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  • 編集済

    そそられる内容でした。

    もっと わかりやすく説明して欲しいです。
    もっと行間も開けて頂けると助かります。



    わざわざ、対応ありがとうございます。

    〝わかりやすく”と
    意味が言葉足らずでした。
    すいません。

    具体的には

    2話のように
    冒頭にこの人物はどういう偉人なのか?を書いて欲しい。

    難しい用語に振仮名や補足を出来る限り入れて欲しい

    等です。

    情報がしっかりと書かれていて
    よくまとまっているので
    ストレスフリーで
    余すことなく読みたい!という
    一読者の勝手な意見でした。

    良かったら参考にして頂けると助かります。

    執筆活動、大変かと思います。
    微力ながら応援しております。


    作者からの返信

    「古今統帥者列伝」第1回・白起をお読みいただきありがとうございます!

    もっとわかりやすく説明してほしい、ということですのでこちらに簡単な説明を添えて、コメントへの返礼とさせていただきたく思います。

    白起は公孫氏の流れをくむ白家の血筋で、その名前「起」は中華史上にかくれない軍略家・呉起の戦ぶりを見た父があやかるべくして名付けた、といいます。

    戦国時代後半、戦乱が拡大、それに反比例するように商業や市場も大きくなり、それに伴って戦争の規模も拡大しました。この膨張に歯止めをかけようとしたのが秦国宰相・商鞅でしたが、彼の改革はかなり過激で急進的でもあったため、暗殺されてしまいます。ですがその改革によって同氏族だけが国内の権力を独占するという事態は避けられるようになりました。これをなしたのは商鞅が秦にとって他国人であったからでしょう。

    白起が生きた時代は商鞅よりやや後になります。彼は若くして戎衣(軍装)に身を包み、戦う都度に大功をたてました。軍略兵法に通暁していたのは名門である公孫氏(西周貴族の流れ)であることを考えれば不思議なことではありません。学問としての武略と実用のそれは別ですが、基礎なくして天才を発揮することはできないので白起はただの突撃バカではなく、智謀の人であったことは疑いありません。ゆえにこそ、昭王からの深い信任があります。

    しかしながら韓・魏連合軍との戦いで斬首20万、大勝利なのは確かですが、数字に関しては信じるに値しません。この当時の中華の動員兵力を考えればこの数字が過大であることは理の当然。赤壁で曹操が動員した20万の軍が史上空前と言われ、中華史上最初に100万の大軍が揃ったのは隋の遼東遠征の時にようやく(王莽が動員した100万人などは論ずるに足りません)です。中国人は白髪三千丈の民族なので、この大げささに関しては気を付ける必要があります。

    その後楚の西半分を攻略した白起はついで魏を伐ち、韓を討ち、晋を撃ちました。地形に関してかなり場所を選ばない用兵の達人であった証拠でしょう。
    のち、長平でまずは趙の名将・廉頗と対陣。この当時すでに廉頗は老人ですが、史書に「風雲叱咤」と記される名将でした。彼を相手に緒戦、白起は猛突撃を仕掛け圧しますが、廉頗もさるもの、突破力では白起に及ばないものの陣地を抜かれなければ負けはない、と陣を固め、防備に努めます。

    白起が攻めあぐねるとここで秦の応侯・范雎は流言を撒き、廉頗恐れるに足らず、秦が恐れるは趙括のみと間諜に言わせます。趙括は名将・趙奢の嫡子ですが父には全く似ず、実に理論だけで実際の応用を知らないタイプの、将帥として落第点な人物でした。しかし范雎の謀略にかかった孝成王は廉頗を更迭、趙括を起用してしまいます。

    緒戦では趙括が勝利。当然これは秦側が趙括を調子に乗せてしまうための策略でしたが、勝ちに奢る趙括はそのことに気づきません。勢いに乗って陣地から出た趙括を、白起は奇襲で一撃のもとに粉砕、敵の糧道と退路を断ち、高らかに声を上げて脅し、囲むこと46日、孤立無援の趙括はせっかくの大兵を集中させるべきなのに分割させて四方を突破しようとし、各個撃破され、趙軍は屠殺されて趙括は戦死。40万人(これもあきらかに誇大です)が一斉に降参し、白起はいったんそれを受け入れながら後々の反乱、および食糧事情や住宅事情などを考えると養い切れないということで、かれらを黄河沿いの灘に追い立てて生き埋めにしました。生き延びたのはわずか240名。「長平の坑埋め」とされる事件でした。

    「胡服騎射」の武霊王の流れを汲み、かつて戦国七雄の中でも精強一等でしられた趙国はいまや滅亡寸前になりましたが、ここにきて白起の功績が高くなりすぎたことを忌んだのが応侯・范雎です。蘇代という人物にそそのかされた范雎は昭王に説いて白起の兵権を剥奪しました。のち、白起はこの人事を恨みに思って病にかかり、その間何人かの将軍が白起の代わりに趙を滅ぼそうとしましたが果たせませんでした。病いえた白起は昭王に「私を使わなかったからこうなるのです」と嫌味を言い、プライドを傷つけられた昭王は白起を田舎に左遷の上、使者に剣を持たせて自害を迫りました。自害を迫られ、白起は「私には国に功績はあっても罪はない、なぜ自殺せねばならないのか」と口にしましたが、すぐに思い直し「私はかつて長平で40万の無辜を殺した、その報いか」と呟くと潔く自害したということです。

    白起が生涯抜いた城は100を越え、指揮した大戦は数十、国土を広げること数千里。戦場で敵を謀ること神のごとく、千変万化で、かつて敗北を知らなかったといわれます。功成り名遂げながら悲劇の最期を遂げた名将として、中国の歴史上、李牧や伍子胥に並ぶと言われます。

    ……これでどうでしょうか? かなりわかりやすくかみ砕いたつもりではありますが……。ともかくも、お読みいただきありがとうございました!

  • 刘秀啊!
    天选之子,最强英雄!
    刘秀和王莽的战争,称之为位面之子(刘秀)大战穿越者(王莽)!
    中国最神奇的统帅!唯一一个正史记录的战绩让人不敢相信的存在!
    世界史上唯一一个以少胜多打歼灭战的神仙!

  • 第44話 ジョージ・パットンへの応援コメント

    あつかましくリクエストし、すみませんでした。それにまた、答えていただき、ありがとうございます。楽しみに待っていますので、また、新作待っています

    作者からの返信

    こちらこそ、なんだか怒ってしまい申し訳ありません。今後とも読んでくださるとありがたいです。

  • 第43話 三国・蜀の張飛への応援コメント

    第二次世界大戦時、ヨーロッパで活躍したアメリカ機甲師団将軍、ジョージ・C・パットンをお願いします

    作者からの返信

    一応やりましたが……リクエストとか受け付けてないのでやめてくださると助かります。現在非常に忙しくもあるので。