文化祭 前日準備
◆◇◆
「っあー、やーっと授業終わったなー。」
六限目の終わりを告げる鐘の合図が鳴った途端、愁はぐんと伸びをした。いなりも珍しく目頭を摘む。あまり得意でない理系科目が午後に連続であり、かなり頭は疲弊していた。
他の生徒達もまばらに立ち上がりはじめる。しかし、いつものクラス内と違い、どこかそわそわとした雰囲気が流れていた。
「なあ、今日はなんでか部活休みなんだ。久々に北斗も誘って五人で月ノ屋寄らね?」
「あ、いいねー。」
月ノ屋は街の表通りにある小さな喫茶店だ。落ち着いた店内と店主自慢の珈琲が売りの、知る人ぞ知る地元民の穴場である。個室に近い形式のテーブル席が、人目を避けたい会話をするいなり達にとっては何よりも好ましい。
今日はみずめの店も定休日なので、いなりも特にこの後に用事はない。
うなづきかけようとした時、スパンと勢いよく手を合わせる音が背後からした。
「すまん!悪いけどうちはパスや。」
その音の正体は、両手を顔の前で合わせ、申し訳なさそうに頭を下げた八重だった。
「バンド練があるさかい。気にせえへんで先行っとって!」
頭を下げたまま言うなり、八重は鞄をひったくるように持って疾風のごとく教室から退出していく。
「そういえば、廊下に何人か楽器をもった人達がいました。」
おそらく、八重のバンド仲間だ。どことなくそわそわとした雰囲気であったのは、このクラスのHRが終わるのを待っていたからだろう。
「しゃーねーな。月ノ屋はまた今度だな。」
「じゃあ、先に僕達だけで帰っちゃおうかー。」
そうはいっても、久々に3人での下校である。雑談をぽつぽつとしながら、教室の後方へと向かう。
しかし、その足は何者かによって阻まれた。
「ちょっと待って。」
ぐわしと、強い力で肩を掴まれている。振り向くと、それは四組のクラス委員長の手だった。
名前ははて、何だっただろうか。如何にも賢そうな黒ぶち眼鏡がトレードマーク(と、いなりが勝手にみなしている)の、『委員長』を絵にかいたような容貌をしているので、彼のことは眼鏡委員長といなりは勝手に心の中で呼んでいた。
普段は特に目立った行動のない、穏やかな彼だが、しかし今はその眼鏡が逆光によって白く反射し、顔色がよく分からない。それでも、なぜだかただならぬ気配を感じ、三人は思わず後ずさる。が、型に食い込むのではないかと思うほど、かなりの力がこもった手はそれを許さなかった。
「帰る前に、十分間だけでもこれをもって学校内を練り歩いてくれ。」
そう言った眼鏡委員長から三人に手渡されたのは、『四組で喫茶店開店!! 来店お待ちしております!』とポップな文字がでかでかと書かれたのぼり旗だった。
◆◇◆
「そういや、もう明日が文化祭か。」
八坂高校の文化祭、木犀祭がいよいよ明日から始まる。仮想怨霊騒動によってすっかり忘れてしまっていたが、その陰で、校内は夏から行われていた準備の活況に入っていた。どうりで八重が忙しそうだったわけだ。校舎内はせわしなく生徒が行き交い、校庭や中庭は、改修工事でもやっているのかという有様だ。
それもそのはず、木犀祭は都内でも一、二を争うほど有名な八坂高校文化祭である。
クラスごとに行われる出し物は、学年内で集客数が競われ、最も繁盛したクラスは文化祭最終日に表彰される。儲けたお金の大半は寄付されるが、優勝したクラスには、毎年そのお金で高級焼き肉店の招待券がクラスの生徒全員分贈られる。そのため、皆これを狙って必死に商売をするのだ。
しかし、まるで集客する気ゼロの様子の愁は、のぼり旗を肩に乗せて物珍しい風景を楽しんでいた。
「ん?つかあれ北斗じゃね?」
「あ、ほんとだー。」
「声かけに行こうぜ!」
言われてみれば、確かに人ごみの中に北斗がいた。
