第39話


 マンションのベランダから見える景色が、最近気に入っている。


 東京の街が一望できるわけでも、もちろん遠くの故郷が見えるわけでもないけれど、自身が住んでいる街の景観を、好きだと思え始めているのだ。


 沖縄に住む親友である香澄と、東京の景色を眺めながら電話する。

 つい二月程まえの晴那であれば、到底できなかったことだろう。


 夕方ごろまで降り注いでいた雨のせいで、どこかむわっとした熱気と共に蒸し暑さが漂っていた。


 手すりにもたれ掛かりながら、遠くに住む親友との電話に声を弾ませる。


 「それでね、晴那に言いたいことがあるの」

 「どうしたの?」

 「あのさ、翔平と付き合えることになった」


 香澄に釣られるように、驚きで声色が高くなってしまう。

 翔平は彼女と同じ高校に通っている男子生徒で、1年生の頃は晴那も含めて3人同じクラスだったのだ。


 野球部で、期待のエースと謳われている彼に、香澄が恋心を抱いているのはずっと前から聞かされていたため、ようやく報われた想いに、まるで自分のことのように喜んでしまう。


 「よかったさあ」

 「めっちゃ嬉しくて、晴那に話したくてうずうずしてたよ」


 先ほど、部活帰りの翔平を捕まえて、長年の想いを打ち明けることが出来たらしい。


 今度デートをする予定だという香澄は、電話口からも本当に嬉しそうな様子が伝わってきた。


 それから、お互いに最近起きた出来事を報告していく。ゴールデンウイークに会った際に話してくれた運動会のエイサーは、無事に大成功を収めたらしい。

 

 中間テストは、残念ながら物理で赤点を取ってしまったと、香澄が続ける。


 彼女とはテストで赤点仲間として、強い絆で結ばれた仲でもあった。二人とも本当に勉強がダメなのだ。


 そのため、晴那が今回のテストで赤点を取らなかったことを伝えれば、香澄は酷く驚いた様子だった。


 「すごいねえ」

 「でしょう」

 「あの晴那が…成長したさあ。ところで、晴那は東京で彼氏できたりしてないの?」

 「いないよ」

 「じゃあ、告白されたりとか」


 脳裏に由羅の顔が浮かぶ。


 話そうか悩んだが、共通の知り合いがいない香澄であれば大丈夫だろうと、つい打ち明けてしまっていた。

 

 このまま一人で抱え込んでいたとして、恋愛初心者の晴那が良い結論を導き出せるとも思えない。


 「実は今日、ずっと友達だと思ってた人に告白された」

 「え、付き合うの?」

 「……付き合ってって告白されたんじゃなくて、好きってことを知っていて欲しい、みたいな…これから考えていって欲しいって言われた」


 どうしたらいいと思う?と尋ねれば、香澄は長く考えずに、すぐに答えてくれた。彼女は良い意味で、物事を深く考え過ぎない性格なのだ。


 「だったら、いままで通りでいいんじゃないの?」

 「そうなのかな…」

 「だって、あっちは振られて友達でもいられなくなるよりは、じわじわ攻めていきたいってことでしょ?晴那もその人と友達でいたいなら、態度変えなくていいんじゃないの」


 色々と考え過ぎてしまう晴那には、香澄の考え方に救われてしまっていた。

 自分の気持ちが分からずに、由羅とどう向き合えば悩んでいた晴那に、その言葉は酷く有難かったのだ。


 「……ありがとう」

 「いいよ、けどこれから、その人から猛アタックされるんじゃない?」

 「え……」

 「告白されたなら付き合ってみるのもアリだとおもうけどねえ。それか、他に好きな人いるの?」


 その言葉に、言葉を詰まらせてしまう。

 悩んだ末に絞り出した言葉は、酷くあやふやなものだった。


 「……どうだろう 」


 はい、ともいいえとも、即答できなかった。

 濁すような言葉を吐いた自分自身に、戸惑ってしまう。

 

 初恋は、まだなはずだ。

 好きな人も、いないはずだ。


 そうやって、すべてをはぐらかすように、誤魔化している自分がいるのだ。





 カラカラとベランダの扉が閉じる音を聞き届けて、ひまりは潜めていた息をようやく吐くことが出来ていた。


 洗濯物をベランダに干していれば、突如始まった恋愛話。

 普段の彼女が隠している沖縄の方言が出ていたため、恐らく相手は故郷の友達だろう。


 晴那は、方言を恥ずかしがって必死に隠そうとする。

 語尾を伸ばすあの喋り方はとても可愛らしいため、ひまりとしては隠さずに聞いていたいのだ。


 そのため、いつもよりゆっくりと洗濯物を干して入れば、晴那が告白をされたという話題が、偶然耳に入ってしまった。


 「あの子の友達って……由羅姉まさか……」


 晴那が、自信を持って友達だと言える相手は、ひまりかあの猫か、あるいは姉の由羅しかいないのだ。


 洗濯籠を持つ手に、ギュッと力が入る。

 かつて、由羅はひまりの友人とも恋仲にあったが、話を聞く限り1か月も経たないうちに別れてしまったというのだ。


 若気の至りと言われればそこまでだが、あの子と同じように純粋で、世間知らずな晴那に手を出されそうになれば、黙っていられる自信がない。

 

 それが友情にしては度が過ぎていることだと、ひまりだって分かっている。しかし、黙って見過ごすこともできないのだ。


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