天狗様のいたずら

ENISHI

天狗様のいたずら

天狗様のいたずら




1.

「あの子だ」

 波の音をかき消す程、風の音がする浜辺で一人、歩く子供がいた。体は暴風に持っていかれそうなほど小さいが大きな荷物を大事そうに抱え一歩一歩踏みしめながら歩いている。こんな寒い日にわざわざ浜辺に来る理由は一体何なのだろうか。そして荷物に入っているであろう物をどうするつもりなのか。私だけが気が付いているのか、気が付いていて私だけがここに立ち止まっているのか。私はその子供から目が離せなくたってしまった。向こうは気が付いていない。一心にどこかに向かって進んでいる。私は国道を離れて浜辺へと続く階段をおりて小さな影を追いかけた。

「ねえ」

 私が声をかけると小さな体がびくっと反応した。あたりをきょろきょろと見回して振り返るとまんまるに開かれた目が私をとらえた。驚きから少し警戒した目で、それでも歩みを止めて私の次の出方をうかがっている。

「突然ごめんね。それが見えたから。」

 小さな体に抱えられた荷物を指さすと手に力がはいったのが見えた。

「それ、ギターだよね?海辺で弾くつもり?」

 抱える体の半分以上の大きさがある荷物は弦楽器のフォルムをしていた。大きさ的にもギターであることは明白だった。

「お姉さんには関係ないよ」

 視線をギターに落として小さく放たれた声は少し震えていた。寒さからか、緊張からか、あるいは両方か。なるべく優しい声が出るように勤めながら私は話をつづけた。

「私ね、楽器屋さんで働いているの。それがアコースティックギターでしかも弦がスタンダードなブロンズ弦だとしたら、海辺で弾いていたらすぐに錆びちゃうわよ。」

 再び私の目を捉え、視線が交わる。今度は警戒心より疑問を抱くような表情である。あんまりギターには詳しくないようだ。

「よかったらお手入れの方法とか教えるけど、どうかな?」




2.

「結構使い込んでいるんだね、親御さんの物だったの?」

 海に浮かぶようにそびえる岩の間には空洞があって中をくぐることができるらしい。ギターを抱えた子供は浜辺に流れ着いた木箱に荷物をおろすと中身を取り出した。やはりアコースティックギターだったがだいぶ年季が入ったものだった。弦も錆びている。しかしこの場合、海風のせいではなく、古くなってしまっているのが原因だった。触ってもいいか尋ねると素直にコクリとうなずいたのをみてギターを手に取った。本体はしっかりしたものだった。

「友達に貰った。場所をとるし、もう要らないって」

 そう言うとうつむいて、だから手入れの仕方がわからないと小さくつぶやくと、うかがうように私を見た。

「うん、大丈夫。思ったよりも害もないみたいだからここで演奏するなら砂が入らないようにサウンドホール──この穴の部分に付けるカバーがあるからそれを着けた方がいいかな。使い終わったらなるべくこのクロスでふいてしまってあげてね。あとは…」

 簡単にギターの扱いと足りないものなどの説明をするとギターと共に入っていたノートにメモをとり、小さく呟きながら繰り返して真剣に聞いてくれた。

「弦は楽器屋さんでお金を払えば張替えもしてくれる所があるから最初はそういう所で頼んでもいいかも」

「お姉さんのお店でもやってくれる?」

 まっすぐな目で聞いてくるところを見ると最初の警戒心はもうどこかへ行ってしまったようだ。一瞬考えてうーんとうなりながら答える。

「私のお店、実は遠くにあるの。ここの近所の楽器屋さんに持って行ってみて。」

 そっか。と残念そうにつぶやくとまたノートに視線を戻してメモを再開した。

「お友達はくれた時に色々教えてくれなかったの?」

「もらってすぐ居なくなっちゃったから」

「転校しちゃったの?」

 急に訪れた沈黙により波音が大きく聞こえた。メモを手に固まっていた小さい体がゆっくり一呼吸したあと私のほうをまっすぐ見て言った。

「天狗様が連れて行ってしまったんだ。」



3.

「あの岩は丘の上の神社から天狗様に見守られている。だから岩と神社の真ん中で叫んでいればなにがあるのか気になって天狗様が見つけてくれないかなって。でもきっと叫んでるだけじゃダメなんだ。いたずら好きの天狗様にいたずらよりもっと楽しいことがあるって思わせなきゃダメなんだ。」

 遅くならないうちに歌いたいというので少し離れたところで歌い終わるのをまって話の続きを聞かせてもらっている。

「いたずら?」

 話のお礼にギターケースに入っていたが使われていなかったクロスを使ってギターのボディを拭きながら聞き返してみた。

「そう、いたずら。一人でさみしい思いをしていたから友達をいたずらに連れて行ってしまったんだ。だからもっと楽しいことを見せていたずらをやめてもらう。」

 傾き始めた日差しをまぶしげにしながらも、赤らんでくる海を見ながらその子は答える。私を馬鹿にしたり、からかったりしている様子は感じられない。むしろこの質問は何度も受けたのだろう。答えるほうは簡潔にまとめられて話しをしている。

「天狗様に見つかったら代わりにあなたが連れ去られるかもしれないんじゃない?」

「おばあちゃんも近所のおばちゃんにもほかの人にもいわれたことがあるんだ。でもそれならそれでもいいんだ。連れ去られたら会えるかもしれないし、2人より3人のほうがさみしくない。」

「天狗様に連れ去られるのは怖くないのね」

「まったく怖くないって言ったらうそになるけど、このまま友達に会えないほうがもっと怖い」

 この子がギターを弾く理由はいたずらな天狗様の気を引くため。気をひいて連れ去られた友人を連れ戻したい、もしくはともに天狗様のもとに行きたい。これは現代の天狗伝説か。だがもし、この子が意図的に嘘をついているのなら何か別に理由があってそれを隠しているのか。しばらく考え込んでいるとその子どもは夕日から私へと視線を移して

「お姉さんは言わないんだね」

と言った。

「なにを?」

問いかけてから顔をあげると、まっすぐ見つめる瞳と目が合う。

「『嘘でしょ?』って」




4.

「観光かい?」

 ギターの子と別れて、海岸の国道沿いにある定食屋に来ていた。夕飯には少し早めの時間、私と新聞を広げたおじさんしかいない店内は愛想のいい定食屋のおばちゃんの快活な声がよくとおって聞こえる。

「いいえ、実は私今度この街に教育実習に来ることになりまして、どんな街なのか見てみたくて来たんです」

 目の前におかれたお水とおしぼりを受け取ってぺこりとお辞儀をする。

「あら、ずいぶん変な時期にやるんだね」

 手を動かしながらおばちゃんが少し不信がっているのが感じ取れる。

「いやー、そうなんです、私、大学のカリキュラムが一般と違って、秋入学だったのでみんなと時期がずれてしまって。3学期だしなかなか受け入れ先がなかったところ、こちらの地域で受け入れていただけることになったんです」

 さすがに言い訳に無理があっただろうか。心配をよそにおばちゃんが顔をあげると

「あー、お昼のワイドショーで秋入学がどうのこうのって話題があったわねえ」

 ねえ、と新聞を読むおじさんに同意を求めた。どうやら常連さんのようだ。おじさんは新聞から少しだけ目をあげると「そんな話題もあったな」とぼそりとつぶやいてまた新聞を眺め始めた。偉いわねえ、と言いながら慣れた手つきでテーブルを拭いてまた奥へと戻っていった。しばらくして注文した定食をもっておばさんがかえって来た。

「はい、本日の定食はぶりの塩こうじ焼きだよ」

 山盛りのごはんにアサリの味噌汁、海藻のサラダに刺身や漬物も少しついて、メインのぶりもなかなかの大きさだった。食べきれるかなと心配になりながら、ありがとうございます、いただきますと言ってぶりにはしを入れると思ったよりふっくらとしていた。ごはんにも合うがきっとお酒のおつまみにもなるのだろう。はふはふと温かいご飯とともに口に含みつつ、おいしいですと伝えるとおばちゃんはそうかい?と微笑んでゆっくりお食べと言ってくれた。

