第6話 ある学者と死刑囚 SIDE ロレンス

 第六章、ロレンスの話です。生真面目で頑な、そして繊細さを持つロレンスの人生の転換点となる出会いを描きました。


キャラクター紹介


ロレンス……『憎悪の泪』の一件まではある王国で王の側近を務めていた元・宮廷魔術師の男性。生真面目で頑な。常に悩みを抱えている繊細な人間だが、最近は王の側近を辞め学者に転身。

立場や責務に囚われていたが、セアドとの出会いで『真の自由とは何か』を考え始めた。二十二歳。



セアド……過去に何度も重い罪を犯し、王国に捕われていた凶悪犯の男。『憎悪の泪』の一件の直後死刑が執行された故人。自らへの罪と罰を受け入れ、どこか達観していた。

紛れも無く極悪人だったが、自らの天命を享受した時、彼は真の『自由』を最期に手に入れた。頑ななロレンスに心の自由を諭した、自称『フリーダムな囚人』。享年三十五歳。

ちなみに生前はバイセクシャルであり、『憎悪の泪』の一件では常にロレンスの尻を狙っていた。



 ラルフ……ロレンス、セアドら全八名の『憎悪の泪』奪還一行のリーダー。この世界で『最後の勇者』となった青年。憎悪の泪から蘇った魔王を打ち倒し、世界を救った後、行方不明に。二十歳。



LIVE FOR HUMAN 外伝 生きとし生ける者 第六章


ある学者と死刑囚・SIDE ロレンス





「んあ~、今日も仕事終わりかあ……定時だなあ」



「今日はスムーズに作業が進みましたよね。お疲れ様です。ロレンスさんも一緒に帰りますか?」




「いえ。私は残ります。調べ物がまだまだ残っておりますので……」




「そうですか? 一度はロレンスさんと飲みに行ってみたいんだけどなあ……」




「……生憎、お酒と脂っこい料理は少々苦手でして……またいずれ」




「そうですか……お先に失礼しまーす」




「ロレンスさん仕事熱心ですねえ。さすがは王の側近まで務めた人だなあ……」







 ――そう同僚たちは呟いて、王立図書館を後にしていった。







 ……仕事熱心? 違う。





 私は、何かに従事していないと気が済まないだけなんだ…………。











 『憎悪の泪』の一件から一ヶ月以上が過ぎた。






 魔王が封印されていた宝玉『憎悪の泪』。




 管理していた王国から持ち出され、賊の手によって魔王は蘇ってしまった……というか、魔王自らその強大な魔力を駆使して賊共をマインドコントロールし、間接的に自らを蘇らせるように操っていた。









 そして、その場に居合わせた私たち……勇者・ラルフ殿がリーダーとなった一行は、辛くも憎悪の権化・魔王を打ち倒した。








 ――――魔王と共にラルフ殿の生命も引き換えに…………。










 正確には、ラルフ殿が死んでしまったかは明らかになっていない。





 だが、勇者と呼ばれる者が纏っている特有の光の英気(オーラ)。






 それがあの一件以来、近辺から全く感じられなくなってしまった。







 王国は、救世主であるラルフ殿を捜すべく力を尽くしたが、とうとう捜索を打ち切ってしまった。


 

 