「おーい、北斗ー!」
愁が手を振りながら近づいていくと、向こうも気が付いて振り向いた。
しかし、何故かその顔色はあまりよろしくない。それどころか、この世の絶望を見た、とでも言いたげな様子である。
「随分浮かない顔だけど、なんかあったのー?」
黒羽に問われると、北斗は黙ったまま、彼の前にかかっているたすきを指で示す。いなり達の目線は自然と、そこに書かれている文字を追った。
「「校内女装ミスコングランプリ?」」
真っ赤なたすきには、でかでかとそう書かれていた。
「女装・・・ですか。」
「なるほど。それはそんな顔したくもなるねー。」
「でも、なんでわざわざ男が女装するんだ。普通に女子がやればよくね?」
ミスコンというと、美女を総選挙で選ぶコンテストのことである。にもかかわらず、わざわざ男子が恥を捨てて乙女を演じなければならないということは、ネタ目的での開催なのだろうか。
「去年まではちゃんとしたミス・コンテストだったんだ。だが、今年から急遽変更になったらしい。」
「変更?」
「なんでも、勝負にならないんだと。」
その瞬間、黒羽、愁、北斗の間になんとも微妙な空気が流れた。目をそらし、「あー」とでもいいたげに口を苦そうに歪めている、
「そんなにすごい方がいらっしゃるんですか?」
「いらっしゃるなあ。それも結構近くに。」
「近く?」
「あーーー、大丈夫だ。お前は分からなくてもまったく問題ないぞ。」
なぜ愁は遠い目をしているのだろうか。そして黒羽はなぜいつも以上にキラキラとした笑顔なのだろうか。2人して仏か何かのような顔をしている。
頭をかしげるいなりを放置し、愁は北斗に向き直る。
「で、お前が出ることになったと・・・・・。」
「ですが、私達のクラスではまだ何も言われていませんよね?」
「確かに。もう決まっていたのかもねー。」
文化祭準備の力の入れようからして、それなりに四組は行事に盛り上がるタイプのクラスだ。四組にはきっとスカートの壁も乗り越えるようなノリのいい男子がいたのかもしれない。
しかし、一方の北斗のいる二組は大人しい生徒の割合が多かったらしい。
「こっちは全力で抵抗したが、民主主義に基づくクラス内選挙で押し付けられたんだぞ。」
過去を回想するような言い回しから、その時の北斗の苦労が伺える。しゃべっている間で既に当の本人の目は死んでおり、何も言うなとオーラだけが訴えかけていた。
「コンテストに出なくて済むのなら、今から異常者にでもなってやろうか。」
「やめろ。確かに出場停止にはなりそうだがお前の人間としての存在価値も消えるぞ。」
「でも、北斗って割と綺麗系だから案外いい線イケるんじゃないー?」
「お前らに言われたところでなんの自信にもつながらんがな。」
黒羽がニヤニヤと目を細めながら北斗の背中をポンと叩く。これが冗談だと理解はしているようで、北斗は苦笑した。
しかし、本人はそんなことを言ってはいるが、周りの比較対象が逸脱しすぎているだけで、北斗だって一般的な美形の部類に入る。かっこいいというよりも中世的な顔立ちの彼のことだ。それなりに化粧なりをすれば、きっといなりなんかよりもずっと綺麗になるかもしれない。
「大丈夫です。きっと勝てますよ。」
是非頑張ってほしいという気持ちを込めて、いなりは北斗に激励の言葉を送る。
しかし、なぜかその目は死んだ魚から腐った魚のものにみるみる悪化していった。
ポンと、愁と黒羽が横からいなりの頭を軽く叩く。
「お前がそれは言っちゃダメだろ。」
「え。」
「うん。今回ばかりはいなりがいけない。」
「え。」
わけも分からず、いなりは夜まで頭を悩ませることになるのだった。
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