どうぶつ拳法

金澤流都

プロローグ 目覚める力と師匠の影(上)

 俺一人、どうぶつの力に目覚められないでいる。仲間たちはみな、それぞれねこねこ拳法だとかいぬいぬ拳法だとかハムハム拳法だとかに目覚めて、技を極めようと頑張っている。


 俺一人。どうしても俺一人。どうぶつの力に目覚められない。


 人類は大昔疫病で滅びかけたときに、自らにどうぶつの力を宿すことで生き延びた。その末裔が俺たちだ。だから俺が動物の力に目覚められない道理はないはずなのだ。


 マリーやハチやナッツが帰った後、道場の掃除をして、すみっこでしょぼくれていると、シズカ師匠が眠そうな顔で現れた。シズカ師匠は道場だけでは食べていけないので、夜は酒場を切り盛りしている。酒場の名前は「十斗」といういかにも飲兵衛らしい景気のいい名前だが、ハッキリ言って場末の小さな酒場だ。師匠は俺の顔をしばらく眺めて、

「ハチたちは?」と訊ねてきた。


「知りませんよ。俺に掃除を押し付けて帰りました」


「ほーん。よししゃーない、師匠が飯奢ったろう。なに食いたい?」


「つまらん見栄張らんでください。師匠だって食べてくのカツカツなんでしょうに」


「バカだねーレイジは。材料買って料理して食うより買って食ったほうが安上がりじゃい」


 そんな塩梅で師匠は俺を引っ張って屋台村に向かった。この道場のある街、イツキシティは、地方の少々賑やかな街、といった風情のところだ。濃いめの緑に彩られ、地面には色とりどりのタイルが敷かれている。美しい景観だが、人口はさほど多くない。大昔人類が疫病で滅びかけたときから、ずっとこうなのだそうだ。


 師匠行きつけの屋台のスツールに座る。師匠はなに食いたい? と聞いたくせに俺の意見を聞かずに、「ハイギョラーメンふたつ」と注文した。屋台のおやじさんは「アイヨッ」と答えて、手際よくハイギョを分解して炒め、ラーメンにでんでんと載せて出してきた。


「これがうまいんだわ」師匠は実に呑気にハイギョラーメンをすすっている。俺としてはもっとあっさりした食べ物が好きなのだが。とにかくラーメンをすする。脂っこくて泥臭い。


「力にはまだ目覚められないか?」

 師匠は俺にそう訊ねてきた。


「きっと無理なんですよ。俺には拳法として力を用いるほどの能力がないんです」


「……そんなことはないと思うけどねえ。レイジ、あんたは能力が未知数すぎんだよ。いったいどんなものすごい力に目覚めるか、あたしゃ楽しみで仕方がない」


 そんなこと言われてもなあ。


 ハイギョラーメンをすすり終え、師匠は六角形のゼム硬貨を何枚かテーブルの上において、

「ごっそさんでした。そいじゃね」

 と、屋台を後にした。


「よしレイジ、店の開店準備を手伝え」


「なんでです」理不尽なのでそういうと、「ハイギョラーメン奢ったろ?」と言われた。


 納得いかないが、師匠の経営する場末の酒場「十斗」の掃除を手伝う。酒場は煙草の吸い殻やら空になった酒瓶やらでひどくとっちらかっている。それをせっせと片付けて、俺は師匠の顔をちらっと見る。