 『憎悪の泪』奪還。その一件の解決に尽力した、ある男がいた。









 その男は凶悪犯。まごうことなき悪人で、この国の牢獄に捕えていた。










 だが、その男の能力はずば抜けていた。








 高い戦闘能力。鋭い洞察力。敵地に潜入するのに必要な技術……そして、荒々しいようで冷静。全てを達観していたかのような精神。









 勇者であったラルフ殿はその男を自身が『凶悪犯を解き放ち利用する』という汚名を背負う覚悟で連れ出し、結果的に事件の解決に必要不可欠な存在となった。









 う……その男はいわゆるバイセクシャルで、何を思ったのか、私に執着してきて、事件の間中私は貞操の危機にあった……今思い出しても怖気がする…………。










 ……だが、その男が一行に加わった意義は単なる結果だけではなかった。








 特に、私のように頑なで、精神的な柔軟性に欠けた者には余りある、大切なものを教えてくれた。







 私は、ふと彼のことを思い返したくなり、近くの棚から書類を取り出し、読み返した。











 男の名は、セアド。セアド=バグズィー。









 享年・三十五歳。身長一八五cm。体重八〇kg。血液型はAB型。出身地はヘイザイム国。我が国で拘束し、そして約一ヶ月前に死刑が執行された。







 私は宙を仰ぎ、一ヶ月前を思い出した。









 あれは、魔王を倒した直後、彼を再び牢獄へ戻す時だった――――









 ――――

 ――――――――

 ――――――――――――




「セアド。お前を牢へ戻す。刑が軽くなることもない。予定通り、六日後に処刑される」







 私は手錠をはめさせ、王国兵四人に羽交い絞めにされたセアドへ冷徹に言い放った。




 セアドはいつもと同じ、にやけた顔のまま言う。







「そーかい……骨折り損のくたびれ儲け。俺ァ死ぬ前に慈善活動した程度ってわけかい……あのガン飛ばすだけで能無しの看守サンを守る為かい?」





「あの看守なら既に更迭した。囚人たちを監視するという重要な役目を怠っていたのだ。私が何か造作せずとも当然の結果だ。それが上層部に知れた上での今回の処遇だ。恩赦はなし。予定通り死刑は確定。変更の余地は無い」






「くくく。まア、期待はしてなかったがなア……初めに言った通り、俺ア、今更釈放されようが、すぐにどっかでヘマやらかして牢にブチ込まれるような、業の深え野郎だからよ。運命って奴にゃあかなわねえ」








「……悔しくはないのか?」








「ねエさ。むしろ、ロレンスちゃんやラルフには感謝してェぐらいだぜえ。死ぬのを待つばっかだった俺の人生のピリオドに、魔王をぶっ倒したって花を添えさせてくれたんだからよオ! 満足も満足。大満足だぜえ!」







「お前の遺した偉業など……誰も後世に伝えてはくれないぞ? 残るのは、お前の拭いきれない罪ばかりだ」







「いいんだよオ。こーいうのは形に残るとか、誰かから褒められるとかじゃあねえんだよ。ハートの問題だ。ハア~トの。ふへへかっかっか……」






「…………」






 そうしてセアドは抵抗する素振りもなく、大人しく元の牢へと収監された。




 これで貞操の危機は免れたか……その点だけは安堵しつつも、鉄格子の向こうに居るセアドに対し、私はやるせない気持ちがあった。








「……セアド」




「なんだい、ロレンスちゃん?」





「お前は言ったな。『人は、「誰かが」作った「何か」。ルールとか立場とか言葉とか……そういうモノに囚われてしまいがちだ』と」



「おうよ」






「……だが、それでも自分自身のことをはっきりと理解していれば、いずれ変われる……心の自由を得る日が来ると」





「おうよ」





「……本当に……そうなのか? こんな、私のようなガチガチに凝り固まった人間でも…………」





「クカカ。まぁだ気にしてんのかィ。まァ、それがロレンスちゃんらしいって言えばらしいけどなァ」








「私は……このままだと駄目な気がするのだ……正しさ。世間体。常識。マナーやルール。そういうものにすぐ囚われてしまう。囚われて、精神的に苦痛を感じたまま生を全うしてしまうかもしれない。どこかで重大な過ちを犯すかもしれない。私は、そういうものに繋がれることで……自分の自信の無さや視野の狭さを紛らわせようとしているのかもしれない…………」





「ふむぅ~ん」





「……この事件の中で、私は密かに憧れた――――けっ、決して性的なアレではないぞ!? ……憧れたのは、お前の心の自由さだ。お前は身の自由どころか、処刑による死まで既に決定付けられている。お前が犯した数々の重罪が故にだ。だと言うのに、何だ? お前のその気楽さは? 牢獄に捕われているというのに、まるで生きることに融通無碍を得たある種の達人のようだ……これではまるで――――」





「…………」










 ……まるで、囚人は私で、お前の方が自由な智人のようだ。そう言いかけて、私は口を噤んだ。







 それを言えば私の立場が無くなる。それこそ、固定観念が私に口を閉ざした。






 セアドは、私の顔を見て、むぅ~ん、と唸った。





 そして、うん、と一息頷いて、口を開いた。






「ならよォ、ロレンスちゃん。せめて俺様を見ろ」





「……え?」







「俺様はあとたった六日の命だけどよ。せめてその間だけでも、俺様の生き様を見ろ。この『フリーダムな囚人』セアド様の生き様と最期を、よ」







「……?」






「それと……ノートとペンを用意してくれい」






「……なんだと?」







「書くんだよ。俺様は俺様のこれまで生きた足跡を……ロレンスちゃんは今、生きている悩みやこれからどうしたいか。互いに書いて、互いに見せ合う。それぐれえいいだろオ?」









「……駄目だ。お前は簡単な道具ですぐに脱獄できるほどの能力がある。ペンなどは与えられない……それに、ペンなどの突起物なら、自害することも可能だ。お前が処刑を前に勝手に自害する可能性を否定できない」







