第16話
いつも通り、晴那はひまりに手を引かれて満員電車に乗車して、すし詰め状態の中時間が過ぎ去るのをジッと待っていた。
身長の高いひまりと違って、晴那は160センチもないために、尚更圧迫感が強いのだ。
朝の時間なため、車内で2人の会話はほとんど交わされない。
ちらりと視線をやっても、彼女はずっとスマホを触っていた。SNSやスマホゲームなど、ひっきりなしに指を動かして画面を操作している。
電車が駅に停車して、車内は先ほどにも増して人が乗り込んでくる。
この区間は降りる人よりも乗り込んでくる人が多いため、いつも窮屈で仕方ないのだ。
なるべくひまりから離れないようにしていたというのに、乗り込んでくる人に押されて、どんどん奥に行ってしまう。
普段よりも、押される力が強かったせいだ。
ひまりは相変わらずスマホをいじっているため、晴那が離れてしまったことには気づいていない。
その次の駅で人がかなり降りるため、そこでまた合流しよう。それまでは一人でボーっと時間を潰せばいいと、呑気に欠伸をした時だった。
「あれ…」
気づけば、晴那は壁際まで追い込まれてしまっている。
目の前には壁で、背後にはサラリーマンが立っている状態。
やけに、体が密着している気がするのは気のせいだろうか。
電車が発車して、ズリズリと体を擦り付けられていることに気づいた。
いつもと、違う。どこかねっとりとした雰囲気と、密着具合。
普段電車に乗っていても、ここまで体がぴったりと重なることはない。
「ひっ…」
男の手が背中に触れ、そのまま下がって臀部に触れられる。
時折指先が動き、明らかな意図を持ったその手つき。
我ながら遅すぎるとは思うが、晴那はようやく自分が痴漢にあっていることに気づいたのだ。
はじめての経験に一気に顔色を青ざめさせる。
生まれてこの方痴漢なんてされたことがないし、こう言った時どうすればいいのかわからない。
声を上げなきゃいけないのに。
喉がキュッと締まってしまったかのように、声が思うように出てくれなかった。
痴漢です、と声を上げて男の手を引っ掴めばいいのだろうか。
それとも、周囲の人に助けを求めるべきか。
次第にジワジワと吐き気が迫り上がる。
どうすればいい、と視線を張り巡らせた時。
スマートホンのカメラ機能に搭載された連続シャッター音が車内に響き渡り、晴那は慌てて振り返る。
サラリーマンの男は、晴那以上に驚愕した様子で目を見開いていた。
「おっさんまじキモ過ぎ。死ねよ 」
そう言ってスマホを構えているのは、ひまりだった。
心底軽蔑したような目線でサラリーマンを侮蔑して、声色から忌々しさが伝わってくる。
突如起こったイレギュラーな出来事に、車内はざわざわと騒めき出す。
顔色を真っ青にさせながら、男は居心地が悪そうに下を向いていた。
「現行犯ね?ばっちり顔写ってるし言い逃れ出来ないから」
サラリーマンが絶望したように顔を引き攣らせる。
痴漢をして現行犯逮捕だなんて、間違いなく悪い方向にしか話は進まないだろう。
丁度駅に着き、サラリーマンが逃げようとすれば、あっという間に周囲の男性たちに押さえつけられてしまった。
無駄な抵抗だと分かったのか、すぐに諦めたように項垂れた男は、そのままやってきた駅係員によって連れていかれてしまう。
「一回降りるよ」
ひまりに手を引かれて電車を降りれば、女性の駅係員がこちらに声を掛けてきた。どこか申し訳なさそうに、彼女は眉根を寄せている。
「ごめんね、被害者の子にも話を少し聞きたいんだけど…」
あまり、人に話したい出来事ではない。
触れられた箇所は本当に気持ちが悪く、思い出すだけでも吐き気がこみ上げてくるのだ。
言葉を詰まらせた晴那に変わって、ひまりが手を差し伸べてくれる。
「この子体調悪そうなんで、救護室に連れて行ってください。証拠写真もあたしのスマホに入ってるんで、この子じゃなくても大丈夫かと」
そのまま、ひまりは証言のために係員と共にどこかへ行ってしまった。
新たにやってきた別の係員に連れられて、晴那は駅の救護室へと連れてこられる。
簡素なつくりとはいえ、駅に保健室のような空間があることを初めて知った。
「ゆっくりしてて。お友達も、終わったらこっちに来てくれるから」
そう言われるままに、ベッドに横たわる。
シーツにくるまりながら、未だに自分の手が震えていることに気づいた。
もう終わったことだと言うのに、恐怖感は完全に拭いきれていないのだ。
あの時ひまりが気づいて助けてくれなかったら、どうなっていたのだろうか。
ひまりが来るまでの間、晴那はこっそりと瞳から雫を零れ落としていた。
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