 この性格でなければ、文句なしの美人なのだが。


「どうした? あたしの顔になんかついてんのか?」


「いえなにも。しかしひどい散らかり方ですね」


「昨日もバカな弟弟子とその一党が押しかけてきてね……さんざん散らかして暴れて帰ってった。道場の場所は教えてないからそっちに押しかけてくるこたぁないと思うんだが」


「バカな弟弟子ですか」


「そう。ウォンバット拳法の使い手でね、それなりに強いんだけど、性格が徹底的にねじくれてんだわ。そんであたしを好きだって言うんだから洒落にならん」


 ビックリした。こんなポンコツの師匠を好きになるひといるのか。それを素直に言うとグーで殴られてしまった。またしても納得がいかない。


「あたしゃよく分からんがね、弟弟子からすると素敵な姉弟子らしいよ。姉弟子は素敵というのは大昔から決まってんだ。同じ道に励む姉弟子に惚れないやつなんかいないのさ」


「はあ」俺だってよく分かんないよ。師匠は煙管でふかしながら言う。


「あんたも、なんかのきっかけがあれば力に目覚めるはずだ。そうすれば、マリーやハチやナッツとは全然違う、ものすごい力に目覚めるのだとあたしは考える」


「大器晩成というやつですか」


「そうだ。実際、あたしの弟子で一番にどうぶつの力に覚醒したのはナッツだったけど、結局それはまだ極め方が浅い。あんたもわかるだろ?あの『ハムハム拳法奥義ローリング・エクスプレス』の、退屈な戦い方」


 ハムハム拳法奥義ローリング・エクスプレス。弟弟子のナッツが、入門三日目に会得した力だ。高速で回転し、相手を蹴散らす……ただそれだけの技。


「あんたにはすごい可能性が眠ってる。だから鍛錬を怠るな。いつ技が現れても、技の力に振り回されないように」


 師匠のお墨付きをもらい、酒場の掃除を終えて帰途につこうと酒場のドアを開ける。どん、と、だれかにぶつかった。


「おうどこに目つけてんだ」

 いきなりおっかない口調でそう言われた。しばし口ごもり、

「申し訳ありません」と答える。相手は大男で、体にびっしりと刺青をしている。顔すら、刺青に覆われている。ハッキリ言って異様な風体だ。


「気を付けろよガキ」大男はそう言い、まだ開店準備中でお通しの用意すらできていない師匠の店に入っていった。


 なんだか猛烈に嫌な予感がして、俺は忘れるために急ぎ足で家に帰った。


 この街にはいくつか大きな木が生えていて、人びとはその木の枝の上で暮らしている。俺は師匠に入門するべくこの街に流れてきた人間だ。当然一人暮らしである。


 ――木の葉が、異様においしそうに見えた。ハイギョラーメンが脂臭かったからだと思う。


 夕方おそくになっても空腹になることはなく、俺は違和感を覚えつつもさっさと寝てしまうことにした。なんだか猛烈に眠かったのだ。


 次の日も道場に向かった。自分がすごくノロノロになった気がする。世界の時間の流れ方が、異様に早く感じるのだ。そして寒い。この亜熱帯の街にいながら、なぜかすごく寒い。


 道場にはきょうも一番乗りで到着した。道場の前の、日向のところに座って、ぼーっと陽に当たる。体が次第に温まってきた。


「……どうした、レイジ?」と、ハチに声をかけられた。


「あ、ああ……おはようハチ」挨拶をする。ハチは色素の薄い目であたりを見渡すと、

「不穏な『匂い』がするな」と呟き、道場に入っていった。


「おはようレイジ。なにやってるの?」今度はマリーが現れた。透き通るような銀髪をポニーテールにして、大きなリボンをつけているその姿は、どうぶつ拳法の使い手というよりおしゃれな雑誌のモデルかなにかのように見える。


「いや……なんか寒いから、陽に当たろうと思って」


「ふーん。きょうはそんなに寒くないわよ?」そう言ってマリーは道場に入っていった。


 陽に当たっているうちに、体がぽかぽかと温まってきた。そろそろ入るか。そう思って立ち上がろうとすると、ナッツが現れて、


「ようレイジ。きょうものんびりか?」とからかってきた。ナッツは技の極め方が浅いと師匠は言うが、しかし一番に力に目覚め奥義まで極めたのだから間違いなくナッツがこの道場最強だ。それは覆しようのない事実である。


