第10話 壁顔令嬢の妹 2 (ムールカ視点)

 いくら姉が婚約者候補だと言われていても、所詮は壁顔である。

 王太子のリド殿下がわざわざ我が家に足を運んだことは数える程度でしかなく、さらにここ数年は音沙汰すらない。


 そんなわけだから、私自身とリド様の面識は、ないに等しかったのだ。

 こんな状態で、姉との婚約を覆して私と婚約してもらうのは難しい。


 だが、先日ついに、リド殿下と強いパイプを持った人物に渡りをつけることができた。


 コーライル子爵。母の愛人である。


 両親にはそれぞれ愛人がいる。感情の伴わない政略結婚をする貴族としては珍しくもない話だ。

 しかしコーライル子爵は貴族の中でも指折りの遊び人で、母の他にも数多くの恋人を持っているという噂をよく聞いた。


 私に近づいてきたときも、母と同じように愛人にするつもりかと思ったが、どうにもそういう思惑ではないようだった。

 ただ、宮廷の華やかな噂話を聞かせたあとに、珍しい緑の瞳をいたずらっぽく輝かせて、人目をはばかるようにこっそりと、


「ムールカ嬢、あなたがリド様に会いたがっているとお聞きしまして。もし私でよかったら、面会する手はずを整えることができると思いますよ」


 と囁いた。


 あまりにこちらの都合のいい申し出に最初は警戒したものの、コーライル子爵は上流階級の様々な女性とつながりが深い。

 私がその誘いに乗ることに承諾すると、現王妃殿下が懇意にしている伯爵夫人が開くダンスパーティーで、王太子に面会する機会が与えられることになった。


 しかし、同時にニュースが飛びこんでくる。


 内定状態だったリド殿下と姉の婚約について、正式な決定として国内外に知らしめるために、二か月後に婚約披露宴を開くという決定が下ったのだ。


 だから、これが最後のチャンスだ。


 そう決意して臨んだダンスパーティーでリド殿下を見つけると、私はゆったりと近づいてダンスに誘った。

 誰もが魅力的だとほめそやす流し目で誘惑するように誘えば、リド殿下はたやすく乗ってきた。


 話すうちに私がルミシカの妹だと知れば驚いたが、同時にひどく悔しそうな顔をしたのを私は見逃さない。


 なぜそんな顔をするのですかと聞いてみれば、彼はたちどころに顔色を変えた。

 にこやかに笑いながら、容色が優れているという私の評判を以前から聞いており、会いたいと思っていたのだと私の手を取って言うその姿を見て、予想より簡単にこの人は「落ちる」かもしれない、と私は思った。


 そして、勝負に出る。


「王太子さま、私、お姉さまにいじめられているんです……どうかそのお力で、私を助けていただけませんか?」


 もはや社交界ではルミシカが妹をいじめているというのは有名な噂になっていた。

 しかしおそらく、姉本人の耳には届いていないだろう。

 噂話を教えてくれる知り合いが、あの人にいるはずがないのだから。


 だが、真贋様々な噂を聞かされる立場の王太子には、確実に届いているはずだった。


 そして現に、リド殿下は私の話に驚くそぶりすら見せなかった。


「あの人は邪悪です。私だけじゃない、使用人も何人もつらく当たられてますの。

 姉を王宮に迎え入れて、本性を出して政治に口出しなんかしたら、この国が滅びかねません。私、心配なんです、リド殿下!」


「……本当だとすれば大変なことだ。証拠はあるのか?」


 その言葉に、私は「ここではちょっと……二人きりになれる場所でお話します」と言って彼を空き部屋に誘い込んだ。

 そしてその場でドレスで隠されていた背中を、ためらいがちに見せる。


 そこにあるのは、使用人を使って自分の体につけた傷だ。

 「これが証拠です」と言えば、リド様は食い入るように私の体を見た。


 傷があってもなお姉よりずっと美しい、私の体を。


「これは……妹に辛くあたるような女性を、王太子妃として王宮に迎え入れるわけには、いかないな」


 彼の手が、私の体をなぞっていくうちに熱を帯びるのを感じながら、私は彼のことを、馬鹿な男だと思って哀れんでいた。



 それからは、リド殿下の私室で二人きりで会うようになった。


 愚かで弱い女のふりをしていれば、リド殿下は面白いくらい簡単にこちらの思惑通りに動く。


「本当に、お姉さまとの婚約をやめてくださるの?」


「ああ、きみに嘘は言わないよ」


「でもリド殿下、シェンブルクの家から娘を嫁入りさせるのは盟約で定められているんでしょう?

