第28話 国道

「トラックが来なくても、大きい自家用はね、

避けてあげないと。下手だから、だいたい。」

と、木滑はにこにこしながら。



この木滑も、所長だった岩市のイジメで

一時的に、西営業所に転勤していた。


労働組合の委員長なので、岩市に

嫌われたのかもしれない。



それに、正義の人。だから

それで嫌われたのもある。




ドライバーが好きで、運転手の仕事を選んだのに



指令補佐をさせられて苦労。



どうしても、と転勤を願ったが



西営業所は隣町なので



ずっと、オートバイで通っていたと

言う、好き者。




その頃、愛紗も話を聞いていたけれども



近所の、別のバス会社に転職を試みたが


ベテランドライバーであっても

組合、と聞くと


どこの会社も逃げた。



そんなものだし、業界の仁義のような

ものもある。


他のバス会社で育てたドライバーを

同業の近隣で使うのは



引き抜き、を意味し



相互乗り入れをする、どこの会社も


それは敬遠するところ。



「たまちゃんはさぁ、山海バスに採用されたんだよね、前」と。木滑。




愛紗は、それは知らなかった。




「得だよねー。やっぱり。組合なんて

するんじゃなかったな」と、木滑。


頼まれて仕方なくしていたのだけど。



そう言いながら、バスは快調に踏切を渡る。



曲がるのも、どうと言う事はない。


大型なら別だが、中型、7m車は

法規上は、大型に当たるが



業界の慣習で、以前からそう呼ばれている。




「日生さんは、なんでー。ドライバーなんてさぁ。ガイドの方が可愛いのに」と、にこにこ

言われると、愛紗も悪い気はしない。


話し方、なのかな。




「なんとなく」と、愛紗は

気楽に答えた。



バスは、Y字の交差点で海岸沿いの

県道、元は国道だったが

今は、営業所の近くの3レーンバイパスに

変わった、以前の国道に差し掛かる。


その信号の右手に、老犬が居て

時々、車が通ると、表に出てきて

のーんびり、しっぽを振ってたっけ。

なんて、思って



少し、覗いてみると


小屋に、なんとなく居ないように見えて。



それきり、見るのを止めた。




悲しい事は知りたくない。



現実は見なくてもいい事もある。


そんな、愛紗だったから



もしかして、犬の小屋に

お花がそなえてあったりしたら

それだけで、落ち込んでしまう。



そんな私は、バスドライバーなんて

向いてないのかな。



そう思うと、止めた方がいいのかな。なんて

思ったりもした。



バスは動き出す。



交差点を、信号を見落とした

おばあちゃんが、のんびりと渡る。



木滑は、勿論出ない。


後ろの車が、激しくクラクションを鳴らすが

木滑は、知らん顔。

窓から白い手袋を出す。


後ろのドライバーには、歩行者が見えない。



クラクションを鳴らしながら、バスと追い越して

飛び出そうとした。


おばあちゃんは、バスの前を渡り切るところ。


木滑は、バスのクラクションを軽く鳴らし

おばあちゃんに気付かせる。


おばあちゃんは、立ち止まる。



瞬間、ものすごい速度で

後ろの車が横断歩道を超えた。



もし、木滑の機転が無かったら。


それを想像すると、愛紗は脚が震えた。



俯いて。



「ああ、良かった」と、木滑はバスを

スタートさせようとすると、もう赤信号だった。「ねえ、日生さん、あれ?どうしたの?」と


木滑は、愛紗の異変に気づく。



「怖い」震える声で愛紗は答えた。


鉄の塊のバスが、人を轢く所を想像して。



自分で動かすのは、とっても無理。




そんな風に思えて。





木滑は、優しい男だから

無理強いはしない。



東子駅、途中経過のそこで少し休憩。


エンジンを止めた。




組合の委員長をするくらいの男である。


物の解る人。




「ねえ、日生さん。無理にドライバーしなくてもいいと思うよ。会社はそんなに困ってる

って訳でもないし」と


少し落ち着いた愛紗に。やさしく。


バスを止めて、無人駅のここで

自動販売機のレモネードと買ってきて、

愛紗に差し出した。

バスを降り、松林の中の

ベンチに腰掛ける。



風が、吹き抜けて心地好い。



愛紗の髪とさらりと遊んで、すり抜けていく。



ローカル鉄道、国鉄電車が


オレンジとグリーン。


モーターの音を残して、走り去った。



「はい。私には無理かもしれません」




と、愛紗。



「まあ。若い女の子には無理かもなぁ。日生さん、優しいから」と、木滑も優しい。



木滑はいい人なので、大岡山の

バスガイドのひとりが、どういった理由か

知らないが、会社を辞めて

独身の木滑の家に転がり込んで来た。


あの、高台団地だから、結構高級住宅地である。



既に、誰かの子供を身篭っていた。



木滑は、それを知っていて同居を続け。


彼女は出産。



おそらく、相手は大岡山の観光ドライバーだろう、



それを気にするでもなく「すっと居ていいよ」と、父親代わりをしている。


世間の目を気にするでもなく。



そういう、ちょっと深町に

似ている所が


愛紗を安心させる所かもしれない。



「まあ、少しね、時間を置いて。

今日はもう止めようよ。夕方だし」


研修中は、7時間居ればいいので

4時で終わっていいのだ。


まだ3時間前だが、営業所に

戻って格納、点呼をすれば


そのくらいになる。



「帰ろうね」と、木滑の優しい声に

愛紗は、力無く頷いた。

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