「かーっ。おカタいねエ。なら、ペンを俺に預けてる間、ロレンスちゃんがずっと俺を監視してりゃあいいだけの話じゃあねえか」








「……それなら、いいだろう。お前が妙な真似をしないか、私が見ている……」








「ひひひ。たったの六日分だがァ、俺様とロレンスちゃんだけの交換日記ってヤツだあ。ひゃっひゃっひゃっひゃ! 乙女チックじゃあねえか~」





「ふ、ふざけるな! これは、監視記録だ。飽くまで公的な日誌なのだ。怪しい真似をしたら攻撃魔法で懲罰を与えるからな!」








 ――――それから私とセアドは、日誌をつけることを始めた――――








 王国歴 一五八〇年 四月二十日(セアドの処刑まであと六日)


 執筆・ロレンス=フォン=ワインズ


 本日よりセアド=バグズィー死刑囚の処刑までの六日間、同囚人との交換日誌を書き記す。



 先に書いておくが、この交換日誌によって私が囚人から何らかの精神的干渉を受け、結果、脱獄に手を貸すだとか、分不相応な待遇を与えるなどということは万に一つも無いことを特記しておく。



 本日は快晴。国民たちも概ね健全に過ごしている。これを書いている今も、屋外で遊んでいる子供数名と話す機会があった。





 私は、子供との接し方がわからない。





 私自身が少年だった頃も、王侯貴族の習い事や勉強尽くしで、まともに外で遊んだ記憶はほとんど無い。



 いや、むしろ遊ぶ機会はあったのかもしれないが、貴族としてのみ生き、死ぬだけの人生だと決め付けていた私は自ら他者と距離を取っていたように思い出される。



 私の少年時代は、間違っていたのだろうか? 既に他者に縛られた人生を歩んでいたのだろうか。









四月二十日(俺様が逝っちまうまでのカウントダウン・6)


 書いたの・俺様



 あんたもくどいねえ。心配しなくても逃げねえし、勝手に死んだりしねえよ。麗しのロレンスちゃんに死に水取ってもらうまではよ。



 良い天気だったのかい。牢の中じゃあいつでも薄暗いから昼と夜と雨ぐれえしかわからねえ。




 カワイイお子様たちと会ったのかい。何を話したんだ? そのおこちゃまたちの身長・年齢・体重・性格・カワイさのグレードなどなど是非詳しく知りたいねえ、ケケケ(笑)





 窮屈な少年時代だったかい。だから子供とも接し方がわかんねえってか。ま、子供のウチはそれもしゃーねーんじゃあねえの? ガキなんて親兄弟のオモチャみてえでよ。



 実際、窮屈で嫌だからって抵抗する術とかあんまねえだろ。


 子供の頃から他の子と距離を置いてたってか。そりゃあ、教育というよりおまえさんの性格じゃあねえかな。



 一人ってのは何も悪いだけじゃあねえ。静かに、かつ熱心に何かに打ち込む。それはそれで幸せなことだと俺は思うぜ。



 あと、自由を知りたきゃ子供は良い教師だぜ。本能ってヤツに忠実だかんな。











 王国歴 一五八〇年 四月二十一日(セアド処刑まであと五日)


 執筆・ロレンス=フォン=ワインズ



 今日も快晴。風がやや強いが、心地良いと感じる程度。



 大量殺人・強盗・詐欺・恐喝・麻薬売買・そして小児暴行殺人の前科を持つお前に子供との接し方を語る資格などない。無論、子供たちの特徴を教える必要もだ。



 子供が親兄弟の玩具であるなどという言い方には抵抗を感じる。が、親兄弟に反抗出来なかったのは認める。



 一人で過ごす時間が悪ではない、か……確かに、窮屈ではあったが、私自身勉学や作法などを学習することにある種の喜びがあった。



 知的好奇心が満たされ、未知の分野を攻略し、知識のストックを増やすのは楽しかった。



 だが、それでも、だ。私はお前の言う『どこかの誰かが作った言葉・概念・ルール』に囚われ、毎日を卑屈に過ごしている。抑うつ状態の手前かもしれない。



 他人との交流も大事と思うのだが……。



 一人、と言えば、お前の方こそ一人ではないのか? 懲役の他は鉄格子の内で過ごすのみだろう。





 子供の持つ自由な精神は私も気になる。時に野生的とも言えるほどだ。よく観察してみる。












 四月二十一日(カウントダウン・5)


 書いたの・俺様



 例え誰かに押し付けられた生き方(勉強とか作法とか)でも、本人が「楽しく過ごせた」って実感がほんの少しでもありゃあいいんじゃあねえの? そんな、望むように楽しいばっかの人生なんて誰も歩んでねえって。



 強いて言えば、自分で『見方や捉え方を変える』ってヤツかなあ。その手の本はこの国の図書館だけでもいっぱいあるんじゃあねえか? 


 俺は本なんざ実用書しか読んだ経験ないがな。心はワル~い、下半身は元気なオトナのな。ひひひひ(嘲笑)




 他人に定められた生き方で完結出来る人生ってのは、極端に言えば幸せだぜ。自分で何かを決める必要がねえんだからな。



 自由に生きるってのは、そのしがらみとは別の不自由さに耐えなきゃなんねえ。オリジナルの人生を作る為の『産みの苦しみ』ってヤツよ。



 そこを限界突破すんのは簡単じゃあねえよ。焦らず、長い目で考えな。




 ムショの中も楽しいぜ。ヤクに溺れてラリった野郎の戯言が聴けたり、隣の房のカワイイ男の子とは愛を語り合ってる。


 学者の囚人からご講義を受けるのも……って、あの先生は学説が当たってたから釈放されちまったんだっけ。


 その後、あの先生はどーしてる?











 王国暦 一五八〇年 四月二十二日(セアド処刑まであと四日)


 執筆・ロレンス=フォン=ワインズ



 こっちは真剣に交換日誌に付き合っているんだ。下品な文言ばかり書いていると破って焼却処分にするぞ。




 今日は曇天だ。遠くに雨雲が見え、雷鳴も聞こえはじめた。明日、明後日は大雨になるだろう。



 自分で生き方を決めることの難しさ……自由という名の不自由、か。人生はままならない……。



 刑務所の中も罪人が集まっているだけあって混沌としているのだな……つくづく、そんな環境の外にいられることの有り難さを感じる。



 学者というと、あの、「原初の勇者・トライズこそ魔王の成れの果てだ」という仮説を唱えた学者か?




 彼は己の学説が事実として認められたので学会から様々な表彰を受けた。のちの世で偉人クラスの扱いになるだろう。





 だが、増長しきっていてかえって堕落したようにも見える。これもままならない。











 四月二十三日(カウントダウン・4)


 書いたやつ・俺様



 シモい話全部NGかい。つれねえなあ。そんなこっちゃ、仕事仲間との飲み会にもついていけねえだろ? 公文書じゃあねえんだし、肩の力抜けよ。




 雷ならこっちも聴こえてるぜ。嵐が来る。



 嵐が来んのって、ワクワクしねえか?





 あーらら。あの学者サン、表彰された上に増長しちまってんのかい。そりゃあカワイソウに。



 いっそムショで先生やってた方がサマになってたかも知んねえ。




 自由という不自由ね。焦ることはねえ。




 その自由も自分の性格との相性ってやつがある。





 そう。人間ってのは、幾何学模様みたいに精密には出来てねえ。あらゆるモノに相性ってもんがあんのよ。



 仕事、趣味、性癖、意識……血液型だって大抵、違ってると他人に輸血できねえだろ? 精神論だけじゃなくて、生物学的に相容れないモノってのはあるもんさ。




 増長とか相性って言やあ、あんたが仕える王様とはどーなんだい。



 俺様が見た限り、とてもあんたとソリが合ってるようには見えねえが……。












 王国歴 一五八〇年 四月二十四日(セアド処刑まであと三日)


 執筆・ロレンス=フォン=ワインズ



 今、まさに強い風雨が吹き荒れている。予報通り、今日明日は嵐だな。





 嵐か……今は亡き私の祖父は嵐が来ると楽しいと言っていた気がするな。




 私自身は子供の頃、嵐が吹き荒れる轟音や雷鳴にかなり怯えていた。



 家中や親兄弟など、周囲の大人たちにしがみついて震えていた。



 いつ頃からか……嵐が来てもそんなに恐がらなくなったのは。嵐が来たら来たで災害の危険があるから歓迎はしないが。








 我が君との相性か……公文書では間違っても書けないが、正直最悪だ。大嫌いだ。





 先日も「暇だから何か物真似をして楽しませろ。あっ、公務は代わりにやっといてね」などと理不尽に過ぎることを言われた。




 我が君は、相性云々以前に人として幼稚な気がする。老人なのにまるで駄々をこねる子供だ。私のストレスの八十%は我が君が原因かも。






 ちなみに我が君も嵐が来ると王の間を歩き回ってはしゃいでいる。本当に子供かもしれない。



 何かの間違いで、幼稚な子供が呪いか何かで王に変身したのではと思いたくなる……。












 四月二十四日(俺様が伝説になるまであと三日)


 書いたの・レジェンド・オブ・セアド



 牢の中でもはっきりわかるほど今日は嵐だぜ。



 囚人共はほぼ全員テンション上がってやがる。



 嵐ってやつは自然エネルギーの塊だから、そのエネルギーに充てられてハイになるやつも多いのかもな。






 やっぱ、子供の頃からビビりだったわけかい! ひひひ、怯えてるガキの頃のロレンスちゃんを想像したらなんかみなぎってきたぜえ! かっわいい~。







 噂には聞いてたけど、王様そんなに酷いんかい……手堅い財政と外交が得意と他所の国では聞いてたんだがなあ。






 あーあー、そんなに酷いんなら、思い切って辞めちまえばいいじゃあねえか。




 どの程度の収入が王の側近って立場にあんのか知らねえけど、ロレンスちゃんほどの実力があれば多少収入が下がっても十分やっていけるだろ、他の職業でも。





 そんな生き方してたら、本当に心も身体も囚われちまうぜ。公僕、なんて言い方をすりゃ聞こえはいいかも知んねえが、そんなのは奴隷だぜ。


 どんなにお高く留まったつもりでも、『心の囚人』にはなっちゃいけねえ。囚人が言うんだ、間違いねえ。











 王国歴 一五八〇年 四月二十五日(処刑まであと二日)


 執筆・ロレンス=フォン=ワインズ



 勝手にみなぎるな。あと、いつからお前が伝説上の人物になった。





 今日も大雨に強風だ。外を見ると出かける人もまばらだ。




 台風などの類にそういった仮説を聴いたことがあるな。だが、低気圧で体調を崩す人もいることを考えれば、一概に気分が高揚するのみとは言えない。







 それより、私が王の側近を辞めるだと? 本当にそんなことをしていいのだろうか……我が君を支える人が他にいるだろうか。





 せっかく側近として仕えられたのに、親族の期待を裏切ってしまうのでは……。





 ……これも、私が『誰かが決めた云々』に囚われているだけなのか。




 第一、そんなことをして、この国を支えられるのか? 私はこの国の為に貢献したい。



 これは立場などは関係なく、私自身が常々意識していることだ。




 この国を離れるような真似はしたくない…………。












 四月二十五日(伝説になるまであと二日)


 書いたの・レジェンド・オブ・セアド



 いや、毎回同じ書き方じゃあつまんねえじゃあねえか。前も言った通り、こういうのは形に残るとかじゃあねえんだ。ハートの問題よ。例え明後日死ぬ人間でもな。





 いいんだよ、いいんだよ! アダルトチルドレンな王様の遊び相手や公務なんざ、代わりはいるさ。ロレンスちゃんが思い詰める必要は全くねえ。もう成人なんだし、家族からの声なんざ無視しちまえ。




 『他人は他人。お前はお前。そして俺は俺』だ。基本的にはこういう考えで上等よ。




 国の為に尽くしてえ、かあ。どうにもそーいう考えは俺には理解できねえんだがなあ。身内ならともかく。



 だが、どーしても国に尽くしたいなら方法は一つじゃあねえだろ?



 ロレンスちゃんは博識で魔術師だ。何かの学者とか研究者になるとか、ボランティア活動を始めるとか。



 必要としてくれる奴はいるって。な? 












 王国歴 一五八〇年 四月二十六日(処刑まで一日)


 執筆・ロレンス=フォン=ワインズ



 そうか、学者か! 



 生活の役に立つ魔術の研究。外部から見た王国の経済学。科学研究。考古学研究。



 やれることはまだまだあったんだ!




 だが……もう、明日処刑が執行されてしまうのだな。




 セアド、お前とも、もう一日限りのやり取りなのだな。







 なんだか、読み返してみると私の悩みや生き方への疑問を、お前が解き明かしてくれたような感じになってしまったな…………。






 もう終わりか。これで良かったのか? 











 私はお前に何もしてやれない。








 良いモノを貰ってばかりだった。







 こんなことで良かったのか…………。












 四月二十六日(明日死ぬ)


