仕事2
「うわぁ、なんかすごい匂いがしますねえ」
買い物から帰ってきたリンが驚きの声を上げた。
もう日が傾いている。いつの間にそんな時間になっていたのだろう。
鍋の前に立ち続けていたエルザは、思わず肩をすくめる。
窓を開けていても、やはり店内に多少臭いがこもっているらしい。特に、長い間ゆでている鍋の湯は、バンパイアバインを煮だしたエキスが溶け込んでしまっているので、匂いはだいぶ濃くなっているのかもしれない。
「そうね。もう終わるから」
エルザは苦笑する。
ずっとここにいたエルザはすでに、匂いにマヒしてしまっていたようだ。客がこなくて良かったというべきだろうか。
もっとも、エルザの店の常連は、エルザの店では一種独特のにおいがすることに慣れっこになっている可能性もある。
錬金術では、珍しい薬剤を扱うことも多いから、バンパイアバインのかおりくらいなら、たいしたことはないと思うツワモノの常連もいるかもしれない。
ただ、いくらある程度は仕方ないこととはいえ、できるだけ近所迷惑にならないようにと、義父にも強く注意された。
街で店を経営していくには大切なことだ。客に慣れを要求するのは間違っている。とはいえ、仕事なので臭いを無くすことは無理ではあるが。
「それ、なんなのですか?」
「バンパイアバインの蔓よ」
「バンパイアバイン?」
リンは首をかしげる。
バンパイアバインは普通に生活していれば縁のない植物だ。生息しているのは、森の奥だし、食用にはならない。欲しがるのは錬金術師か魔術師くらい。高値で売れることは売れるけれど、かなり強いモンスターだから、採取するのは簡単ではない。
「えっと。森の奥にいるモンスターでしたっけ?」
「そう。よく知っているわね」
当然、ハナザ村の近辺には生息していない。
リンはひょっとしたら、そういうものに興味があるのだろうか。
「なんか怖い奴だって、吟遊詩人から聞いたことあります。英雄伝説に出てきました。それ、どうするんですか?」
「糸をつむぐの」
エルザはくすりと笑う。
「糸?」
「簡単に言うと、魔道具に魔力を巡らせるための糸ね」
魔道具は、魔術を使えない人間でも扱えるように、魔石から力を得て動くものだ。
「へえ。錬金術ってそんなものまで作るんですか?」
リンは興味深そうに鍋を見る。
普通に生活していて、魔道具を使うことはあっても、作る機会などはないだろう。
エルザとて、魔道具を一から作ることは滅多にない。今回だって、『修理』をするのだから、作るとは言えないだろう。錬金術師も得手不得手がある。エルザは、どちらかと言えば薬剤の調合の方が得意だ。
「もう火を止めるから、匂いはすぐ消えると思うから、ちょっと我慢してね」
「いえ。全然大丈夫です」
リンは慌てて首を振る。
「エルザさんの大事なお仕事なんですから、気になさらないでください」
「ありがとう。でも大丈夫。本当にもうやめるつもりだったのだから」
エルザは微笑み、かまどの火を落とした。
「それ、その後どうするのですか?」
「川の水ですすぐのよ」
「川?」
「そう」
エルザは頷く。
「本当はすぐにすすぐ方がいいのだけど、先に夕食にしましょう」
「大丈夫なのですか?」
リンは心配そうだ。
「鍋に入れたままにしておけば、大丈夫。食事の後、私は出かけるから、留守番よろしくね」
「私も一緒に行きたいです!」
リンが身を乗り出した。
「別に面白いことは何もないのよ? 川の水で洗うだけなんだから」
錬金術師の仕事の大半は、地味で派手さのないものばかりだ。
「エルザさんのお仕事って、見たことないものばかりでとても面白いです」
「そうかしら?」
バンパイアバインは確かに見たことはないかもしれないだろう。
でも、その皮を煮込んだり、洗ったりする工程は珍しいかもしれないけれど、面白いのだろうか。
ただ、社交辞令にしても、自分の仕事に興味を持ってもらえることは、エルザは嬉しい。
錬金術師はその特殊性もあって、胡散臭い目で見られることが多い。街に住み、何か不思議なものを作るせいだ。
魔術師は尊敬の念で見られることが多いのに、同じように魔力を使っていても、そんなふうには見られない。
別段、尊敬されたいわけではないが、胡散臭い目で見られるのは少し辛い。
「わかったわ。じゃあ、一緒に行きましょうか」
「はい!」
エルザ自身は、錬金術師の仕事に誇りを持っている。誰もがなれる仕事ではないが、義父がエルザを育てたように、いつか自分も誰かに引き継いでいきたい。
そのためには、興味を持ってもらえることが一番大切なのだ。リンが錬金術をやりたいと言っているわけでは無いし、誰でもやれるものとは違うけれども、エルザはリンに仕事をみせたいと思った。
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