第41話


 あの日、東京に来て一番最初に出会った少女がひまりだった。

 小顔と手足の長いスタイルの良さはまるでモデルのようで、彼女からお花のような香りがするたびに、気づけば目で追っていた。


 晴那の手を取って、一歩を踏み出させてくれたのは、紛れもなくひまりなのだ。


 昨夜の一件のせいで、教室にいても、ついひまりを目で追ってしまっている。


 得意である体育の授業中も、まったく集中できない。いつもだったら、どの授業よりも楽しい時間であるはずなのに、それを感じる余裕もないのだ。


 科目はバレーボールで、いまは試合中だというのに反対コートにいる彼女の存在に捉われてしまっていた。


 ピッという審判によるホイッスルと共に、試合が始まる。

 それすらもどこか他人事のように聞き流していれば、すぐ目の前にボールが迫っていることに気づいた。


 「晴那ちゃん!」


 クラスメイトの切迫した声がした時には、もう遅い。

 相手チームが放った、バレーボール部の生徒によるサーブは晴那の顔面を直撃してしまっていた。


 次第に気が遠のき始め、暗転する視界の中で倒れ込んでしまったことを衝撃で感じる。


 島袋さん、晴那ちゃんと様々な呼び名で呼ばれる中で、「シマ」と呼ぶあの子の声だけは、何故か鮮明に聞こえたような気がしていた。





 薬品の香りが鼻孔を擽り目を開けば、視界いっぱいに白い天井が広がっていた。背中には自宅のものとは違った硬いマットの感触が伝わってきて、ここがどこであるかを理解する。


 授業中にぼんやりとしていたせいで、保健室に運び込まれるはめになったのだ。

 右手に人肌と思わる温もりが触れており、そちらに視線をやれば、心配そうに瞳を揺らしたひまりの姿があった。


 「気づいた?シマ、顔面にサーブ食らって気絶してたんだよ」


 おでこにはひんやりとした感触があり、恐らく冷却シートが乗せられているのだろう。


 もしかしたらたんこぶが出来ているかもしれないが、幸い痛みは残っていなかった。


 「ひまりは、授業いいの?」

 「いま、中休みの時間 」

 「そっか…」


 壁に掛けられた時計を見やれば、確かに時刻はお昼ご飯を食べるための中休み中だった。

 

 起き上がろうと身を起こせば、ベッドを囲んでいたカーテンが勢いよく開けられる。

 驚いて見やれば、そこには息を切らした由羅が立っていた。


 「晴那ちゃん、バレーで気失ったって聞いたよ。大丈夫?」


 空き教室に中々現れず、連絡を入れても返事がない。教室へ向かえば保健室へ運ばれたと聞いて、急いでここまで来たのだと、由羅は言葉を続けた。

 

 ここまで焦った様子の由羅は、初めて見た。申し訳なさが胸の奥底からこみ上げてくる。


 「……心配かけてすみません」

 「運動得意なシマにしては珍しいじゃん」


 何かあったの?と問うひまりに、苦笑いを浮かべてしまう。

 素直に答えられるはずもなく、誤魔化すことしかできないのだ。


 「これ、制服ね」

 「ありがとう」


 更衣室に置いておくわけにもいかず、ひまりが持って置いてくれたのだろう。

 お礼と共に受け取ってから、上半身に身に着けていた体育着を脱ごうと手を掛ければ、軽くひまりに肩を小突かれてしまった。

 

 「あんたバカか!」

 

 ひまりが慌てたように、掛け布団を肩まで掛けてくる。

 薄いシーツに包まれながら、ひまりの耳が赤く染まっていることに気づいた。

 

 続いて由羅を見やれば、気まずそうに視線を逸らしてしまっている。

 ようやく、晴那は自分がいかに無神経であったかに気づいた。


 「あたしら一旦出るから。ゆっくり着替えてきて」


 気を利かせた二人が保健室を後にしてから、今更ながらにじわじわと頬が赤くなり始める。

 女性に対して、こんな風に思う方がおかしいというのに。

 温泉だって、プールだって。今まで裸を同性に見られても、なんとも思わなかったはずなのに。

 どうしてこんな風に、恥ずかしくて堪らないと思ってしまっているのだろう。


 


 

 教室へ戻れば、クラスメイトから心配する声を掛けられていた。日頃からよく話している生徒から、あまり接点のない生徒まで、大丈夫なのかと声を掛けてくれたのだ。


 サーブを放ったバレー部の女子生徒からは何度も謝罪の言葉を伝えられてしまっていた。

 晴那の不注意が招いた事故だと言うのに、こんなにも心配を掛けてしまったことが申し訳なくなる。


 午後の授業を全て受け終える頃には額に張り付けていた冷却シートもぬるくなってしまっており、勝手に剥がしてしまう。


 荷物を片付けていれば、やけに教室がざわざわしていることに気づいた。


 「ひまりちゃんっている?」

 「誰ですか」

 「俺、3年の小森って言うんだけど…今時間いいかな」


 突如現れた、高身長のイケメンな生徒。教室中の視線を集めながら、二人は教室を出て行ってしまった。

 本人たちがいなくなったのを良いことに。さらにざわめきが大きくなる。


 「あの人サッカー部の小森先輩でしょ?」

 「告白かなあ。ひまり可愛いからなあ」

 「付き合うのかな」


 多くの女子生徒は、ひまりよりもサッカー部に所属している小森に夢中になっている。今まで知らなかったが、どうやらこの学園では有名な生徒らしい。


 皆、二人が付き合うのかどうかと、勝手に話を膨らませている。


 確かにひまりは可愛い。誰が見ても可愛いと思う容姿で、最近ようやく初恋の相手も発覚して、断ち切れたのだ。


 足枷がなくなったひまりは、これから色んな人と出会って、恋をしていく。

 初恋の相手と発覚しても、女の晴那では無かったことにされてしまったのだから、当然のことなのだ。


 「……あれ」


 また、胸がチクリと痛んだ。


 それが何故なのか、もう薄々分かって来ているが、まだ見て見ぬふりをしていたかった。


 自覚しても、辛いだけだと……報われないことを分かっているから、自分自身の気持ちを無視しようとしているのだ。

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