第2話 天族の青年 1
リドさまの執務室を後にして、屋敷に戻ろうとする道の途中。
にぎやかな音楽が聞こえると思ったら、城に旅芸人の一座が逗留しているようだった。
リドさまが言っていた、天族の人々による雑技団だろう。
今代の国王陛下はこうやって定期的に旅芸人を招き、芸人たちが旅をしながら聞いた噂話や珍しい品物などを買い取って治世に生かしている。
中でも天族とは北方の辺境に住む人々のことで、王都に住む人々とは文化水準が違うので蔑視の対象にもなるらしいと聞く。特に貴族は、プライドが高い人が多いので天族と同席することすら嫌がる人も中にはいる。
しかし王宮に招かれる雑技団の華やかな出し物は城に集う貴族たちにも評判だ。また、天族には見目麗しい人が多いため、こうして雑技団が招かれると王宮は途端ににぎやかな喧騒に包まれる。
だけどそんな華やかな出し物は、壁顔令嬢のわたしには縁のないものだ。
それでも、正門に向かうためにどうしても中庭を通過しなければならなかったので、必然的に音楽の鳴る方へ足を向けなければならない。
中庭に続く扉を開けると、花びらをまき散らし、艶やかな踊り子が人々の視線を釘づけにしてくるくると舞っている。
わたしは夢中になって芸を見ている人々の邪魔にならないように、影に同化するように後ろを横切ろうとしたのだが、そんなわたしの手を、ひらりとうけとめるものがあった。
「あら、あなた。きったないメイクねえ」
いきなり手のひらを掴みあげられた。
驚いて視線を伸ばした先にいたのは、わたしと同じくらい顔が真っ白で、唇は口紅で真っ赤で、頬に星のマークを書いた、要するに道化師の化粧を施した人だった。
わたしに劣らない奇抜な化粧。だけど、この人の顔は壁ではなかった。そんな化粧をしてなお、素顔の美しさが垣間見える、不思議な人だ。
その人はわたしの顔を無遠慮に見て、ため息をつくようにこう言った。
「化粧品が泣くわよ、そんなメイク。もったいないと思わないの?」
「あ、あの」
驚きのあまり口をぱくぱくさせているわたしに、その人は続ける。
「おしろいっていうのはそんなに塗りたくるものじゃない。もう真っ白じゃない。あたしよりあなたの方がよほど道化みたいだわ」
体つきも、声も、男性のものだと思うのだけれど、その人が発する言葉遣いはまるで、女性のようだった。
「離してください!」
そういった人を見るのも接するのも初めてで混乱して驚いて、わたしはとっさに掴まれた手を振り払おうともがく。
するとその人はあっさりとわたしの手を離した。
その隙に逃げ出そうと背を向けたわたしの、今度は肩を軽くつかむ。
「あなたねえ、これだけ言って逃げられちゃあ、まるであたしが悪者みたいじゃない! いいから、ちょっとこっちにいらっしゃいよ。大丈夫、なにもとって喰いやしないんだから」
それだけ言うと、その人はわたしを旅芸人が移動に使う馬車の方へ誘った。
わたしは、今自分が何に巻き込まれつつあるのかちっとも理解しないまま、馬車の中に足を踏み入れることになる。
馬車の中は、ちょっとした居住空間のように整えられていた。
わたしを連れ込んだ道化師さんは、小さな化粧台の前に置かれた椅子にわたしを座らせた。
次にごそごそと鞄の中を漁ったかと思うと、綿でできた小さな布と瓶を取り出し、瓶を振って出した液体を綿に含ませてからわたしのすぐ前に座る。
その後何をするのかと思ったら、彼は手に持った小さな布で、わたしの顔を拭き始めた。
「つめたっ」
「はい、ちょっとじっとしててね。すぐ終わるから……あらやだ、肌ボッロボロ。このおしろい、あなたには合ってないんじゃないかしら?」
「あの、これは一体なに? わたしはなにをされているんですか?」
「んー? これはクレンジング。化粧を落とす作業よ」
「化粧を、落とす!?」
