追想の銀幕

いちはじめ

追想の銀幕

 私は映画館の中央、やや前よりの席に座り、上映が始まるのを待っていた。

 映画は数年前に人気絶頂の中で夭折したある女優の遺作だ。この映画は彼女自身による企画で、その完成に心血を注いでいたという。

 私は彼女の出演作は、端役のころから全て観ていた。だが彼女の新作がこれで最後という事実が映画館から足を遠ざけていた。

 誰にも信じてもらえないのだが、実は二十年ほど前、私は彼女と付き合っていたのだ。

 私は座席に深々と身を預け、彼女との出来事を思い出していた。

 当時、私は映画好きが高じて、暇を見つけてはエキストラとして映画に出ていた。

 彼女と出会ったのはある映画のエキストラに参加した時だった。彼女は高校を卒業したての、ある俳優プロダクションに所属する研究生だった。その時彼女と私は、川辺を散策する父娘の役をあてがわれたのだ。

 そんなことを懐かしく思い出している内に上映が始まった。

 美しく、歳を重ねてもなお清楚さを失っていない彼女の姿が、銀幕に映し出されている。声もあの頃のままだ。映画では十九歳から演じているが、全く違和感はない。映画の冒頭は、若い主人公と二回りほど年の離れた彼氏が出会う、エキストラのシーンであった。

『父親役のおじさんでごめんね。彼氏役のイケメンの若い人が良かったよね』

『いえ、私は早くに父を亡くしましたので、娘役で良かったです。至らぬ娘ですがよろしくお願いします、お父さん』

 ――この台詞はあの時の……。今でも鮮明に覚えている。これは彼女と最初に交わした言葉だ。するとこの映画は……。

 私の記憶と映画の物語が重なって行く。

 その日は待ち時間も、撮影中もずっと本当の父娘のように私たちは語り合った。それがきっかけで付き合うことになったのだが、 付き合うといっても、私は彼女の父親代わりだった。彼女の悩みや相談事に対して、私は恋心を隠しつつ、人生の先輩としてアドバイスを送り続けた。時には食事や飲みに連れて行ったりもした。そうしているうちに二人の間柄はいつしか父娘役から恋人役に、ごく自然に変化していった。

『……もう父娘役では心を押さえられない……。恋人役ではだめですか?』

 ――忘れもしない、この台詞はお互いの気持ちを確かめ合った、あの夜の彼女の言葉だ。

『願ってもない申し出だよ。ただ……』

『ただ?』

『役なら降ろさせてもらう。いちエキストラでは恐れ多くて君の恋人役は演じきれないよ』

 もう、と言ってうれしそうに彼の胸に飛び込んでいく彼女に、あの時の姿が重なる。

 映画は私たちの恋物語を追体験するように進んでいく。

 その後彼女は、ドラマや映画に数多く出演する人気女優の一人になった。しかしそのために、二人の会う機会はだんだんと少なくなっていった。彼女はその寂しさからか、女優をやめたいとこぼすこともあったが、その都度、今が大女優になる為の大事な時期だ、と私は優しく諭したものである。

 そんなある日、彼女に連続ドラマの主人公の話が舞い込んだ。彼女にとってはまたとないチャンスだ。しかしそれは私との関係を続けられないことも意味していた。そのことに悩む彼女に、私は心を痛めた。

 ――彼女の足を引っ張ってはいけない。

 私は決断した。次の逢瀬の日に別れを告げることを。しかし、待ち合わせ場所に彼女は現れなかった。そしてメールもスマホも通じなくなっていた。それが彼女の決心だと私は悟った。そしてそれでいいのだと、彼女への思いを心の底に仕舞い込んだ。

 映画はその日を迎えた。あの日と同じそぼ降る雨のシーン。

 私ははっとした。彼女は待ち合わせ場所に来ていたのだ。彼氏の姿を遠くに認め、一瞬躊躇して、そして泣きながらその場を立ち去る彼女。

 彼女は、自分の覚悟を直に私に伝えたかったに違いない。ただそれは彼女にとっても、私にとってもあまりにも辛いことだったのだ。

 二人の恋物語は突然終わりを告げた。

 もう銀幕が滲んでしまうのを、どうしようもできない私だった。

 映画はラストを迎えていた。

 押しも押されもせぬ名女優になった彼女が並木道を歩いている。

 ――ここは、あの時の待ち合わせ場所……。

 一人歩く彼女の後姿に、台詞が被さる。

『あの時の辛い決断は報われました。でも……、もし許されるなら、あなたにもう一度私の恋人役をお願いしたいのです』

 彼女が、つややかな黒髪をふわりとなびかせ、愁いを帯びた顔で振り返る。

 最後の台詞が、私の胸に突き刺さった。

『私は今でも、ここであなたを待っています』

 私は座席に身を深く預けたまま、誰憚ることなく声を上げて泣いた。

                                   (了)

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