第19話 trouble mind

「難しく考えなくていい。バスは動くから、先に何かあれば当たる。

ない事を確認して動かす。それだけだ。繰り返しで飽きるから

怠ると事故になる。」と、森は笑った。


考えているふうな、愛紗を見てそう言う。


「まあ、君みたいな優しい女の子には向かないと思うけどね。

ある程度割り切りが出来ないと混乱する。安全以外は無視。

そのくらいでないと。」と、森。



愛紗は、回想する。


そういえば、無線で先を行くバスの新人ドライバーを

「先行け、速度だせ」と言う悪い人も居た。


そういう人は、大抵事故を起こしたりして首になるのだけど。

奇妙な事と愛紗は思っていた。


なるべくして起こる事故なのかもしれない。


自分も運転しているのに、前を見ず

新人いじめをするのは、安全を怠っているので

そこで事故が起こる事も、森の理論ではありそうだ。



道は、よく田舎にあるなんでも屋さんの横を通る。


高坂下、停留所


お店の前は畑だったのだろうけど、バイパス道路が出来るのか

アスファルトで舗装された道みたいになっている。



森は「この先に古墳があってね。そこを壊したくないからって

道路は途中で止まってるんだな。」


その道が出来ると、バスはこんな狭い道を通らなくてもいいのだそうだ。


道は狭くなり、バスが通ると

軽自動車なら交差できるかな、くらい。



少し先で、鉄道の高架にあたり、そこを右折。

カーブミラーが大きく。



森は、そのカーブミラーを見ていて

車の影がない事を確認してから走る。


「まあ、大型でなければ代われるが。

ダンプもトラックも通るんだ。違反なんだが」と

森は笑う。


大型貨物は通れないと標識にあっても

通る人もいるから


争っていても疲れるだけなので

やりすごす。そういう度量も必要。


ダイヤ、安全を守るには

自分の正義感よりも優先することも時には必要。



「まあ、猛烈なスピードで入ってこられたらアウトだから

気休めだな。ああいう車を作るメーカーが悪い」と、森は言った。


スピードを出さないと面白くない車だから、出したくなる。

そういうものは、昔は運輸省が認可しなかったものだったが

今は役人も考えが足りない。



森は、ヘッドライトを点けて。


「これも、気休めだけど、ハイビームにすると

逆らいたくなるからね、対向車が。

どけ、といわれてると勘違いするから

ロービーム。光ってるのが判ればいいんだ。」


でも、田舎なので地元の人は大抵譲ってくれる。

そうでないのは、都会からの流れ者か観光客。


バスを比較的素早く加速させ、交差点をさっ、と曲がる森。


車がいないのを確認して。



そこから50m程度で、大経寺バス停。

その先が怖いところで、高架のコンクリート柱の間を

バスで抜けながら左折するのだが

その先が狭いので、車が来たらアウト。



「カーブミラーがここは大きいが、停留所がある。乗降があったら

発進と同時にゆっくり右に切って、路肩まで進む。前に出てれば

後輪の後ろは当たらない。」と、森はやってみせた。


なんて事はないように見えるが、2速でゆっくり右に進みながら対向車線に出て

後輪が入れるまでバスを前に出して、曲がらないと

長いから、コンクリート柱の間に挟まってしまう。



「県外の観光バスが、間違って嵌ってしまった事がある。

ヘタなんだな。12mでも回れる。」と森は言った。



愛紗は窓から見てみたが、12m車で回れるとも思えない。



「ああ、三菱の中型ね、6266あたりはホイールベースが

大型と同じだから、あれで練習すればいい。あれで通れれば

後は、前が通れる隙間を空ければ通れる」と、森。




先の先のこと、と愛紗は思った。



こんな狭い道を通る事が出来るだろうか。なんて思う。



高架下を抜け、狭い道が100mくらい。向こうは国道への道だが

カーブで対向車は見えず。


「ここも、居なければ進んでいくのだけど、交差している路地から人や自転車が

時々出てくる。けど、地元の人は判ってるから飛び出しはしない。

怖いのは観光客だな。」と、森。



カーナビが普及して、知らない道に入って迷ってしまい

バスの通る道と知らずに飛び出す、そんなこともあるそうだ。



「朝は、ここも通勤路線だし、自家用も我先にと入ってくるから

相手にするな。安全と思わなければ出ないでいい。

お客が文句言っても謝っておけばなんとかなるが、気にして進めると

事故の連続になる。」と、森。



住宅地の出口は大抵そうなるそうで、それでバスで

駅まで行く通勤客も、電車に乗れないと苛立つのは

まあ、ありそうだと愛紗も思う。



聞けば聞くほど自信が無くなって来て

もううんざり、と言う気分に愛紗はなったりした(笑)


そこは若い女の子である。



男でもそうだが、若い人にはあまり向かない忍耐を要する仕事だ。



「たまもな、ここでお客とトラブルになったっけ」と、森。


愛紗は、回想から戻る。



「駅まで15分の筈だが、大渋滞していて。10分くらい遅れた。

それでも進めないお客が苛立って、運転席に来て、何時に着きますか!。」



「たまはな、お気持はわかりますが

先が空けば走れますと言った。」森は笑った。



愛紗も、笑った。当たり前の事だ。



森は「それでお客は猛烈に怒って、携帯でそこから電話を掛けようとしたので

たまは『車内での携帯はお控え下さい』と、言ったら

お客は、降りればいいのね、と、もうどうしようもなく怒ったから

そこで下ろした。まだ、駅まで2kmはある。」



愛紗は「そんなこともあったんですね。」


「それで、たまは岩市に呼び出されて怒鳴られた。でも、あいつは平然としていて

謝るでもなかったな。『他に方法はあったのですか』、と。」



愛紗は、あの人らしいと笑顔になった。


岩市は猛烈に怒って『苦情は出すな!』と言うので


たまは『私が出している訳ではありません。お客様が異常なだけですね。』



あれは、異様だったな。所長が怒っていても平気で、眉ひとつ動かすでもない。

岩市みたいな奴から見ると、やくざの大親分みたいに見えたんだろう。


もっとも、深町は宇宙人、スター・トレックの、扮装をしているつもりなんだが、それは

岩市には見えないから」と、森は

それを知ってるだけに滑稽に見えたと。


愛紗は「でも、そんな窮地でも演劇をしてるって、結局は

所長さんを相手にしていないって事なのかも」と言うと

森は少し考え「そうかもしれない。でも、ああいうやくざを

相手にするときはそのくらいでないとダメだろう。



君にそれ、出来るか?と、森は暗に告げているかのように

愛紗には思えた。



森は「それでたまを査問委員会に掛けると岩市が言ったが

その頃、会社に手紙やメールが来てね。


そのクレーマー女は常習犯で、いつも乗客は迷惑しておったそうだ。

それを喝破した運転手はいなかったが、気持が晴れた、とか

ああいうのは乗せなくていい。運転手さんは正しい、とか。


それで、まあ、岩市もいじめを諦めた。



愛紗は、なんとなく気が晴れた。


まだまだ、この世の中もいい人がいるんだな、と。

悪に屈するのは間違いだ、とまで思った。



「まあ、でもそれはたまだから出来るのでね。

若い女の子は、あいつの真似は無理だろう。

男の運転手だって、お客には事なかれで接している。

でもそうじゃない、ってお客さんもわかってるんだな。だから

感謝の手紙が来た。まずいことに本社のお客様相談にも

メールが行ったので、クレームがバレてしまったが。」と、森は苦笑い。



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