わたしは驚いて立ち上がり、その衝撃で道化師さんは小さな布を床に落としてしまった。
「やめてください!」
「ちょっと、コットン落としちゃったじゃない。まあ、いいか。ほら、もう一回座りなさい」
「やめてください! わたしは化粧を落としたくなんてないんです!」
「なんでよ。そんな顔で外に出る方が、素顔よりよっぽど恥ずかしいわよ」
「どうしてあなたに、そんなこと言われなくちゃいけないんですか! 大体あなた、誰なんです!?」
名前も知らない相手に、こんな馬車の中に連れ込まれて、しかも化粧を落とされそうになってる。
一体、なんなんだ。
「え、知らないの? 結構名前知られてると思ってたんだけどなあ……いいわ、名乗ってあげる。あたしはルールー。天領雑技団で道化師をしているわ」
ルールー。その名前に聞き覚えがあった。
道化師は口上のうまさと、最後にわざと失敗して人々の笑いを誘うのが常道だが、彼は一味違う。
天領雑技団ではサーカスの最後に団員全員で舞いを踊るのが恒例で、そのフィナーレのダンスで最も注目を集めるのが、天領公認雑技団の花形、ルールーだと聞いている。
その舞いは花のように蝶のように、見る人の心を捕らえて離さないのだという。
令嬢たちの噂話でも、雑技団が城を訪れているときは彼の話題で持ち切りなのだ。やれ「目が合った」だの、「手を振ってもらった」だの、自分がどれだけ彼に近づいたのか、マウントを取り合ってあることないことを吹聴する。
だけど実際に、彼と親密になったという話は聞いたことがない。
美意識が高く、醜いものを側に置きたがらない。
だから彼の関心を買うには、常に美しくあるよう努力しなければならないという噂もある。
その噂を真に受けて、令嬢たちは美容とダイエットに勤しむのだ。
そんな彼が、なんでわたしなんかをこんな場所に連れ込んだのか。
おそらくその理由は、それほどまでに、わたしの化粧が我慢ならなかったということだろう。
「わたしは、ルミシカです。ルミシカ・エイラ・シェンブルク」
「えっ。ちょっと失礼」
彼の名乗りに応じてわたしも自分の名前を告げると、ルールーさんはわたしの瞳を覗き込んだ。
そのまなざしに居心地の悪さを感じて、顔を逸らそうとしても、頬を抑えて上を向かされる。
おそらく、瞳を確認しているのだと思う。
わたしの瞳は父ゆずりで、茶色の中にひとかけら琥珀が混じっているようなきらめきがある。
それがシェンブルクの血を正しく継いでいる証なのだと、昔、古参の使用人さんから聞いたことがあった。
シェンブルクは聖女の血を受け継ぐ家系だ。
そして聖女は、天族の人間であったと言われている。
天族の身体的特徴のひとつが、不思議なきらめきを持つ独特な虹彩なのだ。
目の前のルールーさんが無理やり覗き込むような無遠慮な視線でわたしの瞳を確認すると、わたしにも彼の瞳が茶色の中にはちみつのような金色がまぎれていることがわかった。
生粋の天族であるのだろうこの人と、遠い昔に故郷から分かたれたシェンブルクの血にも、共通点が未だに残っているようだ。
「あー……あなたが噂の、王太子殿下の婚約者かあ。『壁顔令嬢』……想像以上だわあ」
ルールーさんはわたしの瞳を確認し終わったのか、手を離してそう言った。
わたしの悪名は、旅芸人にまで知れ渡っているらしい。
「でもそうしたらあなた、王太子の婚約者ってことでしょう? どうしてお供の一人もつけずにお城を歩き回っているの?」
「家の者の意向です……王妃になる人間なのだから、他人に頼らずなんでも自分でできるようになりなさい、と」
ルールーさんは「なるほどねえ」とひとしきり頷いた。
「だとすれば、もっとよ。あたしが化粧を教えてあげるから、キレイになって殿下を見返してやりましょう?」
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