仕事
昼食のあと、リンは再び出かけると言うので、夕飯の買い物をついでに頼んだ。ほんの少し余分に渡して、古着屋さんに行って着がえを買ってくるようにも伝える。衣類を仕立てるにはお金だけでなく、時間もかかるので、こういう時は古着屋が便利だ。それに、リンとしてもその方が負担を感じなくて済む。
リンを見送ると、エルザは、先程の作業の続きをはじめた。
バンパイアバインを束ねた固い皮を柔らかくする作業だ。
作業場の奥にあるかまどで、大鍋にたっぷりの湯を沸かしはじめた。ぐらぐらしはじめたところで、コエンの実をすりつぶした粉を入れる。
コエンの実には、繊維を柔らかくする作用があるのだ。
「もういいかな?」
鍋を長い棒でひとまぜし、エルザはバンパイアバインの皮を束ねたものを鍋に入れる。すでに部屋中が湯気だらけだ。あまりの暑さに、エルザは腕をまくる。
しばらくすると、一種独特な臭いがしはじめた。バンパイアバインの臭いだ。耐えられないほどではないが、非常に青臭い。
「あー、ひどい」
エルザは口をゆがめ、店の窓を開けた。外からの風が入ってきて、気温がすうっと下がる。臭いも幾分和らいだ。
最初から窓を開けておけばいいのだが、錬金術の品物はわりとデリケートなものが多いので、あまり窓から外気を入れたくないというのがある。この店は通りに面しているから、かなり埃がはいってくるのだ。とはいえ、このまま臭いがこもってしまっては、自分だけでなく、客が来たとき困る。
なんといっても、鍋は夕方まで煮続けないといけないのだから。
エルザは、かまどに火を絶やさぬように気を配りながら、作業を続けた。
鍋に浮いたアクをすくうのに必死になっていたエルザは、カランというドアの鈴の音で我に返った。
入ってきたのは、栗色の髪の青年だった。
常連客で、大工のラムザである。彼は、病気の母の薬をエルザの店に定期的に買いに来ているのだ。薬の調剤も錬金術師の仕事のひとつだ。
「いらっしゃい。ごめんなさい。少しだけ待ってください」
エルザは声を掛けると、火の様子を少しだけみた。薪の炎は安定しているようだ。
「お母さまの具合はいかがですか?」
「はい。それが、あまり芳しくないようなのです」
ラムザの表情は暗い。彼の母親は、胸を病んでいる。
医者にも見てもらっているようだが、なかなかよくならないようだ。
エルザが出している薬は、医者の指示で作っているものだ。だが、息を楽にするためのもので、治すという薬ではない。
それでも、その薬があるかどうかで、随分と症状は緩和するらしい。
「お医者様はなんて?」
「はい。薬はいまのままでいいから、とにかく、空気の綺麗なところに引っ越した方が良いと言われました」
「……そう」
胸を病んでいるのだから、空気は綺麗な方がいい。
帝都は、人が多くて、お世辞にも綺麗ではないかもしれない。
でも、仕事は圧倒的に帝都の方がある。胸を病んだ母親を抱えて、田舎に引っ越したとして、食べて行けるかどうかはわからない。
たとえ、ラムザが腕のいい大工だとしてもだ。
帝都にいれば、大工はほぼ常に仕事が入ってくる。
決して安くない薬を常に買い求めるのは、かなり負担であろう。
「一度、お母さまにお会いさせていただけませんか?」
エルザはため息をつく。
「たぶん、薬の量は増やせないというお医者様の見立てなのだと思いますが、他に何か症状を緩和できる方法を捜してみるのも良いかもしれません」
無論、それを捜すのは、本来医者の仕事ではある。
ただ、錬金術師の作る薬には、薬師の薬とは異なる『魔力』をこめた薬剤も存在する。体に巡る気のバランスを整えるためのものだから、根本的な治癒効果はないけれど、エルザが提案できるとしたら、それだけだ。でも、今の薬が効いていない今、他の方法は見当たらない。
「ただ、やっぱり今の薬より、どうやっても高くなってしまうし、必ず良くなるという保証もないから、一度お母さまと相談なさってください」
「はい……」
エルザはカウンターに薬の入った瓶をのせた。
「それにしても、あなたの家は、たしか帝都でもかなり郊外ですよね?」
「はい。城壁のすぐ近くですから」
ラムザは苦笑する。
「ですから、これ以上田舎にというなら、帝都を出るしかありません」
「そう……ですね」
本当に空気が綺麗になれば、症状が改善するのだろうか。
そもそも、胸を病むほど空気が悪い場所に住んでいるわけではないと思う。そう考えると為す術がないのかもしれない。
「今度、母と一緒に参ります」
ラムザがそっと頭を下げて、薬代を置く。
「お大事にしてくださいね」
エルザは薬代を受け取りながら、去っていく青年を見送る。
力になりたいとは思うが、エルザにできることはあまりにも少ない。
仕事に関係することほど、手助けが難しいのは何故なのか。
「まだまだ未熟ね」
エルザはため息をひとつついて、再び鍋に向き合った。
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