野盗 3
アレックスにキスされたエルザは、目をしばたかせた。
唇は離れたけれど、抱擁はさらにきつくなる。
エルザの頭は真っ白になり、何が起こっているのか理解が追い付かない。
「ライアスさま、婚約者どのはご無事でしたか?」
一人の兵が走り寄ってきた。見たことのない顔だから、アレックスの直属の部下ではないだろう。
「ああ、警備隊長。この通り無事だ」
アレックスは抱擁は解いたものの、エルザの腰を抱いたまま答えた。
「ご無事で何よりでございます。彼奴等はここのところ貴族を中心に狙う野盗で、手を焼いておりました。掃討に手をお借り出来て、非常に助かりました」
「いや。何より彼女が無事だったことが一番だ。騎士隊長としては、多少職権乱用して、管轄外に口を出してすまないと思うけれど」
「とんでもございません。こちらこそ、我らが不甲斐ないばかりに、おてまをお掛けいたしました」
警備隊長は頭を下げ、再び離れていった。
「あの」
いろいろ精一杯で何を言ったらいいのかエルザは困った。
リンの嘘をアレックスは否定をしていないらしいこと。キスをされたこと。
思考がまとまらないのは、アレックスとの距離の近さのせいだ。聞きたいことがいっぱいあるのに、心臓が激しく動いて考えがまとまらない。
「リンが、エルザを俺の婚約者だと警備兵に告げた」
「……それは、ケストナーさんに伺いました」
それだからこそ、こんなに早くアレックスが来てくれたのだ。警備兵だけだと、ここまで早く救助に来ることはなかっただろうと思う。彼らの数はそれほど多くない。乗り込んでくるまでに三日以上かかったかもしれない。
「実はちょうど上と話している時に、連絡が来てね。そのおかげで俺が隊を出すことが簡単にできた」
アレックスは口の端を少しだけあげた。
「それって」
「ああ。時間が勝負だから」
アレックスはそう言って、エルザの耳に唇を寄せた。
「だから今、エルザは俺の婚約者だってこと」
甘い声音にエルザの胸がドクンと跳ねる。
つまり。いろんな手間を省くために、リンの嘘にのったということだ。
「ごめんなさい……なんだか、ご迷惑をかけてしまって」
「迷惑じゃない。リンの機転のおかげで、エルザが無事だったのだから」
「でも」
上の人間に婚約者だと押し通したのであれば、それは単なる嘘ですまない。
もちろん婚約はあくまで約束だから『解消』したとすれば問題はないのかもしれないけれど、アレックスの評判が落ちたりするかもしれない。
もちろんエルザは名もない平民だから、それを理由に切ることは全然影響がないのかもしれないけれど。
「隊長、どさくさに紛れていちゃつくのもほどほどにしてください。独り者の奴らが怒り狂って、死者が出ますよ」
いつの間にかやってきたケストナーが渋い顔をした。
「冷たいな、ベン。
「全く」
ケストナーはわざとらしくため息をついた。
「ほぼ制圧しました。そろそろ帰投しましょう。マーティンさんもお疲れでしょうし」
「ああそうだな。ベン、エルザを頼む」
ようやくアレックスはエルザから身体を離し、騎士たちを集めにいった。
ケストナーはエルザに座って待てるように椅子を持ってきてくれた。
「あの……リンの嘘を上の方がお聞きになったって」
「ええ。婚約者と知人では扱いが全然違いますからね。騎士隊はあくまで軍隊ですから、隊長と言えども私情で動けません。隊を動かすには上司の許可がいります」
「……それはわかります」
「でも上司としても情があります。警備兵だけで処理できないから援軍を出すにしても、そういうことなら縁のある隊長を指名することはしてくれるわけですよ」
つまりはアレックスが隊を速やかに動かすためには、リンの嘘にのったほうがよかったということなのだろう。
「急な出動で、隊のみなさまにはご迷惑だったのでは」
「うちの隊の連中で、マーティンさんの危機に駆け付けない人間はいませんよ」
ケストナーはニコリと笑った。
「キラービーの討伐で、あなたの力で、みんなしこたまボーナスをもらいましたし。何よりあなたの武勇は知ってますから」
「武勇って」
「川港で、一人で人買いたちに突っ込んでいくような女性ですから」
「あれは本当にすみませんでした」
エルザは頭を下げる。
「なんにせよ、申しわけありませんが隊長の婚約者としてしばらくおふるまいを願います。ここで『嘘』とバレたら、隊長も立場上まずいことになると思いますので」
「はい……わかりました」
騎士隊のメンバーはわかっていることだけれど、たとえば警備兵たちはエルザをアレックスの婚約者だと思っている。ひょっとしたらそのことでプレッシャーを感じたりしていたかもしれない。今さら、それは嘘です、ただの知人ですと言ったら、怒りはしないにせよ、微妙な気分になるかもしれない。それに出動の許可を出した上司がそのことを知ったら、不愉快な気持ちになるのは間違いない。
──だから、キスなのね。
婚約者を救い出したら、確かにキスくらいすると思う。
アレックスの行為は、演技だったのかもしれない。
それでも。たとえそれが演技だったとしても、そのキスは甘かった。
エルザを助けるために、リンが付いた嘘。その嘘に乗ったアレックス。
ただ。
それはエルザを助けるためにやむを得ずついたものだ。
エルザより、アレックスの方がマイナス面が多い。アレックスは身分の高いもっと若い令嬢と縁談があってもおかしくない人なのだ。
──馬鹿だわ。
優しすぎるにもほどがある。そしてエルザはどこかでそれを嬉しいと感じてしまっていて、たちが悪い。
遠くで指示を出すアレックスの声を聞きながらエルザはそっとため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます