる勇気は、海斗にはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る