南麟帝本紀 第2章 5

拾月朔日ついたち


 キャラが午後のお茶をカティと喫していたとき、メルリース公の呼び出しがあった。

「おそらく、到着したのだと思います」

「どんな子なんだろうなぁ」

「私も小さい頃に二、三度会っただけなので、ちょっとどんなだったかはわかりませんね」

 二人が応接室の一つに入ると、メルリース公夫妻とアレクシスの他に四人の人物がいた。一人はキャラもよく知る女官長だ。他の三人は貴族の装いをした夫婦らしい男女と少女だった。

 公爵が紹介した。

「こちらがマークス男爵だ」

「公女様には初めてお目もじいたします。ギルバート・ディル・マークスと申します。この度はご快諾いただき、ありがとうございます。」壮年の男が挨拶する。「こちらが妻のエリザベート――」夫人が一礼する。「そして娘のレーラでございます」

 少女が多少ぎこちなく令嬢の挨拶をした。「はじめまして。レーラと申します。これからよろしくお願いいたします」

 目がぱっちりとした可憐な相貌は、兄から土産としてもらった人形を思い起こさせた。キャラは微笑んで挨拶を返した。「キャリアンティーヌ・ディア・メルリースでございます。遠路はるばるようこそいらっしゃいました」そして少女――レーラに向かって云う。「もう挨拶はすんだのだから、そんなに固くならなくてもいいのよ。これからよろしくね」

 年が明けると十五歳になるカティは、社交界へのお披露目をするために、これから実家に戻り準備に忙殺されることになる。仕官を解かれるカティに代わり、キャラの身の回りの世話をするべくレーラが任官されたのであった。マークス家はカティの実家であるサーク家とは、カティ曰く「ちょっと遠い親戚」の関係にあり、レーラの任官にもサーク男爵の推薦があった。

 十二歳のレーラは同年代の中でも小柄で、キャラにしてみれば妹ができたようでなんとなく嬉しい。いままでは兄からはもちろん、カティも年上だから、妹の身分に甘んじてきたが、これからは姉上らしく振る舞えるのだ。カティにそっとヒジで小突かれ、慌てて緩みかけていた表情を引き締めた。


 今日から一週間、レーラはカティについてするべきことを覚え、引き継ぎを済まさねばならない。また女官長からも女官の仕事についての説明もある。

 そしてカティは十日に迎えの者が来て翌日実家に戻る予定になっていた。

「そうかぁ。あと十日でカティはいなくなっちゃうんだよね」

「別に今生の別れじゃないんですから。どこかの舞踏会とかで会いますよ」

「そっか。私の名義で舞踏会やお茶会を開いちゃえばいいんだ」

「そう乱発はできないと思いますけど……」

 キャラとカティはレーラを連れて自室に戻るところだった。レーラにキャラの部屋とレーラの居室を教える必要がある。公女付きの女官の部屋は一つしかないので、カティが公都を発つまではカティとレーラは同室で過ごすことになった。

 レーラは早く仕事を覚えようと一所懸命だったが、懸命さが過ぎて失敗することもあるらしい。「それでも頑張ってますから、すぐキャラ様のお役に立てるようになりますよ」カティはそう云いながらも一抹の不安を隠しきれないようだった。



拾月拾日とおか


 「それでは、次にお会いできるのは新年祝賀会の時ですね」

 カティの部屋から広間に向かう途上でカティが云った。公爵家の娘であるキャラはすでにお披露目済みであった。カティの言葉にキャラは首を振った。

「その前に年末の王都武芸大会があるじゃない。今年はセルディも出るんでしょ」

 話題の当人は、この場には来ていなかった。「あの朴念仁は、こんな時に何をやってるのかしら」

「アレクシス様におっしゃられてから、その気になられたようですね。でも去年もうちには招待状が来なかったようですし」

 爵位を持つとは云え、最下位の男爵では中央からはあまりかえりみられない。

「その時はうちの縁者ってことにすれば良いわ。あながち嘘ではないわけだし、父様にも頼んでおくわ」

 広間にはすでにメルリース公一家が揃っていた。ほかに女官長やレーラほか幾人か仲の良かった女官らがいた。それら一人ずつと別れの挨拶をし、アレクシス、キャラ、レーラは、彼らの、特に公嗣閣下の見送りに甚だ恐縮するカティを連れて、ぞろぞろと門前まで歩いて行った。門前にはすでに二頭立ての馬車が一台駐まっていた。そしてその傍らには馬の轡を取ったセルディがいた。

「ちょっとあんた、何やってたのよ」

「キャラ様、馬車を王都の城門まで護衛してもよろしいでしょうか」

 キャラは、一つため息を吐いた。「あんたね、そう云うことはもっと早く云いなさいよね。いいわ、行ってらっしゃい」

「ありがとうございます」

「未来の侯爵閣下に護衛していただけるなんて、光栄ですわ」

「今はただの親衛隊員です」

 衆人の前だからか、二人の会話も堅苦しいままだった。

「武芸大会のことは私からも口添えしておくよ」

 去年の優勝者の言ならば、主催側も無下にはできないだろう。アレクシスにはそういう読みもあった。

「アレクシス様、ありがとうございます。でもご無理はなさらないでくださいね」

 次にカティは改めてキャラに向き合った。

「これでもう、キャラ様に振り回される日からは――」カティの頬を二筋の涙が流れた。「あれ、おかしいな……解放されて落ち着けるわ、って云うつもりだったのに」

「わたしだって、これでカティのお小言を聞くことが無くなって、清々するわ、って……」

 キャラもいつの間にか涙をこぼしていた。

「落ち着いたら、手紙ちょうだいね。あなたからのが来ない限り私からは出さなくてよ」

「承知しました。それではみなさま、ごきげんよう。レーラも頑張りすぎない程度に頑張るのよ」

 まだ幼いレーラには難しすぎたようだったが、とりあえず笑顔を見せた。

 カティが馬車に乗り込むと、御者の一声と鞭の一振りで馬車は動き出した。サーク男爵領までは、一日半の行程である。

 馬上のセルディも一礼して馬を歩かせた。公都郊外までの護衛――というより付き添いを拝命していた。

「レーラ、湯浴みが終わったら今日はもう休んでいいわよ。明日から大変になるだろうからね」自室へ戻る道すがら、キャラが云った。

「解りました。ありがとうございます」

 そうだ、明日は便箋を買いに行こう。インクはまだ有ったかしら。そんなことを考えながら、キャラは自室に入った。

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