第54話
学校へ向かう電車の中で、ひまりはうみんちゅハウスについて調べていた。
すでに創業は20年を超えており、沖縄では知名度も高いお店らしい。
ホームページを開けば、ヤシの木に囲まれた本店である沖縄の店舗が大きく映し出されていた。
ひまりが長年探しても分からなかった、あの子が来て欲しいと言っていた店の名前。
ようやくそれが分かっても、今更行けるはずもない。
行ったとしても、あの頃のひまりが求めていたあの子はいない。
今のひまりがよく知る、感受性が豊かで表情がころころ変わる、同い年の可愛らしい女の子がいるだけだ。
いつも通り教室へと足を踏み入れれば、そこにいる人物に思わず眉根を寄せた。
わざわざご丁寧にひまりの席の前で待ち伏せする姉の由羅は、教室中の視線を集めている。
「……瀬谷さんちょっといい?」
昔から、由羅はどんな時も注目の的だった。
スタイルも良くて、顔立ちも整っている。
親戚は由羅の方をよく褒めていたし、学校でひまりを褒めていた同級生も、由羅を見た途端大したことないと口を揃えて言い始めた。
妹と言う贔屓目を無しにしても、由羅はどこか浮世離れした美しさを持ち合わせている。
幼い頃から、姉には叶わないと何度も痛感させられてきたのだ。
由羅は私立の女子中学校へ進学したために、そのまま付属の高校へ通うと思い込んでいた。
まさか、高校で再び同じ学校に通うことになるとは思いもしなかったのだ。
姉妹であることは、互いが暗黙の了解のように口外せずにいたため、傍から見たら接点のない二人に、周囲からの戸惑いと好奇心が伝わってくる。
「……なに」
「話があるの」
ひまりの返事を聞こうともせずに、由羅はさっさと教室を後にしてしまった。
一定の距離を保ちながら、由羅の背中を追いかける。姉妹と言っても、横並びで歩くような仲の良さは生憎持ち合わせていないのだ。
長いこと歩いていた由羅がようやく足を止めたのは、以前三人でよく訪れていた校舎裏だった。
こうして、朝の時間に足を運んだのは初めてかもしれない。
「それで、話ってなに」
「晴那ちゃんが、ずっと学校休んでるの知ってるでしょ」
「知ってるけど」
「……私たちって昔からそんなに仲良くないよね」
脈絡のない由羅の言葉に、首を傾げたくなる。
彼女が何を言いたいのか、ちっとも分からない。
「離婚してるし、あんな所見られてるし…それに、そもそもひまりはいつも美味しい所持っていく…昔から」
「…それは由羅姉でしょ。いつも比べられて嫌な気持ちしてたのはこっちなんだけど」
年子の姉妹というのは、何かと比べられる。
容姿から性格。
比較されてばかりで、些細な気まずさから簡単にすれ違ってしまったのだ。
「末っ子だからっていつも甘やかされてたくせによく言うよ」
「妹だからってお下がりばかり渡されてた気持ちわかる?」
可愛げのない言葉を返すのも朝飯前だ。
不器用で、口が悪い。こんな妹、可愛くないと毛嫌いされて当然だろう。
「寝起きも寝相も悪いひまりを誰が起こしてたと思ってんの」
「好き嫌い多い由羅姉の嫌いな野菜、あたしが食べてあげてたんだけど?ファストフードとか全部食べられないから、あたし行きたくても全然連れて行ってもらえなかったのよ」
くだらない言い争いに、懐かしさがこみ上げる。
昔から仲が良くなくて、口を開けば喧嘩ばかりしていた。
姉妹喧嘩なんて、本当に久しぶりかもしれない。
お互い周りを気にする暇もなく、想っていることをそのままぶつけ合っていた。
「…っ、あたしの好きな漫画の最終巻、喧嘩した時破いたでしょ」
「それ何年前の話?昔過ぎて覚えてないわ、自分で破ったんじゃないの…大体、由羅姉はいつも…」
「好きになる女の子がひまりのことばっかり好きになる私の気持ち…あんたには分かんないでしょ」
返す言葉がなく、言葉を詰まらせる。
脳裏に浮かんだのは、優しくて誰よりも繊細なあの子の姿だった。
「なんで、晴那ちゃんに返事してあげないの。はっきり言ってあげないから、あの子はずっと前に進めないんだよ」
「それは……」
「女として見れないって、自分は男が好きですってはっきり言ってあげればいいじゃん。晴那ちゃんとは付き合えないって、なんで言ってやんないの。そのくせ中途半端にちょっかいかけて、本当にタチ悪すぎるんだって」
由羅は、間違ったことを言っていない。
自分でも、卑怯なことをしていると分かっていた。
晴那の気持ちを受け入れることが出来ないなら、思い切り遠くへ追いやってやるのが優しさだと分かっていたのに、それが出来なかった。
中途半端に縛り付けて、あの子が自分から遠ざかっていくのを恐れ続けた。
