バスドライバー日誌

深町珠

第1話 かわいいあいしゃ

「そうか。しかし、ドライバーはきつい仕事だから

無理はするなよ。」


運転課長の有馬は、その長閑な雰囲気に似合わないコトバを

愛紗に掛けた。


みんなには「あいしゃ」と呼ばれるこの女の子は

18歳で田舎から出てきて、この東山急行にバスガイドとして3年勤めた。

この国のバスドライバーの高齢化に伴い、この大岡山営業所でも

ドライバーが不足。路線バスの休止、減便、廃止が見込まれた。

行政の指導により、路線は維持されるがドライバー不足で

年々、ドライバの仕事は大変になっていた。


求人は出ているものの、若いドライバーには

続かない仕事。



それを見かねた愛紗は、自ら志願し、バスドライバーになる事にした。

ドライバーたちの仕事の大変さを見るに見かねて、と言うあたり。


「はい。頑張ります。」


愛紗は、細い茶色っぽい髪で、少し長めになってきたので

左右に分けて、後ろで留めていた。

前はさっぱりとおでこくらいで断ち切られている。


それが、幾分あどけない雰囲気を醸している。



同僚のバスガイドたちも志願したが、ものは試し、と

ひとりだけ。


この営業所には、先輩のベテラン女子ドライバーも数人いるが

そのうちのひとりも、バスガイド出身ではあったが

転身は40才を過ぎてから。


まだまだ、これからガイドでやっていけるのに

ドライバーになると言う愛紗には、少し

ドライバーへの憧れもあった。


安全を守る厳しい仕事。


男子と同じ制服、制帽で

白い手袋で、指差し確認。


そんなスタイルにも憧れたし


路線のドライバーの、そういう凛々しさに憧れたのもあった。

観光は、もう少し緩い感じで、どちらかと言うと

運送っぽい感じがあるけれど

路線は、鉄道のような感じに、愛紗には見えた。



有馬課長は、西田敏行みたいな愛嬌のある風体で


朗らかに「あー、ま、じゃ、直ぐには使いもんにならんだろうから

とりあえずは研修だな。」



と、事務員さん、今までは面倒見のいいお母さんみたいな

中島さん、に

つなぎの作業服を用意させた。


既に、今着ている男子と同じデザインとスラックス、

グレーのスーツと赤いネクタイと制帽。

これは、系列の電鉄会社の乗務員と同じデザインなので

それも、心が震えた。


この地方は、田舎なので過疎化が進み


元々地域私鉄であった西営業所管内にある

西南電鉄のバス事業を吸収合併、その関係で

DMVの導入が計画されていた。


その、DMV運転士になれる可能性もあった。



故郷では、路面電車や鉄道が多数走っていて

その運転士に憧れた愛紗だったが


父や祖父の反対で、バスガイド、と言う中間職を選んだ

愛紗だったが、いつかは運転系に行きたいと言う

そんな希望もあったので


故郷を遠く離れ、就職したのもある。





「じゃ、あいしゃちゃん、着替えて」中島さんは

厳しい人だけど、若い女の子には優しいお母さんみたいな

ところもあって。


親元を離れて淋しい女の子の気持の拠り所。


「はーい。」

愛紗は、折角かっこいい制服着たのに、と

思いながらも。

仕方なく、女子ロッカールームに向かった。


営業所の二階にあるロッカーは、女子、男子ともちろん分かれているが

普通、ガイドもドライバーも家から制服で、着替える人はいないので


営業時間中に人が居る事はない。


お掃除のおばさんくらいだ。


ロッカールームで、かっこいい制服を脱いでいると


何か、物音がして。


「誰?」と、愛紗はライトブルーのシャツで思わず前を隠した。

下はもちろん、下着である。


「おや、ごめんねー。」と


お掃除のおばさん。丸眼鏡ですこーし、白髪交じりの

50歳くらいかな。


有馬課長とも付き合いの長い、東山急行の

本社でバスガイドをずっとしていた人だけど


年齢が過ぎて、今は、おばあちゃんツアーの時くらいは時々

マイクを握るけど

普段は、お掃除をしていたりしている。


「ああ、あいしゃちゃーん。ほんとにするの?運転は

大変だよ。」と。



愛紗は「はい。でも、ドライバーさん、大変ですし。

私、元々鉄道員になりたかったんです。」


おばさんは「鉄道より大変だよ、路線バスは。

レールはないし、柵はない。

道路に出たら、自分が責任者だしね。」


と、おばさんの記憶には、事故を起こして

挫折した男子運転士の姿があった。


死亡事故を起こし、責任感の強い人ほど

自分を責めて、場合によっては自害する人もいた。

会社への気持、路線バスへの愛もある。


事故を起こせば業界全体が責められるのは

鉄道も同じだった。


そんな中で、バスだけが不利なのは

無責任な自家用運転手のせいで、自動車運転死傷罪、なんて

ものが出来たせいで


理由が何でも、歩行者相手の事故なんかだと

それが適用されたりして、不運な場合は

交通刑務所行き、前科一犯。


になってしまう事もあるからだ。


そういう理由で、男子ドライバーも

高速バスや、観光には行きたがるが

路線は敬遠、入社しても直ぐに

大型を志願し、高速へ行きたがるので


路線バスは、いつも高齢ドライバーばかりと言う有様。


それなので、人員不足のせいで

この大岡山営業所でも、早番(A勤務)+遅番(B勤務)であったり

中番+AorBが普通だった。


16時間勤務でないところは、まだマシだ。

それでも13時間乗務なんて普通。


まあ、女子ドライバーはそこまでは行かない。


22時から5時までは、乗務禁止だからだ。


それでも、居てくれるだけまだ、役に立てると

女子ドライバーだけのダイヤを作り、この大岡山営業所では

割りあえていた。



しかし、愛紗は

そうではなく、男子ドライバーと同じ勤務を志願した(まあ、深夜早朝は

出来ないが)。


それなので、4勤1休、と言うバス独自の風習に従って

これから勤務する事になる。


それは、鉄道とて同じだ。


と、愛紗は思う。


将来の夢として、鉄道運転士への転身を夢見ていたところも

多少はあった。


本社へ志願すれば、出来ない事もない。

本社はと言うと、私鉄ではあるものの

100km程度の山岳鉄道路線があり、国鉄の電車が乗り入れていた。


そういう、漠然とした夢想もあっての事だけれども


高校卒で、本社の電車運転士を志望しても、まず

不合格になるのが関の山。

鉄道高校あたりを出るか、工業大学を卒業してからの

男子がなるのが普通。


わざわざ業務上制約のある女子を運転士にするのは

非効率。


それは理論的であるが、そういうものだ。


国鉄も、普通はそうで

高卒で女の子がなっても、駅員か旅行センターくらいが

まあ現実だった。


そんな理由もあり、また


両親の希望もあって。


現在に至っている。












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