「さっき、海沿いでギターを弾いている子を見ました、あの子も私の行く学校の生徒でしょうか?」

「ああ、あの子ね。ええ、たぶんそうよ。同じ学年の担当だったらあの子に会うかもしれないわね。」

「海辺でギターの練習ができるだなんていい環境ですね」

「あの子はギターの練習のためにあそこで弾いているんじゃないのよ」

「あら、そうなのですね、ではなぜ?」

 知らないふりはすんなりと出来ていたようだ。おばちゃんは少し芝居がかって息を吸ってから少しトーンを落とした声でささやいた。

「あの子は天狗様を見たってずっと言っているの。」

 まあ、ここらへんの人はみんな知ってる話だから話すんだけどね、と前置きするとおばちゃんは初めて手を止めて困ったように話し出す

「連れ去られて友達って言うのが、確かにその母親と一緒に急に姿を消しちゃったのよ。でも実際は夫に逃げられてここじゃ暮らしていけないからって、なかば夜逃げみたいに引っ越して離ればなれになってしまったってもっぱらの噂なのよ。なのに真夜中に天狗様を見たって、天狗様がいたずらで連れ去ってしまったんだってあの子はずっと言い続けてるの。」

 その日は何となく眠れずにいて窓の外をぼんやりと見ていた時に天狗様を見たのだとあの子も言っていた。皆に話している通り、私にも同じく話をしてくれたようだ。

「まあ、あの子が何かやっているのは昼間だけだから、寂しくて誰かにかまってほしいだけなのかと思っているんだけどねえ。今のところ誰にも迷惑をかけていないし、休みの日にしかやらないからいいんだけどね。」

ピリッと静電気が走ったような感覚がした。おばちゃんの言葉に何か引っ掛かりを覚えた証拠である。あまり人に共感して貰えないのだが、なんとなくの違和感が瞬時にパチッと音を立てるようなそれこそ静電気が起きた様な感覚で脳に伝達されるのだ。今がまさにそれだ。しかし何に違和感を覚えているのか、そこまではわからない。

「休日の昼間ですか?」

「ええそうよ。大体昼すぎごろかしらねえ。日が傾く前にはいなくなっていると思うわ。」

「へぇ、連れ去られた夜ではなく、昼間なんですね…」

「夜になんか出歩いてみなさいよ、みーんな顔見知りなんだからお小言を言われるのがオチよ」

「そう…ですね…」

 なんとなくふにおちない。本当に気をひきたいのなら場所はここじゃなくていい。四六時中居て引きずられるように連れ帰られるでもいい。私は何に引っ掛かって何に気が付いていないのか。もやもやしながらも、もぐもぐとおいしい料理をおなかに納めていく。量の多い定食を少々時間をかけながらやっとの思いで平らげてお茶をすするも解決しない引っ掛かり。さらになんとなくすっきりしない思いものみこんで手を合わせる。

「ごちそうさまでした」




5.

「ふぅー」

わざと声を出して息を吐き出す。もう何度か音を立てねば火をともすことが出来なくなったライターは買い替えねばならない。どうせ安いものだし、煙草を買うときに一緒に買えばよいのだ。しかし、最後のほうのこの不便さと言ったらない。ダメだ、息抜きをしているのにわずらわしさが増えてしまっている。煙草は嗜好品だ。だから眠気覚ましに珈琲を飲むように、一息つくためにお菓子を食べるように、煙草を吸うのは何もおかしいことではないと私は思う。しかし、私のように何日も吸わなくても平気な時は平気で、今日のように吸いたくなる時もあるような人間は珍しいようだ。どうしても煙草である必要はないからチャイを飲んで振り返りを行うこともあれば、どらやきをほおばりながら無心になることもある。今日はたまたま煙草がポッケに入っていたというだけだ。きっとライターがもう少し火をともさずぐずっていたら煙草はあきらめてホテルのアメニティの昆布茶を飲んでいただろう。いや、今はそんなことはどうでもいいことだ。フィルターに仕込まれたメンソールをカチッとかみ砕く。思考のスイッチが入る。昼間の出来事から順番に頭の中を整理していく。矛盾している点はないか、見落としていることはないか、取るに足らないと切り捨てた情報に重要な手掛かりがなかったか。煙草の煙を肺に取り込み吐き出す行為を繰り返しながら振り返る。その中でふといつもの喫煙所でのやり取りが思い出される。煙をぷかぷかふかしながらやつらは自分のことを差し置いて私に煙草をやめろという。匂いがつくだろとか、しぐさがらしくないとか、世間体が悪いとか。とにかく私には煙草をやめるようにいう。もう一度、深く息を吸い込んで煙とともに吐き出す。

「それは私が“女”だからか」




6.