グッと、拳を握りしめる。
今更、なんて言えばいいのか。
あんな風に、傷つけて。
沢山作り笑いを浮かべさせておいて、いまさら虫がよすぎる。
「あたしは……っ」
そうやって、ずっと我慢をしていた。
不器用なくせに、いつも周囲を見て、大切なものを守ろうとしてきた。
だけど、もう限界だったのだ。
ずっと、この想いを封じる枷になっていたものが気づけば勝手に外れてしまっていた。
「さっさとはっきりしてあげなよ」
「散々由羅姉のことレズって避けてたのに、いまさら自分もでしたって…シマが好きなんてどのツラ下げて言えるのよ」
勢いよく言い返した言葉に、すぐに我に返る。
半ば無意識に零れ落とした言葉は、間違いなくひまりの本心なのだ。
今までずっと我慢していた、抑え込もうとしていた感情が、凄まじい勢いで心に流れ込んでくる。
受け入れられなかったのだ。
中学一年生の頃に由羅が女の子とキスをしているところを目撃した時。
本当に驚いて、思春期真っ盛りということもあって彼女を遠ざけた。
女性を愛する由羅から距離を置いて、由羅の好きな女の子をもっともらしい理由をつけて遠ざけておいたくせに。
いまさら、自分も同じでした、なんて言えなかった。
そんな卑怯な自分を、受け入れることが出来なかった。
だからずっと、あの子への……晴那への恋心を、知らんふりしていたのだ。
「…ひまりって、馬鹿だよね」
「うるさい…っ」
「優しすぎるんだよ…もっと、自分勝手に生きればいいのに」
いつも昼食を食べるときのように、壁にもたれ掛かって座り込む。
晴那がいない中、姉妹二人きりというのは変な感じがした。
あの子がいなければ、こうして再び姉妹が肩を並べることもなかっただろう。
「私のことなんて気にしないで、さっさと晴那ちゃんと幸せになればいいのに」
「由羅姉…」
「私、ひまりと口喧嘩ばっかりで、お姉ちゃんらしいこと全然してあげたことない。離婚して離れ離れになっちゃったし…。でも、それでも家族じゃないって思ったことは一度もないよ」
恐る恐る姉を見れば、由羅は笑みを浮かべていた。
こんな風に、姉から笑顔を向けられるのは、一体いつぶりだろう。
口を開けば喧嘩ばかりしていたため、懐かしいと言うよりはどこか新鮮だった。
「世界でたった一人の妹の幸せ願えないほど、心狭くないんだよ」
「でも、いいの…?」
「選ぶのは、晴那ちゃんだから…あの子ね、最近赤い口紅全然つけないの」
「え……」
「ひまりがあげたコスメばっかり使って…シャンプーも二人とも同じ香りがして…」
そっと、体を抱き寄せられる。
暖かい感覚に、途端に過去の記憶が蘇ってきた。
あれはまだ、ひまりが幼稚園に通い始めたばかりの頃だったろうか。
お迎えにどちらが行くかと両親が口喧嘩をしている時に、子供ながらに涙を流していた時。
こんな風に、由羅が抱きしめてくれたのだ。
大丈夫だよ、怖くないよと。
年子で、きっと由羅も同じくらい不安だったろうに、姉としてひまりを勇気づけてくれた。
「ひまりにばっかり我慢させてごめん。本当はひまりもお母さんの方についていきたかったの気づいてた……家族のためにあんたはお父さんの方についたでしょ」
腕を解かれて、普段よりも近い距離で姉の顔と向き合う。
似てないのに、やはりどこか面影があって。
確かに、二人は姉妹なのだ。
「もう、家族のために我慢しなくていいんだよ」
長年、ひまりの心を封じ込めていた枷が取れて、姉の言うように我慢をしなくてもいいのであれば。
幼い頃のひまりが堪えた分、我儘を言ってもいいのであれば。
今度こそ誰かのためではなくて、自分のための選択を選びたかった。
「幸せにね」
その言葉に、力強く頷く。
もう、どこにも迷いなんてなかった。
長いこと抑え込んでいた衝動は、考える暇もなしにひまりの心を突き動かしていた。
担任がホームルームを行っている中ズカズカと入りこんで、スクールバッグを引っ掴んでから挨拶もせずに教室を出る。
背後から「瀬谷!」と怒鳴りつけるような声が聞こえても、気にせずに足をがむしゃらに動かしていた。
はやく、早くあの子に会いたい。
言いたいことが沢山ある。
また、一人で泣いていないだろうか。
苦しいと、悩みこんではいないだろうか。
あの日晴那がひまりに手を差し伸べてくれたように、今度はひまりがあの子を引っ張ってあげたいのだ。
助走をつけずに、勢いをつけて走り出す。
愛する彼女のために、ひまりは息を乱しながら駆け走った。
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