 書いたやつ・セアド=バグズィー





 ははは。いいってことよ。






 俺は、自分が死ぬと確信した瞬間からとっくに腹は括ってる。






 まあ、『憎悪の泪』の一件で魔王とやりあう羽目になった時はさすがにビビッたけどな。






 俺はつくづく満足だあ。








 陰ながら世界を救う手伝いを出来た上に、最期に少しでもロレンスちゃんにしてやれることがあってホントによかったぜ。












 追記 俺様が死んだら俺様の房の壁をよく調べてみな。レンガに溝が出来ている辺りだ。




 そこに俺様の人生が記されている。




 興味があったら探してみてくれや。











 じゃあな。明日、よろしく頼むわ。












 ――――そして、時は来た。



「セアド。時間だ。刑を執行する……」




「おーう。はええとこ済ませちまおうぜえ」










 私は彼を執行室に連行し……処刑の執行官他数名の王国兵の立ち合いのもと、刑が執行された。










 まず、分厚いマジックミラー越しに私が彼の罪状を読み上げる。











「……セアド・バグズィー。貴様の罪状は判明しているだけでも。被害者百二十六人の殺人、五百二十一人への傷害、窃盗二百一回、小児暴行三百五回、強姦百五十九回、詐欺・恐喝三十二回。麻薬密売十三回。改めてこれらの罪を認め、反省しているか」





「おう」







「よろしい。ではガスマスクを取れ」










 セアドは拘束具を厳重に装着され、ガスマスクを取り外された。











「セアド・バグズィー。本来の死刑囚ならば我が国では通常、ギロチン斬首刑だ。だが、先ほど読み上げた罪状を鑑みれば、斬首刑では生温いと我が国では判断する。よって特別に――――そのガス室での拷問刑とする。苦痛を受け入れ、最期に詫びよ」











「……おうよ」











「……何か、我々に言い遺すことはあるか?」











「……そうだなア~……」






 セアドは俯いて少し考えたあと、頭を上げて言い始めた。












「……伝えたい奴にだけ伝えてくれい……あんたら、どんなに立場やしがらみに捕われようが、心まで囚われちゃあ、いけねえよ。どんなに束縛された状態でも……心だけは草原に放たれた牛馬の如く……フリーダムであれ」