「おーう。のんびりはいいぞー」

 俺の口調までのんびりしてくる。なんなんだホントに。門下生が全員集まったところで道場に入る。みな道着に着替えて、正拳突きの練習をしている。俺もそれに加わる。


 珍しく早い時間に師匠が現れた。


 ……師匠は、顔を怪我していた。世界中に名の轟く師匠が、こうして怪我をして現れるというのは、ただごとでないのだと感じる。


「よーし。みんな揃ったな。きょうは、基本の形からおさらいしようか」


「えーっ俺らもう力に目覚めてるっすよ師匠。基本のおさらいはレイジだけ!」

 ハチがそう言って笑う。だれも師匠の怪我を心配しない。なんだか逆に不安だ。


「あの、師匠。その怪我は」

 俺が心配すると師匠はあっけらかんと笑った。


「あー、きのううちの酒場で暴れたバカがいてね、そいつを止めようとしたら殴られた。あたしのハシビロ拳法は実戦向きじゃないからね」


 師匠はハシビロコウの力の使い手である。じっと静かに立ち、相手の隙をついて立ち回る。師匠の演武の美しいことにはとにかく驚くが、しかしそれは実戦向きではない。


 基本の形の練習をし、俺は体に奇妙な違和感を覚えていた。体が柔らかいのだ。いままでとは明らかに違う。動きは遅くなった気がするが、しかし体がよくしなり、正拳突きの威力ははっきりとわかるほど上がっている。


 なにか、明確に、昨日と違う。いや、昨日から一続きで、なにかが違うのだ。


 まるで蓄積された力が溢れたような、そんな感じ。


「よーし。正拳突きそんだけやりゃOKだ。少し休もうか」

 師匠にみな「ハイ!」と答える。師匠がどこからかハイギョの骨せんべいを出してきたそのとき、道場の戸が乱暴に開いた。


「よーうシズカ。こんなちっちぇー道場やってんのか。あの酒場もなかなか小さいが……。まるでガキみたいな連中に拳法教えて食ってくより、俺の女になれよ」


 きのうの、刺青の男だった。


「トバ……!」師匠は美しい顔を、ぎらりと攻撃的な表情にした。


「師匠、だれですこの男。良からぬことを考えている『匂い』がします」


 ハチがそう言って鼻をすんすんする。師匠はメタリックな色合いの瞳を輝かせて、

「こいつはあたしの弟弟子のトバだ。ウォンバット拳法を使う。並大抵の相手じゃない、お前たちは下がっていなさい」と俺たちに言った。


「おうおう、演武しかできないシズカちゃんが、ずいぶんと師匠面してるもんだな?」


「あんたには、『形』の力、見せてやんよ」


 師匠がそう啖呵を切ったとき、道場にぞろぞろひとが入ってきた。一人は赤い髪をもじゃもじゃと、藻くずのように伸ばした男。もう一人は覆面で、腰に目立つベルトを巻いている男。もう一人は妙に首の長い男だ。


「俺は一人じゃないんでなあ……?」トバは、そう言ってにちゃあと笑った。


「お前ら……! ツボに、ホンゴーに、アケチ……! あたしになんの恨みがあるんだ!」


「あんたはずっと御師様にかわいがられて、蝶よ花よと育てられたから、俺らの気持ちなんかわかりゃしないだろうな」と、ツボと呼ばれた赤髪の男。


「イーッ!」と、ホンゴーと呼ばれた覆面ベルト。


「わしはトバ殿と組むことに決めたのじゃ。シズカよ、御師様をとられたあの恨み、取り返させてもらうぞ」首の長い男、アケチが、感情の起伏の激しそうな口調でそう言う。


「師匠、めちゃめちゃ恨まれてるんですね」俺がそう言うとマリーが、

「あのねえレイジ、あんたのんきすぎるわよ。いま大ピンチよ? わかってる?」

 と、口をとがらせてそう言ってきた。そんなこと言われても。


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