「君かな、天狗様に連れ去られた少年は」

 すごい勢いで少年が振り返る。細身だが浜辺で出会ったあの子より背が高い。けれど顔には幼さが残っている。ここは例の天狗様のまつられている神社だ。高台にあるが木々に囲まれ、海の岩が見える方角のみ開かれている。

「ここにきているのはあの子の歌をきくためかな」

少年は質問になかなか答えなかった。しかし、私が引くことがないとわかると警戒しながら

「なんのはなしですか」

と逆に質問をしてきた。私はその質問をあえて無視した。

「残念ながらここまでは聞こえないみたいだね、あの子の歌」

確認するように少年の方をみた。少年と目が合う。風が枝葉を揺らしても少年の目は私を捉えていたが、必死にこの後どうするかを考えていた。

「なんの事だか俺にはわからないです。」

少年はようやく言葉をつむぐと地面に下ろしていたリュックを掴み、鳥居、すなわち出口に向かって歩き出した。

「友達を天狗様に連れ去られた子が海辺でギターを弾いているんだ。その友達に貰ったギターを。1人で。」

きっと寂しいだろうなとすれ違いざまつぶやくと、少年は歩みを止めて振り向いた。

「それは天狗様が悪いんですよね。」

心なしか少年は悔しそうな表情をしていた。

「確かに天狗様はいたずらっ子で村人に悪さばかりしていたの。でも人々が観音様に相談して、天狗様に悪さをやめるように言ってほしいとお願いしたの。それを受けて観音様が優しく戒められてから天狗様はいたずらをするのをやめた。そのうえ天狗様は迷惑をかけた村人らのために天災・自然による災害が起きないように海と山を見守っていると言われているの。観音様のまつられているお寺より、この天狗神社が海側の見晴らしのいい場所に鎮座しているのはそのためとも言われているのよ。あんまり嘘をついたり、罰当たりなことを言ったら怒られちゃうかもよ。」

これは事前に調べた文献に残っていた昔話だ。たぶん、この地域の人たちのほとんどは知っているのではないだろうか。

「だから、なんですか。俺が嘘をついているっていうんですか?」

「あの子の歌っている歌はね、ほとんど恋の歌なのよ。」

ぴくりと少年が反応したのがわかった。

「本当にいたずらな天狗様のために歌っているのかしら。」

少年の視線が泳いだ。

「さて、ここ最近噂になっている海辺で歌う子供が天狗様に友達を連れ去られたと言っているのだけど。

君かな、天狗様に連れ去られた少年は」




7.

「『天狗様に歌を捧げる子供』かぁ」

 パソコンをおいているデスクが突然の重みにぎしっと音を立てた。

「ずいぶん不満そうですね」

「こう書いたほうが閲覧数上がるんじゃねえか?『恋する少女、人知れず愛を歌う』」

「それを書いたら脚色だらけになるのは目に見えているじゃありませんか。同じ脚色だらけになるなら、今回はオカルトを題材に取材しに行ったんだし、天狗伝説のこと書きたかったんだし、めっちゃ調べたし、いいんですよこれで。」

パソコンから視線をそらさずに原稿を進める。ここはビル群から少し離れたさびれたオフィス。ニュースサイトと言うにはおこがましいほど小さなサイトの編集室だ。

「おまえ、何か俺に話していないことがあるんじゃないか?」

「何も嘘はついていないですよ。」

きっとこの人が取材に行ったのなら、私が書くより、世間の気を引く記事をかけただろう。

「脚色したって別に悪いようにはならねえだろ?そもそもその年齢の愛だの恋だのなんて」

吐き捨てるように鼻で笑った

「くだらないじゃないか」

この最低な発言をする上司は、確かに稼ぐ記事がかける。元々有名な新聞社の記者だったが、真実を報道できないもどかしさに、いつしか疲れ切ってしまったそうだ。いっそ振り切れてゴシップまがいの記事ばかりのサイトを立ち上げ、それがヒットして今に至る。そんな風に人づてに聞くが、それもゴシップかもしれない。酔っ払うと、俺はひとに影響を与えられる記事が書けるんだ、としきりに訴えてくる。