「……以上か?」






「以上だあ。もう思い遺すことは何もねエ」










「では……執行開始。ガス注入!」








 執行官がレバーを操作して毒ガスを注入した。









 そして、ものの十分ほど経過。





 ガス室を洗浄した後、執行官がガスマスクを装着してセアドに近づき、生死を確認した。











「セアド=バグズィーの死亡を確認……ロレンス殿。立ち合い感謝いたします」












 ――――

 ――――――――

 ――――――――――――





 こうして、セアドは死んだ。






 手元には、セアドと私の交換日誌。






 そして、セアドが密かに房に隠していたノートがある。









 ノートは彼が刑に服すまでの日記だった。






 彼が如何にして、その罪を受け入れ、また、罪を犯したのかが克明に記されていた。









 一ヶ月前のこの件の直後、私は王の側近を辞任した。







 そして王立図書館での司書と研究者などの職に転じ、今に至る。











 セアドが死んでも、私は涙など流さなかった。






 代わりに、心に確かな空白が生じた。










「心は自由に、か…………」











 翌日。私はいつも通り同僚と仕事をしていた。






 同僚が困っていればアドバイスや助力をし、逆に私が要領を得ない時はベテランに協力を頼んだ。









 皆、優秀だ。勤務態度も、能力も、仕事への信念も。








「ふう~……今日も終わりーっと。お疲れ様っす~」



「お疲れ~。どうよ、今日も飲みに行こうか? ロレンスさんも誘って」



「う~ん。ロレンスさんは、真面目だからなあ。なかなか」





 盗み聞きというわけではないが、同僚の会話が聴こえていた私は、自分から声をかけた。









「飲み、いきましょうか! 今日は残業ナシです。お酒はあまり飲み慣れてませんが……よろしく!」









 人生はままならない。私が真の自由を得るのも時間がかかるだろう。




 だが、たまには羽を伸ばすのだ。











 飲み会に行ったことなど、私が初めて宮廷魔術師として着任した時以来、無い。もっとも、あの時は皆貴族ばかりだったが。









 図書館の東にある、この国一番と評判の酒場に着いた。




 そういえば、ここはヴェラさんとルルカさんに出会った所でもあったな……店の中は今も老若男女問わず活気に満ちている。








「かんぱーい! お疲れ様でーっす!」









 同僚に合わせてとりあえず付き合ってはみたものの……やはり私には酒場はいまいち馴染めない。




 酒もあまり強くないし、脂っこい料理も口に合わない。





 仕事のこと。プライベートのことを同僚に話してみても、やっぱりロレンスさんは真面目だなあ、という反応しか返ってこない。




 私の場合、自分から欲求や目標を持って生きている感じはあまりしない。プライベートと言っても、私には在って、無いようなものだ。






 趣味らしい趣味も無く、仕事に必要な準備をしたり、参考書を読んで勉強する以外は何もしていない。




 ただ仕事を往復して、自宅では風呂に入って簡単な食事を摂って寝るだけ。








 言わば『プライベート廃人』だ。







 ……私は一体、何の為に仕事をしているんだろう。









「……すみません、ちょっと席を外させていただきます……」




「ん? そうですか。いってらっしゃい」











 私は同僚たちのテーブルを離れ、少し離れた場所にあるカウンターに腰掛けた。


 奥からママさんが出てくる。










「……仕事仲間たちとは美味い酒が飲めないかい?」




 ママさんは穏やかに声をかけてくる。私はやや重い気持ちで答える。










「……同僚たちが悪いわけではないんです。私が堅苦しすぎるだけで……本当に申し訳ないと思っています」









「気に病む必要は無いと思うけどねえ。……はい、これ」



「え?」





 ママさんはオレンジ色のカクテルのようなものを差し出した。






「いえ、すみません。私は――」



「飲めないのはさっきの様子見ててわかったさね。これはただのオレンジジュースだよ。飲みな」



「い、いえそんな。無料でママさんからいただくわけには……」




「アタシじゃあないよ。……あちらのお客から、奢りだってさ」










「……え?」







 ママさんが指差した方向を見ると、カウンターの隅で飲んでいる初老の男性がいた。





 ……私に、奢りだって?











「同世代の人と合わないんだろ? だったら、思い切って上の世代の人と話してみるのも悪くないんじゃあないのかい」





「は、はあ…………」







 私は訝りながらも、ジュースを持ってカウンターの隅にいる男性の隣に座った。











「やあ。来てくれたかい。一度話してみたかったんだ」








「……わ、わざわざ奢っていただけるなど……なんというか、その」








「なあに、気にすることはないよ。たかがジュース一杯じゃあないか。君の話は聞いとるよ、ロレンスくん」






「……私をご存知で?」






 初老の男性はワハハ、と一息笑った。









「そりゃあ君。『憎悪の泪』の一件で尽力した英雄にも等しき人をこの国で知らぬ者はそういないよ。自分が有名になっていることにも気付かなかったのかい? よほど仕事漬けだったわけだ」






「あ……そう、ですか」








 そんなに私はあの一件で名が知られていたのか。




 この御仁の言う通り、仕事に忙殺されて気付きもしなかった…………。






「ふふふ。君には劣るが、私も昔はなかなかの働きをしたものだよ。もう四十年は昔になるかなあ……国難だったなあ、あの頃は」





「い、いえ。私のことなど。恐縮です。共に同行した仲間のお陰です、はい」






 私はどぎまぎしながらたどたどしく答える。








「……そう。あの一件で出逢えた仲間のお陰なのです。私がこうしていられるのは…………」






「……ほう。それは誰かね? 君を除けば七人のうちの誰かだと思うが……」





「それは――――」











 私はセアドの名を口にしようとして、またも噤んだ。






 彼の存在が如何に私にとって大きくても、あの重罪人に何かを説かれたなど、言えるはずもない…………。










「……現在、行方不明の、勇者・ラルフ殿です。あの方は素晴らしい方でした」





 私はとっさに、七人の中で最も徳が高いであろうラルフ殿の名を口にした。










「おお~。あの武勇と英知の誉れ高い勇者か。あの一件以来行方知れずだそうで、気の毒なことだ」






 そう言って、初老の男性は手に持ったコップからひと口飲む。




「……は、はい…………」











 嘘を言いたくはなかった。






 だが……私はまだ世間体というものに囚われているようだ。





「……実はですね…………」





 私は名前をラルフ殿のままで、セアドから教えられたことを男性に述べた。




 そして、それを未だに実行しきれていないことも。






 さらに、身の上話も……この初老の男性は、なんだかゆったり構えていて、私のプライベートや不安、悩みまで心置きなく話せてしまいそうな、不思議な包容力を感じた。だから私はついつい喋りすぎてしまった。





「……はっ。す、すみません! 急にこんな話をされても、困ってしまいますよね……」





「いいや、構わんよ。実に面白い――――かつての私を見ているようでな」






「……えっ?」






「そう言えば、紹介がまだだったな。――――私はマクシミリアン=エクス=トラザル。君が勤める王立図書館の館長だよ。しばらく留守にしていて副館長に代理を頼んでいた」







「…………!!」







 えっ!? な!? この人が…………館長!?






