第47話
あれほど長いと感じていた夏休みも、とうとう最終日を迎えていた。
宿題はまだ終わっていないものもあるが、これに関しては考えても仕方ない。
化学の教師はかなり優しいため、頼み込んで何とかして期限を延ばしてもらおう。
結局、ひまりに想いを伝えられないまま、一か月以上の日が過ぎようとしている。
鏡の前で、晴那は新品のリップを試していた。
以前うみんちゅハウスで由羅と会った際に貰ったもので、秋っぽい色味でおススメだと言うのだ。
確かに以前付けていた物よりは色に深みがあり、質感もマットなものだった。
クローゼットの中で一番手前にあった服に着替えて家を出れば、丁度隣の部屋から顔を出したひまりと鉢合わせる。
「シマどっか行くの?」
「リユに会いに行くの」
「あたしも行く」
コンビニへ行くところだったらしく、ひまりはラフな格好なまま晴那の後を付いて来た。
由羅のもとへ行こうとすれば、ひまりが心配してくっついてくるのは、もはや恒例ともなってきた光景だろう。
由羅の家へ向かえば、ひまりがやってくるのは予想通りだったのか、彼女に驚く様子はなかった。
どうやら二人の母親も今日は仕事が遅いらしく、家には由羅と猫のリユしかいない。
「夏休みあっという間だったね」
「本当、終わるの寂しいです」
「そうだ、良かったらこれやらない?商店街の福引で当たったの」
そう言いながら由羅が戸棚から取り出したのは、手持ち花火のセット袋だった。幼い頃はよく遊んだそれに、懐かしさがこみ上げる。
すぐに二つ返事をかえして、水の入ったバケツとろうそくを片手に、三人で公園へと向かう。
辺りには誰もおらず、水道の近くでそれぞれ花火を手に取った。
ろうそくに先端を近づければ、途端に独特な香りと共に鮮やかな火花が散り始める。
皆ばらばらのものを選んだために、違う色や火花の飛ばし方をしていた。
繊細な光に心を奪われていれば、ジッと由羅に顔を見られていることに気づいた。
「それ付けてくれたんだね。似合うよ」
周りをよく見ている由羅が、その変化を見逃すはずもない。
彼女がくれた口紅は、今日の晴那を引き立たせるアイテムの一つとして活躍してくれているのだ。
「そっちの方が晴那ちゃんには似合うよ」
「あたしがあげたやつの方が似合ってる」
「…ひまりさ、ちょっとタチ悪すぎるんじゃない?」
「何の話」
「もし私と晴那ちゃんが付き合うってなったら、ひまりはどうするの」
場がシンと静まり返る。ちょうど花火の火も消えて、先ほどに比べてみんなの表情がよく見えない。
街頭の明かりだけでは、各々がどんな顔をしているのか鮮明には分からないのだ。
「何が言いたいわけ」
「…じゃあ、言い方変える。ひまりは、晴那ちゃんを狙ってるのが私じゃなくても首出すの?友達だからって、晴那ちゃんから遠ざけようとする?」
言葉を詰まらせた様子で、ひまりは何も答えなかった。
さらに、由羅が追い詰めるように捲し立てる。
「友達にしては、独占欲強過ぎない?」
「…だから、シマは世間知らずなところあるし…」
「前に比べたらそんなこともないでしょ?これから先もずっと、晴那ちゃんの保護者ヅラするわけ?」
また、二人の間で喧嘩のような雰囲気が漂い始まる。
思い返してみれば、3人でいるときはいつも喧嘩ばかりだ。
晴那のせいで、2人の仲が益々悪くなってしまわないだろうか。
この姉妹の間で、決定的な亀裂が入ってしまうことだけは避けたかった。
「由羅姉こそ、シマに迫り過ぎでしょ。困ってるじゃん」
「1番困らせてるのはひまりだよ」
「は…?まじで意味わかんないんだけど。あたしがシマを守ろうとして、なんでシマが困るの」
由羅に掴みかかろうとした、ひまりの手を掴む。
薄暗い中で、その言葉は意外とあっさりと零れ落ちていた。
「……私が、ひまりのこと好きだから」
みるみるうちに、彼女の瞳が驚いたように見開かれていく。
きっと、予想だにしていなかったのだ。
あれほど言えないと思っていた二文字。
答えは聞かなくても、彼女の表情を見ればわかった。
「…好きって、そういう意味?」
「うん…」
好きだからこそ、ひまりにそんな表情を浮かべさせたくなかった。
戸惑ったような、申し訳なさそうな、そんな顔を。
だけど、このまま嘘をつき続けて、ひまりを欺き続けられる自信も無い。
臆病な晴那のせいで、何も知らないひまりが由羅に突っかかり、これ以上二人の関係が悪化していくのを、見ていられなかったのもある。
そして何より、晴那の悲鳴を上げ続けていた心が、限界を迎えてしまったのだ。
「ごめんね。ひまりが友達として、してくれてたことも…私、馬鹿だから。単純だから…嬉しくて堪らなくてもっと好きになりそうになる」
「シマ…」
「だから、由羅さんは私のためにああ言ってくれたの。ひまりは、何も悪くない」
私が、ひまりを好きになっちゃったせいだから、と続ければ、そっと、目線を逸らされた。
目が合わなくなって、そんな些細なことにも胸は痛んでいた。
「……好きになって、ごめんね」
返事を聞かずに、そのまま晴那は一人で公園を後にした。
駅までの道のりを、早歩きで進んでいく。
下唇を噛み締めながら、必死に流れて来そうになる涙を堪える。
言わない方がよかっただろうか。
言ってしまったせいで、友達として過ごせたはずの時間も奪われてしまったかもしれない。
こんなにも自分の感情をコントロールできなくなる日が来るなんて思いもしなかった。
先ほどの、ひまりの驚いたような顔を思い出す。
好きな人に好きだと言えたのに、心は悲しくて堪らない。
晴那の淡い恋心は、あっけなく散ってしまった。
何一つスタートできないままに、この初恋は火花と共に散ってしまったのだ。
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