 なのにお姉さまとの婚約を破棄したら、陛下に怒られないかしら?」


 甘えるように体をくっつけて、猫なで声で耳元で囁く。


 そうすればリド様はすぐに私の体を抱きしめるように腕を回し、至近距離で目を合わせながらこう言うのだ。


「では、ルミシカを追放してしまおう。そのうえで、きみを王妃に迎えればいい。きみだって、シェンブルクの娘なのだから」


 ついにここまで来た、と私は歓喜に打ち震えた。


 それから婚約披露宴までの二か月間、私たちは密会を重ねながら作戦をたてていった。

 

 婚約者との関係も調整できない王太子、という印象を周囲に持たせるわけにはいかない、とリド殿下は言った。

 婚約披露宴が控えている今の段階で、婚約破棄をすることは、王太子としての沽券に関わることであるらしい。


「だから僕とルミシカの婚約破棄が、醜聞となってはならない。もう決まっている婚約を覆すには演出が必要だ」


 王太子とはいえ、殿下には兄王子がいる。

 国外で活動している兄より優れていることを示し続けなければ、たちまちこの人は、立場を追われることになる。


 だからこそ、ルミシカ追放には慎重だった。


「あくまで問題があるのはルミシカだ、という体裁を整えることが肝心だ。そのためにきみの力を借りよう、ムールカ」


 何をするつもりなのかと問えば、私の人脈を存分に生かし、ルミシカの数々の問題行動を証言させて糾弾するのだ、という。


 自分の能力が低いことを人のせいにして当たり散らし、家族や使用人たちを苦しめるルミシカ。

 それに耐えかねて王太子に助力を願った悲運の妹姫は、心優しい王太子の尽力で救われ、断罪された姉の代わりに王太子と結ばれる。


 そういう筋書きで演出するらしい。


「人を動かすための演出は、派手であれば派手であるほどいい。人心はドラマに弱く、中でも今まで踏みにじられていた者が日の当たる場所に出て評価されるという筋書きは大好物だ。

 そのために婚約披露宴を決戦の舞台とするんだ。その場でルミシカを糾弾し、そしてムールカを婚約者として発表しよう」


 王太子は女癖は悪かったが、悪知恵は働くようだった。


「それじゃあ、やっと、やっと私、報われるんですね!」


「ああ、長年僕たちを苦しめたルミシカは、これでようやく消える」


 長かった。だが、この苦しみももうすぐ終わる。

 ようやく私が、王太子の婚約者として大手を振って歩けるようになるのだ。


 それからは密やかに、婚約披露パーティーでの算段を整えていった。

 姉を断罪する証拠を捏造し、使用人たちと口裏を合わせるのも忘れなかった。


「いい、あなたが証言するの。この間の行儀作法の授業で教師に厳しく指導された姉が、その後で私を何度も殴っていたのを見たって」


「先日の授業は、ルミシカ様は王城に行っておられて欠席したはずではありませんか」


「……そうだったかしら。いてもいなくても印象が薄いから忘れていたみたい。だけど、午後からは私が家を空けるから……だから朝ね。起き抜けに機嫌を悪くした姉がいきなり部屋に乗り込んできて私に暴力を振るったの。何度も、何度も。これはその時にできた痣よ、いい?」


「はい、わかりました。それで、お嬢様。給金のほうは……」


「わかってるわ。うまくいったなら金貨一枚つけてあげる。私が手に入れるものに比べれば、安いくらいだわ」


 気分が浮かれている。披露宴が待ち遠しくてしょうがない。


 この長い地獄が、ようやく終わるのだ。

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