「私はそう思いませんね。もし彼らの年代の恋愛がくだらないなら、私たちの年代の恋愛はもっとくだらないですよ。とくにテキトーに女をつくっては、捨ててる人はね。」

「そんな事ないさ!男はちょっとでも整った女で欲を吐き出したいから探すのは大変だし、愛してるふりしないと女の気をひけないから気を使うんだぜ」

電子タバコを取り出した上司にここは禁煙ですよと伝えるとうるせえなと言いはしたが、くわえることは無かった。

「でも女は1度抱くと面倒なんだよな、どうにかならないもんかね」

「最低ですね」

こんな最低な奴でもモテるようだから世の中不思議なことだらけだ。そしてこの上司に文才がある事も。ちょっと不公平じゃないだろうか。私はこの上司の鼻をへし折ってやりたくなった。

「ああ、脚色しても大丈夫な理由もう一つ見つけました」

にやけ面がこちらを向く。

「なんだ?書き換える気になったか」

「こんなネットの記事、誰にも影響与えられないですもんね」

一瞬の沈黙ののち、明らかに不機嫌な顔で頭をかきながら吐き捨てた。

「チッ、くそ。これだから女は扱いづらいんだ」




8.「俺はどうするのが正解なんですか」

「残念ながら私には君の正解なんてわからないよ」

遠くの方から船の汽笛が聞こえる。木々が生い茂る中、ぽっかりと空間が空いている。ここだけは天狗様が海と浜辺を見えるように枝をうっているのだ。景色がいいので訪れる人もちらほらいる。でも話しかけられたのは初めてだった。

「あの子の気持ちに答えるか突き放すか、はたまた気が付かぬふりを続けるのかは君自身が考えることだ。厳しいことを言うようだけどね。」

ここまで首を突っ込んでいるのに変な人だ。きっとこの人には全部バレている、そんな気がした。同時に、それならばなぜ改めて俺に問うのかと恨めしくも思う。放っておいてくれればいいのに。でも少しだけ羨ましい。あいつの気持ち。気がついてないふりはできないだろうなと思いながら最後に会った日を思い返す。思い返してなお出ない結論にため息をついた。お姉さんはそんな俺を見てにやりと笑った。

「もしも、あの子へのプレゼントで悩んでいるんだったらいいものを持っているから譲ってあげなくもないけど、どうする?」




9.「この街から出ていく事になった」

いつもあそんでた場所のひとつ。夕方に浜辺に行くのが好きだった。この時間だとだいたいここにふたりの足が向いた。

「そっか、おばさんやっぱり耐えられなかったか」

大人は隠しているようだけど子供は敏感だ。俺の話を聞いてたからあいつも驚かなかった。

「あんまり役に立てなかったや」

「そんなこと…そんなことは絶対にない!」

言った後にはっとして、思ったより強い口調になってしまったと気がついた時には、あいつは驚いてこちらを見ていた。いけない、落ち着かないと。ひとつ大きく息を吐いた。

「話を聞いてくれて嬉しかったんだ。」

あいつは微笑んで

「ありがとう」

と言った。いや、俺の方が、と思ったけれど声にならなかった

「これさ、もう持っていけないんだ」

傍にいてあるギターケースをなでた。見慣れたギターケースにはあいつの前で何度も弾いたギターが入っている。

「小さいアパートじゃ弾けないからさ、やるよ」

「え?」

今日一番驚いた顔であいつは固まっている。もしかしたら困っているのかもしれない。あいつはギターに触ったことはあっても弾けないだろうから。ギターケースから手を離し近くにあった石を手に取った。

