今さら「恋愛」とか、もう面倒。錬金術師は、仕事一筋
秋月忍
発端
錬金術師というのは、一般的に思われているより、ずっと地味な仕事だ。
派手な実験を行うことなどほぼなくて、魔力がない人間が魔道具を使えるようにする魔石を調合したり、薬を作ったりするのが主な仕事。あと、魔道具の修理なども受ける。
エルザ・マーティンは、にぎやかな街の一角に小さな店を構えている錬金術師だ。
二十歳で亡き養父の後を継いで、十五年。時には冒険者のように山に入り、調剤する材料を集めることも多いので女性としては筋肉質だ。こげ茶色の髪はいつも短く切りそろえているため、遠目では男と間違えられることもある。
それなりに整った顔立ちではあるが、愛想笑いが苦手なせいで、きつく見られることが多い。そのせいで、最初は顧客になかなか信用してもらえなかったりもしたが、今ではエルザの腕を信用して遠くからやってくる者もいる。
「いらっしゃいませ」
カランと扉につけていた鈴が音を立て、エルザは作業机から顔を上げた。
「よう、エルザ」
入ってきたのは、エルザが継ぐ前からこの店に通っているアレックスという男だ。
長身で、鍛え上げた体をしている。黒い髪で、黒い瞳。甘めだった端整な顔は、いつの間にか渋みが出てきた。年齢はエルザより二つ上の三十七歳。もともとは、いわゆる冒険者だったのだが、魔物退治で名をあげて騎士になった。
人懐っこい性格で、エルザの養父に気に入られていた。養父が亡くなって、途方に暮れていたエルザの相談に乗ってくれた、恩人でもある。
この店の常連客の中では、一番の出世株だ。
「キラービーの巣の撤去に行くんだが、必要なものをくれ」
「キラービー?」
エルザは目を見開いた。
キラービーは、巨大な蜂だ。大きさはリスくらい。人を殺せる毒針を持っている。通常は森の奥に生息しているのだが、まれに民家に巣を作ったりすることがある。巣に近づくモノに対して、攻撃を仕掛ける特性があって、非常に危険だ。
「騎士隊に話が行くってことは、相当に巣が大きいのですか?」
キラービーは危険だが、その巣は非常に高く売れるため、冒険者にはおいしい仕事だ。騎士隊が動くことは滅多にない。もっとも、初心者が簡単にできるような仕事ではなく、場合によっては死者が出る仕事でもあるのだが。
「まあな。放棄された郊外の神殿の中に巣食っててな。まあ、とにかくデカイし、数が多い」
誰も立ち入ることがなかった場所だから、何年も前から住み着いていたらしい。キラービーは一つの巣を拠点にどんどん周りに行動範囲を広げていく。森ではないから天敵もおらず、数は増える一方だ。廃屋だからと放置しておくわけにはいかなくなったということだ。
「一応、城の魔術師も一緒に行くんだが、実戦経験の少ない素人でなあ」
アレックスは首を振った。
「だから、あなたと一緒なのではないですか?」
「まあ、そうだな」
エルザの言葉に気を良くしたらしく、アレックスはにやりと笑う。単純ではあるが、実際にそうなのだろうなとエルザは思う。冒険者上がりのアレックスは、その手の討伐は得意だろう。
エルザは、薬棚から瓶を取り出した。軟膏や飲み薬、その薬によって瓶の形が違う。全て、エルザが調合したものだ。
「まず、虫よけクリームに、傷薬、万が一の時の解毒薬です」
エルザは丁寧にカウンターの上に瓶を並べていった。
「それから……眠りの煙ですが」
眠りの煙というのは、薬剤と薬剤を混ぜ、睡眠を促す煙をその場で発生させるものだ。
キラービー対策には欠かせない薬剤ではある。
エルザはペンを手に取ってメモの用意をした。
「どれくらいの巣の大きさなのでしょうか?」
薬剤の必要量は、巣の大きさで変わる。かなり慎重な扱いが必要なものであるから、適量でないといけないのだ。
「たぶん、この家くらいあるな」
アレックスは顎に手を当てて答える。真顔だ。
「え?」
エルザは目を丸くする。
通常のキラービーの巣は大きくても馬車の大きさくらいだ。広くはないが、この家となると、通常サイズより数倍大きいことになる。
「それは一番大きいやつな。正確には一個の巣だけじゃなく、建物の中のあちこちにあるけど」
「盛ってませんか?」
エルザは、確認する。嘘をついているとは思えないが、本当とは思えない。
「盛ってると言いたいんだけどなあ。そうじゃなきゃ、騎士隊の仕事にはならん」
アレックスは大きくため息をついた。
それはそうかもしれない。だがそうなると話は簡単ではなくなる。
「そんなに大きいとなると、眠りの煙はお渡しできません」
エルザは大きく首を振った。
「どうして?」
「量が多くなると、素人には扱えないからです。本当にそんなに大きな巣があるとするなら、建物ごと魔法で吹っ飛ばす方がかえって安全だと思いますよ」
眠りの煙を使って、巣の蜂を眠らせ、周辺に残った蜂を倒すのが定石ではある。だが、眠りの煙を発生させる薬剤は、それなりに扱いが難しい。下手すると、それこそ爆発しかねない。
「確かに吹っ飛ばす方が楽だろうけどな。放棄されているとはいえ、元神殿だ。滅多なことは出来ん」
「放棄されている建物に、神はもういないと思いますけれど」
「俺もそう思うけどな」
アレックスが肩をすくめる。
「どうしてもというのなら、錬金術師がその場で調合しないと難しいかと」
エルザは苦言を呈する。簡単なように見えても、薬剤を効果的に調合するのは、知識と経験が必要なのだ。
「わかるけど、なんとかならないか? 錬金術師なんて簡単に見つからないから」
アレックスはすがるように手を合わせる。
他を当たる気はあまりないらしい。事態をあまり深刻に考えてないのかもしれないけれど。確かに錬金術師はそれほど多くはいない。それにこの量の薬剤を平気で出すような錬金術師は、まずいないだろう。いたとしても、そんな錬金術師は信用できない。
エルザは大きく息を吸った。
「私が行きましょうか?」
「は?」
アレックスはポカンと口を開いた。
エルザが言った言葉を理解できなかったらしい。
「ですから、私がそこに行って、薬を調合いたしましょうか?」
「え?」
ようやく意味を理解したアレックスは、ぶんぶんと首を振った。
「ダメだ。それは無理だ。キラービーは危険なんだぞ? そんなところに素人を連れて行けるかよ」
「では眠りの煙は他でご調達ください。その建物全体に効くほどの薬剤をお売りすることはできませんから」
エルザはきっぱりと言い放つ。自分の売ったもので、事故が起こっては信用問題になる。危ないとわかっていて、売ることは出来ない。
無論アレックスも、そのことは理解しているだろう。
「しかし、眠りの煙を使ったとて、キラービーとの戦闘は必ずある。薬を調合するとなると、絶対に巻き込まれるぞ」
アレックスの言葉は苦い。
「戦闘には参加いたしませんが、別に自分の身くらいは守れますので、ご安心を」
エルザは断言する。
突然不意をつかれればなすすべもないが、あらかじめ準備していくのであれば、防御することはいくらでも可能だ。
「わかったよ。頼むしかないか」
アレックスは諦めたように、ため息をついた。
「もちろん、報酬はいただきますけど」
「わかっている。全く。度胸のある女だな」
念を押すエルザに、アレックスは苦笑を浮かべる。
「度胸だけで生きておりますから」
エルザは頷いて、丁寧に頭を下げた。
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