「かっ、館長殿……だったのですか!? そ、それは……気付きもせず大変なご無礼を…………!」






「ははは。おいおい、そんなに固くならないでくれたまえ。上司だからといって威張るつもりは毛頭無いよ。それよりも、とても良い話を聞かせてもらった」



「え……は?」








「その……君が勇者・ラルフ殿から教わった話だがね。私も大事だと思うよ。……どんな立場にあっても、心だけは草原に放たれた牛馬の如く自由であれ、か……耳が痛いよ」






「は……はあ」




 館長殿は一度顔を背けて語る。











「私はね……かつては今の君のように生真面目過ぎて、融通も利かなかった。だから、今の君が心の自由を無くしているんじゃあないか、という悩みはよくわかる」






「…………」





「だが、私もある人との出会いで変わることが出来た。いや、変わるきっかけになったという感じかな……」






「……出会い…………」






「さっき言った国難だよ」






「……国難、とは?」








「歴史の教科書にも載っているだろう。『王国事変』だ。私はその時捕らえた罪人と接触した」







「!! 『王国事変』……すると、その罪人というのは――――」









「左様。大罪人・イヴァク=ゴルドー。『王国事変』の主犯格で、王国はもとより、世界中を荒らしまわった賊だ。……私は心強い味方たちと幸運のお陰で、何とかイヴァクを捕らえることに成功した」





 館長殿は、宙を仰ぎ見て語り続ける。





「彼は、その手を血で染める前までは恵まれない子供だったらしい。親に虐げられ、他人には利用され……彼にとってこの世は地獄だった。そして初めて罪を犯した時点から、世のあらゆるルールやしがらみが馬鹿馬鹿しく思えたのだろう……人が犯しうる罪のほとんどを彼はやり尽くした。この世の全てに悪意を振り撒き、地獄そのものに変えたかった。そして、この国で捕われた時、彼は一度絶望した。服役中も自殺未遂を繰り返したよ」











「……罪人…………」







「……だが、幾度もの煩悶を繰り返した後、彼は己の罪を受け容れ、全てを達観した。ちょうどそんな時期……私は自分の生き方に悩んでいた。規則や世間体、常識……そういったものに必要以上に囚われ、自由を失っていた」










「………………」








「そんな時だ。彼を監視し、彼とコミュニケーションを取るうちに……彼は真の心の自由というものを私に説いたのだよ。さながら、『草原に放たれた牛馬であれ』と、君が『罪人から』言われたようにな」







「! 罪人って…………まさか」









「おおっと。口が滑った」










「……マクシミリアン殿。あなたは本当はどこまで私のことを…………」







「私のことはマックス、でいい。親しい者からはそう呼ばれている。固いことはいいじゃあないか。確かに君にとっては言えば不謹慎なことかもしれんが、私の場合、もう時効だ。いずれ君も時効になるさ」






「…………」






 この御仁は、一体…………。







「ロレンスくん。君は、自分が生真面目過ぎて、心の自由を失っている、と言ったね」







「は、はい」







 館長は私の方に向き直り、穏やかな笑顔で言う。






「それは、悪いばかりではないと私は思うよ。それは立派な個性だ」





「え?」






「生真面目でおカタい? 結構じゃあないか。図書館とか研究職は、真面目で几帳面なぐらいがちょうどいい。仕事でミスをあまりしないだろうし、熱心に仕事に打ち込んでいる姿を見て、君を尊敬する人はきっと出てくる」






「…………」







「真面目で繊細。それは裏を返せば人間の模範だ。仕事を敬い、他人を敬える。何より、他人に優しくなれる」





「他人に…………」






「君が生真面目で繊細で、それゆえ悩みやすいことは認めよう。だが、欠点ばかりに目を向ける必要は無いんじゃあないか? 生真面目で繊細。それが君の個性だとすれば、その長所に目を向けて……役立つ場面を考えればいいんじゃあないかな。はは。まあ、若いうちは難しいかもしれんが」







「…………館長殿…………」





「もどかしいかね? ふふ、まあ、そんな顔にもなるか…………確かに、時代というモノは時に模範的な人間より一人の奇抜な天才を求めるかもしれん。それでも、だ。仕事に熱心で、他者を思い遣れる、そういう人間はいつの時代も必要とされるモノだ。


 心の自由を模索するのも結構。だが、自由を求めて必要以上に苦悩するのも、それこそ『不自由』な話だ……共に学ぼうじゃあないか。


 心の自由を得た人との出会いを大事に……な? 人の個性など、善も悪も表裏一体さ」







 そう言って、マックス館長はコップをこちらに向けて来た。、私と同じ『オレンジジュース』のコップを。





「……はい! 私なりに……彼の訓示を身に付けます。一緒に、王国に尽くしましょう――――マックスさん」






 私は自分のオレンジジュースのコップを持ち、マックスさんと乾杯し、共に晴れやかに笑った。



 ある学者と死刑囚 SIDE ロレンス END

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