「おうちじゃなくても外にいけば弾けるんじゃない?」

「あんまり目立つといけないからさっ」

投げた石は波打ち際におちた。後ろからきた波が石を飲み込んだあと、どこに落ちたのかもわからなくなった。

「ギターやめちゃうの?」

「まあ、またチャンスが出来たらやろうと思ってる。」

「そっか。」

だんだん日が傾いて空が赤くなり始めた。

「ここでギター弾いたらさ、あの天狗様の社まで届かないかな」

「無理だろうな」

「そっかーそうだよね。」

あいつは立ち上がって大きく伸びをすると俺を呼んだ。

「つばさ」

声のした方へ顔を向ける。ちょうど夕日にかぶって顔が見えない。

「休みの日、日中はここでこのギターを弾くよ」

「ああ。」

「あとね」

急にしゃがみ込み顔が近づく。

「これ、また作ったからあげる」

受け取るとふわっと甘い香りがした。

「好きだよ」

一瞬周りの音が消えたようにはっきり言葉だけが聞こえた。はっとして顔をあげるとまっすぐな瞳と目が合った。

「ギター。また聞かせてね。一緒に弾けるくらい、練習するから」

よたよたとギターを背負った後ろ姿と紙袋の中にあるガトーショコラ。

その好きが何に対してか、どんな意味の好きなのか、聞かなくてもわかってしまう。奇しくも2月の中旬。今ここで貰った言葉に1ヶ月後何かを返さなければならない気がした。心臓が脈打つのが速い。思考が混乱している中、まず真っ先に思ったことは好きなものを好きと言えるお前が

「ずるいよ。あきら。」



10.

「ただいま」

背負っていた荷物を慎重におろす。ギターを背負ったままバランスを崩しかけたことがあった。それ以来、帰ってきたらまずギターを玄関先におろし、靴を脱ぐ。靴ひもをほどいていると背後から「帰ったのか」と声をかけられた。

「うん、ただいま」

振り返ると父が洗面から出てきたところだった。お風呂上りらしい。

「お前もやっと“らしい”ことを始めたんだな」

目線の先にはギターがあった。

「別にそういうそういうので始めたんじゃないよ」

「天狗様か?」

「そうだよ」

少し声が震えてしまったかもしれない。返事を聞くとふんっと鼻で笑らわれた

「理由はともあれ今までのあまいものづくりやらぬいぐるみなんかよりよっぽど健全だからな、続けるんだぞ。お前は小さいし気弱だからスポーツは続かないからな。」

そう言い残すとリビングへと姿を消した。時々、父がうらやましい。プロにはなれなかったけれど学生時代にこの地域では名の知れた選手だった父は今でも筋肉が綺麗についている。手を洗うために洗面所に入ると鏡に父とは真逆の華奢な子どもの姿がうつった。自分にも長い手足や、人がひるむ程のガタイがあったら、父が勧めてくれた習い事も楽しめたり、熱中したりできたかもしれない。みんなが望むものを好きになれたかもしれない。ないものねだりをしても仕方がない。あえて冷たい水で顔を洗った。

コンコン、と洗面の扉がノックされた。大丈夫だよと答えると母が入ってきた。珍しいな。

「あきら」

「おかあさん、ただいま」

顔を上げると母はエプロンのポケットから中が膨らんだ封筒を出した。

「これ、あきら宛てに。ポストに届いていたの。」

差出人の欄には住所が無い代わりに名前のみが、しかも苗字はなく下の名前のみが記されていた。それでもそれが誰かすぐに分かった。ハッとして顔を上げると母も微笑んでいた。

「もうすぐご飯できるからね」

「ありがとう、すぐ行く」

荷物と封筒を持って部屋に戻った。

少し緊張しながら封筒の口を開くと、中には英語の表記のあるパッケージの平べったい箱が入っていた。

「楽器屋のお姉ちゃんが言ってた弦・・・?」

なんでと思って封筒の差出人を確認するも間違いなくつばさからだった。手紙が入っていないかと確認したがそれもなかった。でも封筒はまだ小さなふくらみがある。覗いてみるといちごみるくのキャンディーが入っていた。なんで…と思案し、カレンダーを見て気が付いた。ギターをもらったあの日からちょうど1か月がたっていた。これはあの日のお返しだと思っていいのだろうか、この飴の意味をつばさは知っているのだろうか、つばさと楽器屋のお姉さんは知り合いなのだろうか、天狗様は本当にいて、楽器屋のお姉ちゃんはもしかして天狗様だったりして…

「そんなわけないか」

とにかく今は純粋につばさからもらえたプレゼントを喜んで浮かれてもいいだろう。弦を交換したらもっとうまくなるだろうか、いや、うまくならないとね。指先でキャンディーを軽くはじいて夕飯を食べに部屋をでた。

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