ラエルの森 1
森に入るのには、準備に多少の時間が必要なため、出立は翌日の昼となった。
アレックスの休暇は五日だという。
バンパイアバインは森の入り口から半日程度の距離に生息しているから、日程的な問題はない。
バンパイアバインが高額で取引されている理由は、距離や数というより、その強さだ。
バンパイアバインは、変幻自在に動く何本もの蔓で攻撃し、獲物をからめとって吸血する。攻撃力が高いため、倒すのにはかなり難しい。そして弱点である『火』の魔術を使うと、商品価値がなくなってしまうという厄介さがある。
「一泊二日で済めばいいけど」
エルザは背負い袋に荷物をつめる。こればかりは遭遇運がどの程度あるかなので、なんともいえない。ただ、アレックスの予定のことも考えて、五日目には、結果がどうあれ一旦街に戻る。
長期間の野営には、入用なものが多い。
ただでさえ錬金術師は荷物が多いのに、野営道具まで入れると大荷物なのだ。
ゆえに捕獲に伴う戦闘に必要な薬品などは最低限しか持てない。エルザも魔術の初歩は使えるが、そんなものはたいして役には立たないだろう。
護衛が必要な理由のひとつだ。
事前準備があまりできない状態の錬金術師は、無力。
「荷車でも引いて行きたい気分だわ」
適わないことがわかっていても、つい嘆きたくなる。エルザは、膨れ上がった大きな背負い袋を担いだ。
バンパイアバインの生息するラエルの森は、道が悪い。しかもかなり強いモンスターが多く生息するため、一部の冒険者たちしか入らない森だ。そんな森だから、馬も荷車も無理で荷物は担いでいくしかないのだ。
「仕方ないわね」
エルザは辻馬車を拾い、待ち合わせ場所である森の入り口へむかった。
待ち合わせは、ラエルの森の入り口そばの小さな神殿だ。神官もいないその神殿は、周辺の農民たちからの信仰の場所で、神殿前の広場は子供たちの遊び場になっている。
「エルザ!」
辻馬車をおりると、神殿の門の前に立っていたアレックスが手を挙げた。
今日のアレックスは皮の鎧で、この前よりは軽装だ。森を歩くのに、重装備はさすがに無理ということなのだろう。
「随分、荷物が多いなあ」
アレックスはエルザの背負い袋を見て、目を丸くした。
「これでも、減らしたんですけれど」
エルザは肩をすくめる。
「錬金術師は荷物が多いんです」
「まあ、俺も結構多いけどな」
アレックスは微笑して、自分も背負い袋を背負う。エルザほどではないが、それなりに荷物が多い。
「冒険者時代は、もっと少なかったけどな」
「そうなんですか?」
荷物が少なくて済んだということは、どういうことなのか。
森へと歩き始めながら、エルザは首をかしげる。
「昔は、食料は現地調達とか無茶してたから」
アレックスが苦笑いをした。
「現地調達?」
「そ。だから、結構、飢えてた。木の芽かじったりとかもしたな。なんにしろ、目的外の食料調達に時間かけたりとか、とにかく無駄が多かったな。まあ、金がなかったから仕方ないが」
森の入り口近くになってくると、道は細くなり、雑草が目立ち始めた。この辺りから既に人通りが少なくなっているのだろう。
「ドラゴンスレイヤーのあなたが?」
「その称号はやめろ。ドラゴンたって、ピンキリだからな」
ふぅと、アレックスはため息をついた。
「まあ、だからこそ、流れ者の俺が、騎士になれたんだけども」
「すっかり、遠いひとになりました」
くすくすとエルザは笑う。
エルザと知り合った頃のアレックスは、売り出し中の冒険者だった。
かなり無茶をしていたのも知っている。
それが今では、騎士隊の隊長。爵位も持っているはずだ。
「遠くないだろ? こんなに側にいるんだから」
アレックスは肩をすくめた。
「それは、そうですが」
エルザは苦笑する。騎士になってからも、アレックスはエルザの店に足繁く通っている常連で、疎遠になったわけではない。
「そろそろ、森に入る。俺が先に行くからな」
「お願いします」
アレックスの後ろについて、エルザは細い森の道を歩いていく。木々が生い茂りはじめると、まだ日が高いにもかかわらず、辺りが暗くなった。
どこかで鳥の声がしているが、あたりは木と草の他には何もみえない。
バンパイアバインが生息しているのは、もっと先にある、湿地帯の周辺だ。植物としては異例に『移動』することで有名ではあるが、大きな移動能力を持っているわけではないから、この辺りに出現することはない。
アレックスの歩調は、おそらくエルザに合わせているらしく、ゆっくりだ。
エルザの経験から考えると、依頼主の歩調に合わせて歩ける護衛は、かなり優秀である。強くても、どんどん先にいってしまう護衛もいるのだ。
そして、脇に生えている草や枝をさりげなく払ってくれるので、すごく歩きやすい。
ーー本当に、優秀なんだ。
エルザはしみじみと思う。ドラゴンを倒すという強さだけではなく、周囲への気配りもできるからこそ、騎士隊長になることが出来たのだろう。
日が傾きかけたころ、二人は小さな川のそばに出た。
アレックスは足を止め、辺りを見回す。
「今日はここで野営だな」
「川は越えないんですか?」
川といっても、かなり浅いし、頑張れば飛び越せそうなくらいの幅だ。日が傾きかけているとはいえ、まだ日没には間がある。
「川の向こうは、湿地が多い」
「なるほど」
湿地が多いということは、野営の場所を探すのもたいへんになるということだ。
「あと、こっち側のが焚火がしやすいしな」
「そうですね」
エルザは頷く。野営では、やはり火を使いたいが、さすがに焚き木は持ってきておらず、現地調達になる。川の向こうにも木々はみえるが、湿地が多いとなると乾いた枯れ枝を捜すのも難しいだろう。
「じゃあ、俺は焚き木を拾ってくるから、エルザは野営の用意をしてて」
「はい」
エルザは頷く。
川のそばは少しだけ空が開けている。
朱金に染まり始めた光の中で、エルザは野営の準備を始めた。
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